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生と性(改稿版)

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 尚樹が素っ頓狂な声を上げた。恵美は一心不乱に腰を動かし続ける。恵美の中で尚樹のペニスは張り裂けそうなほど漲っていた。おそらくは、初めて得る快楽なのだろう。
 尚樹の手が恵美の乳房に伸びた。先端の突起を指で摘み、弄んでいる。そんな直樹を、恵美は慈しみ深い眼差しで見つめた。
「ああっ、尚樹さん、いいっ……!」
 相手が自閉症だろうが、知的障害があろうが関係なかった。繋がっている時は「男と女」でありたかった。
「尚樹さん、頂戴……」
「おう、おう、うひぃ!」
 恵美はどれほど腰を振っただろうか。肉と肉が揉みくちゃになりながら、絡み合っていた。恵美はそんな尚樹のペニスが武者震いのように跳ねたのを感じた。尚樹が射精したのである。
「あははははは!」
 尚樹が屈託のない笑顔で笑った。尚樹が上体を起こし、恵美に抱きついてくる。自閉症はよほどのことがない限り、自ら他者との関わりを持とうとはしない。それでもその時、尚樹は自ら恵美との関わりを求めてきたのだ。その尚樹の態度も微笑みも、恵美には素直に嬉しかった。

「お母さん、終わりましたよ」
 着衣した恵美が、居間にいる尚樹の母親に声を掛けた。母親はハッとしたような顔をして振り返った。すると、途端に口が「へ」の字に曲がる。
「ううっ、ありがとうございます。あんな息子でも、身体は大人になっていくんです。苦しんでいるあの子の姿を見るのが辛くて……」
 母親はハンカチで目頭を押さえた。上品なマダムの顔はクシャクシャだった。
「尚樹さん、最後笑って、私に抱きついてきたんです」
「あの子が、笑ったんですか?」
「ええ、声を出して笑いましたよ」
「私、あの子の笑顔なんて今まで何度も見たことがなかったわ」
 恵美は尚樹の母親の隣に座った。母親はまだ涙ぐんでいる。
「お母さんも、よく決心してくれましたね」
「随分と迷いました……。でも、このままじゃ、そのうち事件でも起こすんじゃないかと思って。そうしたら養護学校で同級生だった鈴木さんのお母様からあなたのことをお聞きして、藁にもすがる思いでしたわ」
「また、声を掛けてください」
 恵美は明るく言った。母親は「ええ、是非」と言って、謝礼の入った封筒を渡した。恵美がそれをバッグに仕舞った。その仕草が少しも卑しくなかった。
「それじゃ、今日はこれで……」
「良かったら、お茶とケーキでも召し上がっていってくださいな」
 母親が立ち上がった。恵美は「どうぞ、お構いなく」と言ったが、母親は冷蔵庫からケーキを取り出している。上品そうなモンブランだ。そして、母親は紅茶を淹れる。その仕草は憑き物が落ちたように晴れやかだった。
 恵美の前にモンブランと紅茶が置かれた。恵美はここまできて固辞するのも失礼にあたると思い、それを頂くことにした。
「でも、お母さんもかなり迷われたでしょう。本当によく決心なさいました」
 恵美は母親の顔を覗き込むようにして言った。
「今までは主人が男性誌を買い与えていたくらいで済んだんですが……」
「先日、路上で女性に抱きついたとおっしゃいましたけど……」
「そうなんですよ。今まではそんなこと、絶対にしなかったんですけどね。もうこのままじゃここに暮らせなくなると思いまして……」
 母親が伏目がちに言った。その瞳はどこか物憂げだった。
「そんなことがあったから、余計にね、あなたにお願いしなくちゃって思ったの。最初はどうなのかしらって思っていたんですけど、今は感謝しているわ」
 そう言った時には、母親の瞳は力強さを湛えていた。息子に良い思いをさせることができて満足なのだろうと恵美は推測するが、その奥深くには未だ葛藤の陰が見え隠れしている。初回の客はだいたいそんなものだと思いながら、恵美はモンブランを口に運んだ。

 恵美は帰りの電車の中で、尚樹の笑顔を思い出していた。母親は彼のことを「滅多の笑わない」と言った。その尚樹が肉の交わりで快楽を得た時、声を出して笑ったのだ。それは尚樹の人間性を感じさせる笑顔だったのである。そんなことがあると、ますます自分の仕事に遣り甲斐を感じる恵美だった。
 恵美は障害者専門にセックスをして日々の糧にしていた。その半数以上は知的障害者だった。
 恵美は福祉系の大学を卒業した。しかし、折からの不況で就職は決まらなかった。そこで選んだのが、障害者専門の性処理だったのだ。もともとセックスは嫌いではなかった。むしろ、性欲は強い方だと恵美は自覚していた。
「あいつは淫乱だ」
 そんな中傷する声が大学時代、恵美の耳に届いたこともあった。だが、女性だからといって、性欲を抑える必要が果たしてあるのか、恵美には甚だ疑問だった。だから、この商売を選んだ時も躊躇いはなかった。障害者の性の問題は、それこそ「臭いものに蓋をする」ように、取り上げられることが少なかった。誰もその領域に踏み込むのに躊躇しているように恵美には思えたのである。しかし実際、性的な介助をやってみると、今日のように感謝されることの方が多いではないか。恵美の仕事は障害者同士、またはその親同士の間に口コミで広がり、今では顧客も多い。恵美は自分の仕事は障害者の「性介助」だと自負するようになっていた。
 そんな恵美でも最初は障害者が哀れで仕方なかった。大学では障害者福祉論において、ノーマライゼーションの理念を学び、障害者も健常者も平等であること、共に社会を構成する一員であり、その自己実現に向かっていくことの大切さを学び、それを頭ではわかっているつもりだった。しかしながら、一度根付いた「哀れ」という感情は、そう簡単に消せるものではなかった。学生時代、ボランティアサークルに所属し、障害者との交流を持っていたが、やはり「哀れ」という感情が先走ってしまっていた。
 しかし、今は違う。今日のように快楽を共にするだけでなく、「笑い」という人間味を尚樹から引き出すことができた。こんな時、恵美は相手に一個の人間性を見出すことができるのだ。それに、肉体の交わりと障害者も健常者もなかった。快楽を通じ、自己実現の一部を共有する。そんな感覚が恵美には芽生えていたのだ。
(そうね、快楽ね……)
 恵美の女の中枢は、まだ尚樹のペニスの感触を覚えていた。下半身が痺れるように、まだ熱かった。
 恵美がぼんやりと物思いに耽って歩いていると、帰帆駅に到着した。今日はもう一人の知的障害者のところへ赴く予定だった。
「よし……」
 恵美は口元に微笑を浮かべて席を立った。

 その男の子は山口昭雄という。帰帆養護学校高等部の三年生である。恵美が訪問するのは今日で三度目だ。昭雄は同じ養護学校高等部の女子に興味を持ち、執拗に関係を迫ったことがあった。そこで恵美に相談を持ちかけられたのだ。知的障害としては軽度の方で、意思の疎通にもさほど困難は感じられなかった。
 駅を降りた恵美は、バスに乗って昭雄の家へ向かう。昭雄の家は駅からも少し離れた農家だった。バスに揺られながら、恵美は昭雄のややもすると卑屈な笑い顔を思い浮かべていた。軽度の知的障害ともなれば、女性への関心が高いのはもちろん、多少、性の知識もある。初回こそ緊張していた昭雄だが、二回目の接触からはその行動も大胆になっていた。
作品名:生と性(改稿版) 作家名:栗原 峰幸