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消えた花嫁

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『消えた花嫁』

突然、一人の女性が将来結婚を誓った男の前から消えた。婚約しようとした矢先のことである。その女性の名は若山ユキナ。二十三歳。彼女は誰の目から見ても幸せの絶頂にいた。結婚相手はA温泉でも老舗として有名な旅館の長男である館川ヒロシであった。
館川は慌てふためいて探偵事務所にユキナを探して欲しいと依頼した。探偵に一通の手紙をみせた。ユキナが書いたという手紙である。今時の若い女とは思えない知的な文章であった。最後に『さようなら。探さないでください』と記された。
探偵が呆れるほど、取り乱していた。
「何が起こったのか分からない。狐につまれたみたいだ。あんなに結婚式を楽しみにしていたのに……」と絶句した。

探偵は手掛かりを得るために彼女の実家に連絡した。驚いたことに、実に冷淡だった。親子四人の家族であったが、血がつながっているのは母親のみであった。その母親とも数年来連絡をとっていなかったのが分かった。
「親子の縁はもう切りましたから、娘のことで電話しないでください」と母親は言った。
 どうやら、事情があって数年前に親子の縁を切ったようだ。

彼女のアパートに行ってみたが、引っ越しした後だった。探偵は館川に「簡単に探し出せない」と言った。すると、彼は「お金は幾らかかってもいいから探して欲しい」と応えた。

探偵は彼女の友人や知人にいろいろと聞いてみた。その中の一人が「港の近くに叔母がB市にいるとか言っていた。困ったら、そこに行くと言っていた。昔の話だけど」と教えてくれた。そこを探すのは難しい話ではなかった。なぜならB市は偶然にも探偵の生まれたところだった。当然ながら知り合いもたくさんいたからである。
 数日後、簡単に彼女を見つけたことができた。探偵の知人が経営するバーのホステスをしていたのである。探偵は彼女に会った。
「どうして消えた?」
彼女はゆっくりと答えた。
「幸せすぎて怖かった。それに不釣り合いでした。あまりにも。とても結婚してもうまくいくとは思えませんでした」
意外な回答に探偵は驚いた。
本来なら、理想的な男と結婚できるなら、どんな女でも舞い上がるはずである。それなのに彼女は冷静に分析している。
「何もかも違いすぎます。生まれも、育ちも。どんなに頑張って、とりつくろっても、やがてぼろがでます。それに友達が言っていました。どんな愛しても一年も過ぎれば冷めると。冷めたときが怖い。私には、何も頼るべきものがないのです。もし、彼にぼろ屑のように捨てられたなら、二度と立ち直れないでしょう。それならば、幸せのうちに自分から離れよう。そうすれば、美しい思い出は残ります。その思い出を頼りにすれば、独りぼっちでも生きていけるとも考えたのです」
探偵は彼女の冷静な判断に脱帽した。
確かにヒロシが執着するほど美しい。だが、どんなに美しくとも、やがて色褪せていく。その前に男は飽きてしまうのが通例だ。それに彼のような資産家でハンサムな男なら、いろんな女の方から言い寄られる。その色香に惑わされずに生きるのは至難の業だ。
「見つからなかったと答えてください」と彼女は言った。

 数日後、探偵は彼のマンションを訪ねた。
 驚いたことに、もう若い女を部屋に引き込んでいた。「何があっても、どんなにお金がかかっても、探し出してくれ」と懇願した一か月後のことである。
「忙しそうですから、出直しましょうか?」と探偵が言うと、彼は女に帰るように言った。そして探偵を部屋に入れた。
「見つかったのか?」と彼は尋ねた。
「まあ、手掛かりはありました。もう少し調べれば、見つけられます。余計なお節介かもしれませんが、あなたは本当に愛せますか? 世の中にはロミオとジュリエット効果といわれるものがあります。反対されれば、反対されるほど燃えあがるというものです。失礼ですか、あなたに当てはまると思います。これから先ずっと彼女を愛せますか? 無理のような気がします。その証拠に、あなたはもう若い娘を部屋に入れている。別に悪いと言っているわけではありませんよ。でも、よく考えてください。あなたと彼女は天と地の開きがあります。これから十年、彼女を愛し続けられますか? 無理でしょう。何より彼女を知らな過ぎるような気がします」
 彼は「実を言うと、僕もそう思っていました。彼女が消えた直後、気が狂いそうになりました。けれど、一週間、二週間と過ぎていくうちに、彼女がいなければ死にたいという気持ちが薄れていきました。一か月が過ぎた今、彼女が他の男と一緒にいると言われても許せるような気がします」
「そうですか。ならば、探すのはもう終わりにします」と探偵は彼の元を去った。

 探偵は館川ヒロシの父親を訪ねた。父親は策士として有名だった。目的を達するためには手段を択ばない男である。探偵はある段階からユキナが消えたのはわけがあると思った。そして、ユキナが失踪の三日前に父親に会った事実を知ったのである。
「今回の失踪事件の絵を描いたのはあなたですね。彼女に消えるように言ったのも。彼女の友達と称した女が、私に彼女に行き先を教えたのも。みんな、あなたが描いた」
彼の父は微笑んだ。
「運命というものがある。それに逆らってはいけない。誰もが。あの二人は結ばれる運命にはない。ただそれだけのことだ」と呟いた。

 数か月後、探偵は館川ヒロシは地元銀行の頭取の娘と婚約したという話を人伝に聞いた。
作品名:消えた花嫁 作家名:楡井英夫