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銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第一部

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第一章 プロローグ

 それは、2014年秋のある日のこと。
 旅に出ようと思った。

 三度の飯より好きなプロ野球も、首を長くして待っていた今シーズンも、開幕したばかりというような気がしていた。ところが、あっという間に時が過ぎ、気がつけば福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ制覇という形でシーズンが終わっていた。今は選手の移籍や契約更改などが話題となる〝ストーブリーグ〟の時季だ。
 一昨年、昨年と、この時季における〝野球中毒〟の禁断症状がひどかった。しかし、不思議と今年それがほとんどない。応援している広島東洋カープの試合を何度も見に行ったし、それを通じて素晴らしい出会いにも恵まれた。カープは今年も悲願の優勝を逃してしまった。それでも、個人的には幸せで充実したシーズンを過ごせた。
けれども、その代わりに、〝旅中毒〟の禁断症状に襲われていた。どこかへ行きたくて仕方がない。禁断症状が出始めた頃は、紅葉シーズンだった。なので、紅葉の名所である東京の小金井公園とか、秩父の長瀞、国分寺市にある殿ヶ谷戸庭園や新座市にある平林寺などに行って来た。特に殿ヶ谷戸庭園と平林寺は、ちょうど紅葉の最盛期に行った。それに、初めて行った場所だったこともあって、なかなか面白かった。だが、小金井公園と長瀞は何度も行っている場所。確かに景色はきれいだったけれど、何か物足りないことこの上なかった。もはやこの禁断症状も、重篤だった。

 そんなある日、何となくフェイスブックを見ていると、銚子電気鉄道というローカル私鉄のページが更新されていた。銚子電鉄はその名の通り、千葉県の銚子市を走る路線だ。それを見てみると、1994年に登場して以来、20年近くの長い間に渡って沿線住民や観光客の足として走っていた、〝デハ1000形〟という電車の1002号車が、来年の1月で引退するということが書かれていた。この〝デハ1000形〟は、東京メトロの前身、営団地下鉄の〝2000形〟として登場した。銀座線という大動脈を走っていた電車だった。営団地下鉄時代も結構長く走っていたので、実に半世紀は走っていると思う。
 重篤な〝旅中毒〟の禁断症状は、日に日に悪化していた。とにかくどこか遠くへ行きたかった。しかし、残念なことに、すぐにどこか遠くへ行けるという状態でもなかった。それでも、年末か年始にどこかへ行こうと考えていた。行き先は決まった。この機会に、銚子へ足を運ぶことにした。たくさんの思い出が詰まった電車の、最後の雄姿を見届けるために。

 銚子に行くことに決めた。けれど、1002号車の引退前のいつに行けばいいか悩むところだった。そこで、2014年の総決算として、相当無謀な話かも知れないけれど、12月31日に行くことにした。ある人によると、年末は列車も街も混むけれど、31日は思いの外、列車も空いているし、街にも人がいないのだという。大晦日の旅とは、何だか印象に残りそう。

 実は、今年の4月にも銚子へ行って来た。その前の1月に発生した脱線事故の影響を受けて、ほぼ30分間隔で走っていた列車の本数が、大幅に減便されてしまった。そのために、行動の幅も狭まってしまったように思った。何だか銚子の魅力も減ってしまったような、そんな気がした。なので、しばらくは銚子にも行くこともないだろうな、と思っていた。それなのに、思いもよらず、前回から1年も経たないうちに、また銚子へ行くことになってしまった。世の中、何が起きるか分からない。
 銚子へ行く時、東京駅からいつも乗っている特急列車がある。特急しおさい1号という列車だ。それが銚子駅に着いてから、ちょうどいいタイミングで発車する外川行きの列車があった。だが、その列車も惜しいことに、減便された際になくなってしまった。代わりに、銚子駅から外川行きのバスがある。4月に来た時には、それに乗って外川まで向かった。今回は、本当に行き当たりばったり。あまりいろいろと深く考えてはいない。歩いたり銚子電鉄に乗ったり、場合によってはバスに乗ったりという形で移動しようと思っている。〝自分探しの旅〟でもある今回の旅。さあ、どんな旅になるだろうか。
 そうだ。旅に出る前に、この旅の重要な要素となるいくつかのエピソードも語っておかなければ。


第二章 思い出の電車

 今回の目当ての一つである〝デハ1000形〟が、営団地下鉄の〝2000形〟という電車だったことはすでに述べた。ここでは、その〝デハ1000形〟の正体と、それにまつわるエピソードを語ろうと思う。と言っても、電車の構造とか、メカニックな部分などに関することは僕にも分からない。なので、それについて興味がある方は、インターネットの〝ウィキペディア〟などでお調べいただくことにしよう。この章を書くにあたっての調べごとは、僕も〝ウィキペディア〟を参考にしたのだから。

 さて、〝デハ1000形〟の前身、営団地下鉄〝2000形〟は、1959年に登場した電車で、1993年に営団地下鉄から引退した。
 通勤型車両は全長20メートルという車両が多い中、〝デハ1000形〟は全長が16メートルと小さい。今でも、〝デハ1000形〟が元いた東京メトロ銀座線の車両は、全長が16メートルだ。銀座線は日本初どころか、東洋初の地下鉄として戦前に開業した路線。ゆえに、トンネルなども小さいかららしい。今でも銀座線を走っている〝01系〟とか、銀座線で最新の〝1000系〟も、全長が16メートルだ。

 銀座線用として登場した〝2000形〟だが、ほんの一部は丸ノ内線の中野坂上駅と方南町駅を結ぶ支線でも使われていた。その中に、引退する1002号車も含まれていた。丸ノ内線に移籍した際に、塗装もそれまでのオレンジ色から赤い車体に白い帯というものになった。その塗装は、丸ノ内線を走っている他の電車と統一するためだった。しかし、白い帯にあったステンレス製のサインウェーブの装飾は省略されていた。
 営団地下鉄での引退後、運転台やパンタグラフの取り付けなど、払い下げ向けに改造が施された。その改造を行った車両の全てが日立電鉄に払い下げられる予定だったらしい。しかし、同社の計画見直しで、2両が銚子電鉄にやって来た。ちなみに、その2両も払い下げられるはずだった日立電鉄は、2005年に廃線となっている。
 この〝デハ1000形〟が銚子電鉄に来た頃は、茶色と赤のツートンカラーという出で立ちだった。それが銚子電鉄の標準的なカラーリングだった。

 僕が初めて銚子電鉄を訪れたのは、2009年の晩夏だった。その頃は、1001号車も1002号車も装いを変えていた。1001号車は〝ハドソン〟というゲームメーカーの支援を受けて『桃太郎電鉄』というゲームのラッピング電車となっていた。水色がベースで、そのゲームのキャラクターがたくさん描かれていた。一方の1002号車は、『鉄子の旅』というマンガの作者が考案したデザインの塗装をまとっていた。オレンジ色と紺色のツートンカラーだった。個人的には、夕陽と海をイメージできる素敵な塗装だったので、〝鉄子カラー〟の方が好きだった。あまりゲームにも興味がないということもあるけれど。