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私の読む「源氏物語」ー19-

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源氏の便りを貰ったここ京では、貰った人たちすべてが、それぞれ読んで源氏の境遇に心を痛める者ばかりであった。二条院の紫は、源氏と別れてから床に臥したまま尽きぬ悲しみに沈んでいるので、側に仕える女房達はどう慰めて良いのやら細く思っていた。
 源氏が日頃使っていた調度品などや、弾きひきこまれていた琴、脱捨ててある着物の薫りなどにつけても、この世にいない人のように思ってしまっている。もっともなことだと一同は思う反面縁起でもないことで、乳母の少納言の女房は紫の兄である北山の僧都にご祈祷をお願いした。源氏と紫二人のために御修法も願っていた。僧都は源氏の早いご帰京を祈る一方、「このように悲しんでいる京に残された者達の悲しい気持ちをお鎮めくださって、安らかな気持ちにさせて下さい」と、紫の気持ちを推し計って祈りを捧げた。
 旅先でのご寝具など、作ってお届けなさる。 目をこまかく固く織った絹布で夏の初めに着る縑のお直衣、指貫、次々と作られていくのを見てても源氏の居ないことが悲しいのに、最後の別れの日に源氏は
「身はかくてさすらへぬとも君があたり
  去らぬ鏡の影は離れじ」
 と詠い、
「別れても影だにとまるものならば
  鏡を見ても慰めてまし」
 と紫は詠って返したそのときの源氏の面影が一瞬たりとも目から離れないのも道理である。
 紫は源氏が始終出入していたあたりをじっと見つめては今にも夫の源氏が入ってくるような気がする。源氏が良く寄り掛かかっていた真木柱を見ると「わぎもこが来ては寄り立つ真木柱そもむつましやゆかりと思へば」という歌が浮かんできて胸が塞がってくる。物事の分別がつき、世慣れた年輩の人でさえこのような場合の悲しみは相当ひどいものであるのに、幼少の頃より馴れ親しみ、父母になりかわって育てられ紫にとって、源氏を恋しく思うのはもっとものことである。この世から死に去られてしまうのは、何とも言いようがないが、もうこの世には居ない人であるのでだんだんと忘れることもできようが、須磨は聞けば近い所である。少し遠いところではあるが行こうと思えば行けるところである、ただ何時までという期限が定まっていない別れ別れがと、思えば思うほど紫の悲しみは尽きないのであった。

 源氏の文を受け取った藤壺も、春宮の将来のことを考えると後見人の源氏が居ないことで嘆く事は言うまでもない。いろいろとあった源氏との仲を考えると、普通の気持ちではいられない。近頃はただ源氏に対する世間の評判がもう一つ良くないので、「少しでも同情の素振りを見せたら、それを種に非難の声が挙がるのではないか」と考えて、藤壺は一途に堪え忍んで、源氏に愛情なんかないようなふりをして、わざとそっけない態度をとるのであるが、「いま世の中に源氏の噂が多く流れているが、私と情愛を重ねたことが、少しも噂されることがないのは、源氏が一途であった恋心の赴くままに行動するようなことがなかったために無難に隠すことができたのだ」。藤壺はしみじみと源氏が恋しい、あの二人の熱くなって抱き合った情愛をどうして思い出しになれずにいられようか。返事も、いつもより情愛こまやかに、
 「このごろは、ますます、
 塩垂るることをやくにて松島に
     年ふる海人も嘆きをぞつむ
(涙に濡れているのを仕事として出家したわたしも、嘆きを積み重ねています)


 朧月夜の尚侍の返事は、

 浦にたく海人だにつつむ恋なれば
   くゆる煙よ行く方ぞなき
(須磨の浦の海人でさえ人目を隠す恋の火ですから、人目多い都にいる思いはくすぶり続けて晴れようがありません)
 今さら言うまでもございませんことの数々は、申し上げるまでもなく」

 とだけわずかに書いてあり、別に中納言の手紙の中に同封されていた文は、嘆き悲しむ様子など、細かくたくさん書かれてあった。源氏は朧月夜と話をしても同じ床で臥して抱き合っていても、とても情の深いいとしい女であったと想い出して、涙を流してしまった。

 紫の手紙は、妻として格別に心こめた返事なので、源氏の胸をしみじみと打つ言葉が多く書かれていた。

 浦人の潮くむ袖に比べ見よ
     波路へだつる夜の衣を
(あなたのお袖とお比べになってみてください、遠く波路隔てた都で独り袖を濡らしている夜の衣と)
 源氏に送ってきた紫からの衣類の色合い、仕立て具合など、実に良く仕上がっていた。何事につけても上手に出来るようになった紫を、源氏は自分の思い通りに成長したと思い、
「考えてみると今までは余計な女に気を奪われて、紫の成長にかかわることも少なく、二人で落ち着いて暮らせるはずだったのに、そうしなくて」と思うと、こんな辺鄙なところに流れてきて自分の間違った道に気ずいてひどく残念であった。昼夜紫の面影が目の前に浮かんで堪えられない、源氏は「やはりこっそりと紫をここ須磨に呼び寄せようか」と考えてみた。だがまた一方で、「どうして出来ようか、このように難しい世であるから、せめて自分の罪だけでもここにいて消滅させよう」と考えると、そのまま仏道精進の生活に入って、明け暮れ仏前にお勤めをした。
 左大臣邸に過ごす我が子から返事などあるにつけ、とても悲しい気がするが、「いずれ再会の機会はあるであろう。信頼できる人々が後見に付いているので、不安なことはない」と、思うのは、真に子供の成長を思う親であれば、かえって子供の成長にいろいろと思い煩わすことがないのであろう。

 そうそう、紫や朧月夜のことで頭が一杯で言い落としてしまったことがあった。源氏はあの伊勢斎宮の六条御息所へも使者を出していた。伊勢からは遠路見舞いの使者がわざわざ須磨まで尋ねて来てくれた。御息所の文の文面は驚くほど情感に溢れたもので、言葉の用い方、筆跡などは、誰よりも優美で彼女の教養の深さがまたもって源氏の心に響いた。
「私は貴方の今回の須磨落ちを依然として現実のこととは思えません、貴方の文面や使いの方の話でお住まいの様子を想像いたしますと、無明長夜の闇に迷っておいでであるのではとしか思われません。そうは言っても、そちらでの生活は長の年月とは思えません、そう考えるとこれまでの罪障深いわが身だけは、再び貴方にお目にかかることが本当に遠い先のことでしょう。

 うきめかる伊勢をの海人を思ひやれ
     藻塩垂るてふ須磨の浦にて
(辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし、やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から)
 いろいろと世情のことを考えますと心が乱れます。私たちにはこれから先どのような運命が待っているのでしょうか」
 と、御息所の文は多くのことが書かれていた。

 伊勢島や潮干の潟に漁りても
    いふかひなきは我が身なりけり
(伊勢の海の干潟で貝取りしても何の甲斐もないのはこのわたしです)
 ひとり歌を詠いしみじみとした気持ちで、源氏への文を筆を置いては書き置いては書き長考しながら、白い唐紙、四、五枚ほどに書き上げて継ぎ紙にして巻いてやっと書き終えた。墨の付け具合などは素晴らしいものであた。
 御息所の文を読み終えて源氏は、