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また独りぼっちの夜が始まる

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『また独りぼっちの夜が始まる』
 
 ミナコの夢は家族を持つことだった。ずっと一人だったから。
八歳になったとき、母親は彼女の手を引いて故郷を出た。列車に乗り、一時間ほど離れた駅に置き去りにしてどこかに消えた。
「ここで待っていて」とミナコに言い残し消えたのである。
駅の入り口で、大きな柱があるところであった。目の前には、大きな仕掛け時計があった。一時間おきに人形が出て音楽に合わせて踊る。置き去りにされた彼女は、その時計を見ながら、ずっと母親が来るのを待っていた。お腹が空いて、どうしょうもなくなったとき、泣いた。泣くと同時に倒れた。沢山の人が集まった。……その後のことはよく覚えていない。ただ、その日を境にして孤児院で暮すようになった。働きながら高校を出た。そして、東京に出た。二十二歳のとき、恋をした。恋した男は見かけ優しかったけれど、偽りだった。無類のギャンブル好きで、有り金を全てギャンブルに注ぎ込む。優しい仮面をつけて、彼女に言い寄り、恋人役を演じた。恋に落ちた彼女は、金を巻き上げられ、やがてごみのように捨てられた。家族になることを夢見た結果が、このざまである。一年前のことだ。

 男に懲りたはずのミナコが再び恋に落ちた。男に誘われホテルで一夜をともにした。朝、目覚めると 男は既に起きていた。ミナコはシャワーを浴びた後、髪を拭きながら、男に話かけた。
「昨日、夢を見た」
「どんな夢?」
ミナコは笑った。
「あなたと一緒になる夢」
 男も笑った。腹を抱えるように。
「本当に?」
「馬鹿げているよね。突然、そんな夢を見るなんて。でも、覚えていないかもしれないけど、平凡に家族を持ちたいというのが私の夢なの。身寄りもお金も何もないのに」
「分からないけど、そんな難しいことではない」と男は言った。
「そう思うなら、そうして」という言葉が喉まで出かかったが止めた。
「都会では、とても一人で生きられない。特にミナコのような女は」と男は窓の外を見た。
「いいの。心配しなくても。あなたと本気で家族なろうと思っていないから。だって、余りにも何もかも違いすぎることは気付いている。あなたに抱かれるのも良くないと分かっていたけど、抱かれてしまった。ときどき、誰かが傍にいないととても不安なるの。特に休みの日は。昨日がそうだった。……何もすることがないから。みんな、趣味を持てというけど、何も興味が湧かないの。食べることとセックスだけが楽しい。おかしい? おかしいわね。二十歳を過ぎているというのに、そんな楽しみがなんて。まるで動物みたい」とミナコは笑った。
男は笑わなかった。下着姿の彼女が机の鏡に映っている。男はそれをさっきから見ていた。
ミナコは男のことを良く知らない。男は彼女に金山だと名乗った。それは本名ではなかった。適当に浮かんだ名だった。名前だけではない。会社も、生まれも、住んでいるところも、みんなでたらめだった。騙すつもりはなかった。ただ深い関係になりたくなかっただけのことである。男には恋人がいた。ヨーロッパに行っている。再来週には、日本に戻ってくる。その恋人が不在の間、ミナコと遊んだだけなのだ。
 男は部屋から出たかった。けれど、ミナコはなかなか服を着ない。
 男は笑みを浮かべて「もう出ようよ」と言った。
 優しげに言っているけれど、それは上辺だけ。有無を言わせない強いものが、その奥にあった。
 ミナコは急いで服を着た。振り返ると、男はもう部屋を出ようとしていた。
 ホテルを出るまで、男は何も話さなかった。
 ホテルを出た。
 男は言った。
「分かっていると思うけど、俺たちはもう今日で終わりだ」と男は事務的に告げた。それもミナコの顔を見ずに。そんなところに狡さを感じながらも、ミナコは、「分かっている」と呟いた。
 男が別れ話をすることは前から分かっていたこと。ミナコは、そう自分に言い聞かせた。不思議な話だが、ほんの一時、彼と家族に夢を見られたことを幸せと思えた。
「私も最初から本気ではなかったし……」
強がらないと、ミナコは自分が惨めで泣き崩れるかもしれないと思った。
「そうだよな。君が本気だとは最初から思っていなかった……俺は遊んだつもりだったけど、ひょっとしたら遊ばれただけかな」と男は笑った。笑いの中に安堵の色があることを隠さなかった。
 交差点に来た。
「さようなら」とミナコは呟いた。
 男は何も言わなかった。振り返ったとき、男の姿はなかった。あるのは灰色の空に舞う枯葉……もうすぐ秋が終わる。秋が終われば冬。そしてクリスマス。これから、また独りぼっちで過ごす夜が続く。その寂しさを想像したとき、ミナコは笑うしかなかった。行き交う人が怪訝そうな顔で通り過ぎて行くのを気にせず笑った。