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私の読む「源氏物語」ー47-若菜 上ー2

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新しい年がまたやってきた。朱雀院は出家の身でありながらも三宮の源氏との結婚の準備を急がせていた。三宮を我妻にと考えていた人達は源氏の妻になったことを聞いて皆がっかりしていた。帝も三宮を内裏に迎えたいと思っていたのであるが、源氏との話が纏まりかけていることを聞いてあきらめてしまった。
 さて、源氏は今年に四十歳を迎えることになる。帝も源氏が四十の賀を迎えることを聞きそのまま聞き捨てには出来ず、多くの上達部も以前から源氏の四十の賀のことが評判になっていたのでいろいろと源氏を祝う催しを考えていたのであるが、源氏は大層なことを自分のためにすることがあまり好きでない性格から、すべて辞退していた。ところが、
 正月の二十三日子の日に突然左大将の北の方が若返る縁起があるものとして若菜十二種類ををもって祝いに六条院に来訪してきた。この北の方はかっての玉鬘である。彼女は源氏の性格を知っていたので表だって源氏を訪問すればきっと断られると思い。秘密のうちに計画をして関係する者達を固く口止めをして計画を進めていた。左に大将の正婦人である上に太政大臣の娘でもあるので目立たないようにと、こっそりとした行動であっても六条院への道のりは堂々とした行列を組むようになってしまっていた。 
 玉鬘の訪問を受けた源氏の六条院は予期せぬ訪問で源氏の周りの者は慌てて母屋の西側に臨時に設けた室放出に、源氏の座を急いで造り、放出は廂の間などを物で囲って、祝賀の屏風や壁代から始め、古い物を取払って、新しい物で設備した。儀式張って源氏の座として倚子を置くようなことはせず、地敷きを四十枚を並べてその上に茵・脇息そしてお祝いの用品を清楚に並べた。

 本来ならば太上天皇である源氏は倚子を置きその上に腰をかけて祝賀を受けるのが正式の方法であった。四十枚の地敷の上にはさらに、貝摺りの厨子二組即ち四つに、着物を入れる衣箱四つを、厨子一つに二つずつ載せて、箱の中には夏冬の装束を入れて、香壺・長命に関係がある薬を入れた薬箱・硯・髪洗の道具や髪上の道具を入れる箱など現代では最高の細工物が置かれていた。頭を飾る挿し花のを置く台は表面に木目の美しさが表れるようにして紫檀や香木の沈をふんだんに使用して表面に珍しい文様を作ってある。挿し花の細工も金を使って色鮮やかな今風に作ってあった。この細工物は玉鬘が物事の風雅な趣味に冨み、オ気のある人なので風雅に作られてあった。ただし全体的にみると決して派手なところがなかった。源氏を祝う人達が六条院に集まりだして源氏は座に着こうとまず玉鬘に対面した。二人の心の内にはかって父と思った源氏のことや、源氏は玉鬘を自分の女にと思ったことなど過ぎ去った二人の関係が思い出されて気持ちが騒ぐのであった。玉鬘から見ると源氏はまだまだ若く四十の賀などとは、年齢の間違いではないかと思うほど容姿のあでやかで美しく魅力があり、夕霧の親であるなどという様子もなく若々しく、玉鬘は二十歳で源氏の許に拾われるようにして迎えられ、二十三歳で鬚黒に奪われるようにして嫁いで三年隔てた後に、久しぶりで源氏と会うのは内心恥ずかしいのであるが、それでも懐かしくて親しく話をする。玉鬘も二人の子持ちとなっていて、玉鬘は源氏に、「二人の子供をお見せするのは恥ずかしいことでありますが」
 と言うのを夫の鬚黒大将は、源氏様の四十の賀のついでに紹介することはよい機会であるよ、と言うのに従って二人の子供を童子の髪形である振分髪で、無邪気な直衣姿にして源氏に紹介した。彼女は鬚黒を嫌って嫌って半ば強姦されたようにして連れ去られたのであるから、その彼と子供を二人まで造るほどに仲むずまじいと思われるのが嫌なのであった。源氏はそのような玉鬘を見て、
「年を取る事なんか自分では思いもしないでまだ若い者とばかり思っていたので、格別に気にもしていないし、若い気持ちは変わることなく今も元気であるが、
この子達私の孫のような者が生れて来た事で、何となく恥ずかしいほど歳を取ったと自然に思い知らされましたよ。夕霧も知らぬ間に子供を設けたのであるけれども、何となく私が煙たいのであろうかまだ孫の顔を見せにきてはくれない。玉鬘が他の人に先んじて特別に私の四十歳を覚えて祝ってくれる今日の子の日が、本当にうれしく思いますよ、でもやはり、子の日の祝いなんていうものがあるので老人になった事が自然に知らされて情ない気持ちにもなるよ」 
 玉鬘も子持ちの若婦人らしくなりその上、高い身分の北方らしい貫禄もついて見るからに美しい婦人に成長していた。

 若葉さす野辺の小松を引き連れて
      もとの岩根を祈る今日かな
(若葉の芽生えている野の小松のような源氏様の孫達を連れて、私は育てていただいた岩のような源氏様の千秋万歳変りのない繁栄を今日は祈りまする)

 と恥じらいながら歌を添えて沈香の木で造った折敷四つに祝いの若菜を載せてげんじにさしだした。
源氏は杯を取り差し出された若菜を祝儀の形式だけに源氏は口にする。これは祝宴の前に行う儀式で、若菜の羹(あつもの)、辛(から)物など若菜の料理を中椀に盛り、折敷に載せて出す。折敷の数も、料理の数も四十に縁のある四つである。

小松原末の齢に引かれてや
   野辺の若菜も年を摘むべき 
(小松原(孫である子供達)の将来の長い齢にあやかって、野辺の若菜(私)も長い年を積む事であろうか)

 このような祝前のことを玉鬘と和歌なども歌い合っているうちに、祝典に参加しようと上達部達が南廂に集まってきた。  
 紫の父親である式部郷宮は紫の姉でもある自分の娘で元鬚黒の正妻が髭黒が玉鬘に懸想したために離縁になったその女が今日の催しの主役であることから源氏の四十の祝賀に参列しづらく思ったのであるが、招待状が届いたので源氏とは深い親交があるので参加をしないことは源氏に対して申し訳ないことであると考えて日が暮れてから訪問してきた。  鬚黒大将は源氏と婿と舅の間柄ということで得意な様子で、祝いの万事を一手に引受けて世話しているのを見ると式部卿宮が列席したくなかったのも尤もである。宮には不愉快な式典であったが、宮の孫達は鬚黒の子供であるし、紫の甥であるというどちらの縁故からも、労を厭わず一生懸命に細かな雑役を進んで務めていた。

 献上や儀式には籠を木の枝に結びつけるその籠に入れた果物四十枝。折櫃に入れたもの四十。源氏の息子の夕霧中納言をはじめとして源氏と縁故のあるものすべてが手送りで順に源氏の前に並べた。源氏からは参列者みんなに椀が渡され祝いの若菜の汁である羹を配られた。源氏の前には沈香の木で作られた折敷を載せる台四つと、椀や皿食器などを、今風に賑やかでもあり素朴でもあるように調えて載せられてある。源氏の兄の朱雀員院の病気のこともあるので楽を奏する者は集めることはなく、ただ太政大臣のみが笛を持参して、
「この世にはこの祝賀会より立派なものはあるまい」