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卒業

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インクは入った。原稿用紙の端に試し書きに波線をにょろにょろっと書き、滑らかなインク線を確かめると かすれた線の上をなぞった。また思いの言葉を綴った。
「やっぱり こっちのほうがいいな」
「どれにゃん?」
「あ、いつの間に… いらっしゃい」
キミが ボクと机の間に入り込む。滅多にしたことのないことだ。ボクは 少し机から椅子をずらしその隙間を開けた。
「寒かった」
ボクの記憶にかすかに残っていたもふもふとした手袋の肌触りを 今、実感した。
その手袋の表面は 外の寒さをボクに伝えた。ボクは、ボクの頬を両手で包むキミの体を抱きしめた。玄関で脱いできたコートの下のキミは暖かかった。
「ごめん。気が付かなかった」
「にゃん…」
やや不満混じりの言いかたをするキミの顔は、やっぱり可愛い笑顔だ。
「お願いがあるの」
「ん?なに…かなぁ」
ボクの頭の中に 駆け巡る。
あらゆる今までの思い出や出来事。足りない言葉。思いがけない注文。指を食うな。あーんと迫るあの甘さ。ふと見せる涙。ここぞというときの頑張り。
訊いてしまえば なぁんてことないことかもしれないけれど この謎かけがボクへの刺激。

「もうすぐ卒業」

そっかぁ…  これだったかぁ…

『私、春から学校へ入ります』といってから 四季をふたまわり。
会社を失くしたキミのお父さんの再出発に キミに託した思いを受けて 通信教育講座で学んだあれこれ。秘書技能検定を修得することや接遇マナーに通じる習い事。それからお料理。それから……、いっぱいあったね。ボクも助けられたこともあった。
そんなキミの頑張りにボクは役立ったのだろうか。
『きちんとできるなら あなたとの交際も認めてくれるって、父が申しておりますが如何でしょうか?』
キミのお父さんの評価はどうなのだろうか。
キミだけの頑張りに ボクとキミの仲を任せてしまったボクは 卑怯者に思われていないだろうか? 頼りない奴だと思われても仕方がないかもしれない。
そして、あの約束は、まだ有効なのだろうか。
キミのお父さんの新事業に ボクを雇ってくれるという契約。
今のボクなら 食べていける。贅沢とはいかなくても キミを守っていける。
その程度の蓄えと仕事はこなしている。

それに、キミも公私ともにしっかりした女性だ。可愛らしい女の子だ。
もしかして、ボクを卒業したいって言うかもしれない。

作品名:卒業 作家名:甜茶