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みやこたまち
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novelistID. 50004
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新築まで

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地鎮祭の日。
 神事に重きを置く大工の進言で、季節外れの鯛を探して車を走らせた事や、悪い霊の付いている土塊を川原へ捨てて、戻ってくる道筋について気にしながら、「何となく背中が寒い」という母をからかったりしたのは、ほんの三週間前の出来事だった。
「この日しか無いんだな。後は皆、日が悪い。新築するには悪い年なんだが、逆に日を選んで建てちまえば、もう怖いことは無いんだ。あと三周りは、これより悪い年は無いんだからな」
 さほど信心深くなかったはずの両親も、後から「あのせいで悪いことが起きたんだ」と言われるよりはと、苦笑しながら準備に奔走したが、時折手伝いをする肱野から見れば、両親は楽しんでいるようにしか映らなかったし、自分自身も「新しい家」というものに対する期待が、全ての面倒事を抑えて余りある、といった気分だった。それに、古式にのっとった行事を生真面目に執り行うというのも、新鮮さがあり、大工のいう「吉相の家」というのも確かにあるな、と思われてきたのだった。

 上棟式の日。
 二階に掛け渡された梁に立って、ぬかるみの中を右往左往する近所の人々を見下ろしながら、肱野は餅を投げる手に力を込めている自分に気付いて、晴れやかな苦笑とでも言う複雑な感慨を覚えた。
「新築の家」は「元の家」を解体して更地にした上に建てている。当然、入居までの借り住まいを探さなければならないはずだったのだが、大工の「仮住まいなら、東南の部屋じゃないといけないぜ」という一言が、大きな伽となった。肱野にとっては、数百冊の本の荷造りの煩雑さと、犬三匹、猫五匹の世話や安否が気掛かりで、動向を決するまで、家庭内では、大工に対する憤懣を土壌とした不穏な空気が立ち込めたりもした。
 荷造りを終え、仮の棲家が見つかるのを待つばかりの殺風景な食卓で、こんな時に限って寿命近くになる蛍光灯の点滅が始まる。焼き魚は死んだ魚にしか見えず、猫たちはそれを狙ってあらゆる高さに位置している。そんな薄ら寒い日々が、極寒のプレハブに決着したのが、肱野にとっては何よりも愉快だった。
 別の部屋を探すのは止めて、裏の土地にプレハブを建てて借り住まいをする事が決まったのである。
 肱野は12枚の畳を運んだ後で、自分のベッドと、もう五年も使っているカラーボックスのうち、あまり傷んでいないものを厳選して、有無を言わせず、二畳分のスペースを確保した。ここにプライパシーは消滅した。だが、真冬の朝、水道の水を流したら、流しのステンレスの上でみるみるうちに凍りつき、氷の山が出来上がるなどの奇跡を見たり、半畳程のユニットバスの洗い場で身体を洗う場合の、引田天功ばりの身体コントロールを身に付けたりする新鮮さのため、案外と苦にはならなかった。

 春になると。
 くみ取り式の簡易便所の便槽には、無数の蛆が轟き、成長した蝿も出口を求めて飛び交うようになった。後頭部のあたりに突き出た裡電球に照らし出される汲み取り式の便所は、小学校当時の郷愁を誘いはしたが、それでも雨の日などは、いっそ朝まで我慢しようかという気にもなった。小便だけならば、外で済ませてしまう癖がついたのは、蝿と臭いとを避けるためだったが、おかげで母の自慢の花壇の苗は、着実に肥えていった。

 肱野にとってはもはや、これが日常と化していた。
 もっとも神経質だった雌猫も、ようやく躊躇なく部屋に入ってこられるようになった。ベニアを腐らせる雨漏りも、容赦なく入り込む挨も、いつも足を突っ込んでしまう猫のミルク皿の位置なども、苛立ちへは直結せず、次第に形を整えていく新居を検分する回数も減っていった。おおよそ非人間的なプレハブ生活を、最初は楽しみ、後は慣れていく自分の精神が、肱野にとっては頼もしく、また情けなかった。向上心の欠落。冒険心の欠如。なによりも、現状安定志向の自分が、この社会で今以上の地位を得ることはあり得なかった。それを望んでいる肱野でも無かったが、それでも「働かずに暮らしたい」というテーゼは常に心中にあった。それが非現実的な願いだというのは百も承知で、現状に対するストレスにもならないのは、まさに現状安定志向の成せる技だと分析しながらも、じょじょに現実めいてくる住宅ローンの負担は、「死んだら保険金で賄う」という農協の借款契約書の一条項が、唯一の光明と思えた。こと、現実問題の事となると肱野は途端に臆病になり悲観的になる。だから、このプレハブの暮らしが肱野にとっていかに現実離れしていたのかは、そこにいる間の彼の性格の微細な変動に現れていたのである。「家」が「絵空事」ならそこから始まる全ての生活が「絵空事」と思われる。普段と同じ仕事をしていても、実は俺の家は、あのプレハブなんだ、というのは、まるで諜報部の人間にでもなったのと同じくらい、エキセントリックだったのだ。肱野はこうした自分の子供っぽさを自覚していて、あの上棟式で思いの外興奮したのも、仕事がいつもつまらないのも、友人との交流が少なく家にいる事が多いのもみなこの自分の未成熟さのせいなのだと思っている。そんな自分がこれから三十年、毎月決まった、決して小額ではない金を支払い続ける事なんて出来ないだろう。家の完成が近づくにつれて、肱野は憂鬱になっていった。もはや、プレハブは肱野にとっては、何の変哲もない環境になっていた。
 
 家の完成が長梅雨のせいで遅れていた。
 完成後に戻ってくる筈だった妹が、成田に着いたとの連絡が入ると 肱野は一日かけてプレハブの模様替えに汗を流した。
 「どう考えても、もう一人は無理だから増設してもらおう」という父の意見に反発した訳ではない。むしろ、父の意見を聞き流したに違いない大工に対する不審が肱野を駆りたてていた。
 「新築に帰ってこれると考えていた妹がこのプレハブを見て落胆するのは耐えられない」そう思いながら 肱野は「落胆するのは」 と「耐えられない」との間に入る本当の理由であるところの、「妹の機嫌が悪くなって母親とやり合われては、」という言葉を呪文のように繰り返していた。

 程なく妹が帰宅した。
 当初は長旅の冷めやらぬ興奮が環境の劣悪さを覆い隠していたかに見えたが、翌日、届くはずの荷物が空港の税関で足止めを食っているとの連絡が届いてから、一気に急降下した。肱野は、妹と一緒になって税関や宅配便業者の不手際を罵倒し抗議文の作成を手伝ったりした。こういう時、分別臭い役割をすると、相手の苛立ちが際立って自分に対抗してくるものだという事を、肱野は知っていたし、相手は今、分別ではなく同意者を求めているのだという事も承知していたからである。この苛立ちが「プレハブ」という、本当に出口の無い問題へ本格的に波及する以前に、荷物の件は落着し、妹はそれなりにこのプレハブを楽しむようになった。
 
 秋になり、風が涼しくなった。
 肱野と父親とが施肥した裏庭の草花は、それぞれに咲き誇り、夜にはまろやかな虫の音が、幹線道路を走り回るバイクの音を軽減してくれた。
作品名:新築まで 作家名:みやこたまち