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キツツキ、翔んだ

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コチコチに冷えた空気が、窓からしのびこんでくる。
 五秒、十秒、一分、二分……。
 やがて、鼻のおくがつんとしびれて、めがしらがじんと熱くなる。
 五分、十分、十五分……。
 それでもぼくは、窓を開けたままでいる。窓の外は、幹に霜をはりつかせながら、りんとして立っている冬の森。
「おはよう」 
 ふと思いついたぼくは、声にだして言ってみた。
 答えはなかった。
 ひょっとしたらぼくの「おはよう」は、声にだしたとたんバリッとこおりついて、窓からころげ落ちてしまったのかもしれない。窓の下には「おはよう」のかけらが、こなごなにちらばっているのかもしれない。
 そう思って、窓から身をのりだしてみたけれど、もちろんそこにはなにも落ちていなかった。
 当たり前だ。
 ぼくの「おはよう」は誰にも届かない。
「おはよう」と声をかける人なんて、ぼくには一人もいないのだ。

 一年前の冬、ぼくはこのうちにやってきた。
「孝太くん、だったな。気に入ったよ。きみのこと」
 あの日、いきなりぼくを書斎に呼びつけて、坂口さんは言った。
 冗談みたいに大きな書斎机の後ろで、坂口さんは葉巻をくゆらせていたっけ。まっ赤なじゅうたん。豪華なシャンデリア。
 なにからなにまで「金持ち」そのものに見えた。
 なぜか窓がぜんぶ開いていて、ぼくはがたがたふるえながら、坂口さんの前に立った。
「似てると思わないか?」
「なにが?」
「わたしときみだよ」
 坂口さんが、葉巻の煙をふーっとはきだした。
 ぼくは、坂口さんをにらみつけた。ぼくとこの人がにてるなんて思えなかった。ぼくは金持ちだとか、なに不自由なく育ったやつだとかを憎んでいた。
「そうそう。その目だよ」
 坂口さんは、満足そうにうなずいた。
「ところできみ。学校は好きか?」
 とつぜん、坂口さんがそうきいてきた。
「あんなとこが好きなやつは、みんなどこかおかしいんだ」
「よろしい」
 坂口さんは、ますます満足そうに笑いながら、
「わたしも学校は馬鹿が行くところだと、そう思うよ。なにも無理して行くことはない。いい家庭教師がいる」
 坂口さんが立ちあがった。たるんだ腹がだぶだぶゆれて、ぼくは思わず目をそむけた。開け放した窓のところまで行くと、坂口さんはふりかえって、ぼくを呼んだ。 
「ちょっとこっちへ来なさい」
 ぼくが横に立つと、坂口さんは言った。
「みえるか」
「なにが?」
「あの森の木が、さ」
「そりゃあ……見えます」
「すばらしいだろう。どんなに寒くても森の木は、何にも寄りかからず、まっすぐに立っている」
 ぼくは坂口さんの顔を見上げた。だらしなくゆるんだ二重あご。死んだ魚みたいな目。とてもこんなことを言い出す人には見えなかった。
「いいか。ごちゃごちゃ寄り集まるのは、人間のクズのすることだ。きみはきょうからこのうちの人間になるわけだが、わたしのことを父さんなどと呼ぶ必要はない。わたしときみは親子にはなれない」
 坂口さんの言っていることが、ぼくにはよくわかった。
「そのかわり、ここにいればたいていのものは手に入る。お金のことは心配いらない。必要な教育だって受けさせる。だからきみは、あの森の木のように生きるんだ。いいね」

 正直いって坂口さんのことは、好きになれなかった。
 だけどそんなことは問題じゃない。
 いくつもの会社を経営している坂口さんは、ぼくと顔をあわせることがほとんどなかったし、手伝いの吉永さんはもうよぼよぼのおばあちゃんで、三度の食事のほかはずっと自分の部屋にこもりっきりだ。
 このうちの人間になれたのは、ぼくの数少ない幸運のうちの一つだと思う。
 それまでぼくがいた施設には、ぼくと同じように両親のいない子がたくさん集められていた。里親がうまくみつかれば、その子は施設を出る。
 たいていの里親は「明るく」て、「はきはき」した子を欲しがっていた。ぼくは施設がきらいだったので、一生けんめい、そんな子を演じてみせた。
 それは、操り人形のダンスのようにぎこちないものだったけれど、何人かの里親が、ぼくを気に入ってくれた。
 しかし、実際の生活となると、ぼくは里親とうまく心をかよわせることができなかった。
 本当のぼくは、「明るく」「はきはき」なんてしていなかったのだ。
 そして、あるときから、ぼくは「明るく」て「はきはき」した子を演じるのをやめた。暗くて、ひねくれていて、なまいきな自分を、そのままさらけだすようになった。
 学校へ行くのもやめて、ぼくには「問題児」のレッテルが貼られることになった。
 そうして、ひさしぶりに決まった里親が、坂口さんだったってわけだ。
 ここへ来て、ぼくは今とても満足している。
 このうちからは、まわりをぐるっととりかこんだ森とコンクリートの塀のせいで、外の景色はほとんど見えない。鉄格子のような門の哲柵のむこうには、乾いたアスファルト道路が通っているけれど、そのまた向こうに見えるのは、ここと同じような同じような大きな森だ。
 ここでは演技など必要ない。
 ぼくは思う存分「ぼく」でいられる。
 ここはぼくだけの世界。
 だけどこの日、窓を閉めようとしたぼくは、森の木の合間をちらちらと白いものが動いているのに気がついた。
 ぼくは、はっとしてそれを見守った。
 人だ。白いコートを着た若い女の人。だんだんこっちへやってくる。
 その人はやがて、ぼくの窓のすぐ下で立ち止まった。
「あいかわらず、おっきなうちねえ」
 白い息を吐きながら、女の人はぼくを見上げた。

 女の人は蓮見さんといった。
 蓮見さんは、ぼくの新しい家庭教師だった。
 家庭教師は、この人で五人目だった。たいていの家庭教師は、ぼくのわがままに怒りだし、あきれ果ててやめていく。ここんとこ来なくなったと思っていたら、なんだ、また来たのか。ご苦労なことだな。
 このうちにくる家庭教師がみんなするあの質問を、やっぱり蓮見さんも口にした。
「あんた、学校はどうしてるの?」
「ぼくは重い病気でここから外へ出られないことになってる。学校も行ってない。だから家庭教師がいるのさ」
 この質問は五回目だ。ぼくはマニュアルを読み上げるように、すらすらと答えた。蓮見さんは「なるほどね」という顔でうなずいた。
「あんた、もし学校通ってれば何年生なの?」
「六年生。来年は中学だよ。行くつもりないけど」
「ふーん」
 蓮見さんは、大学で古生物学を勉強していた。化石を調べて、大昔の生き物の生態やどのように進化したかを研究するのだ。
「化石だけじゃなくって、いろんな石とかもね。好きだから集めているのよ」
 石ころが好きな女の人なんて、ずいぶん変わっている。もっとも同じ石ころでもダイアモンドなんかだったら、たいていの女の人は好きだろうけど。
「この部屋、たくさん本があるわね」
「みんな坂口さんの本さ」
「坂口さんって、あんたの…」
「坂口さんは、坂口さんだ!」
 しまった。思わす大きな声がでてしまった。蓮見さんは、肩で大きくため息をついた。
「やめてった人からきいてたけど、やっぱりあんたって変わってるのねえ」
 変わってるのはあんたのほうでしょう、と言いかったけれど、ぼくはがまんした。
作品名:キツツキ、翔んだ 作家名:関谷俊博