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佐崎 三郎
佐崎 三郎
novelistID. 27916
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「雪」

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今から20年前、母が父よりも早く亡くなったとき、私に思い出されたのは母が一度だけ話した父の名前のことだった。

父の名前には「雪」の字が入っていた。漢字を覚えたころ、空から降ってきて庭や畑を真っ白にする雪の印象があるので、とてもいい名前だなと思っていた。生まれた月も一月で、きっと雪が降っていたんだなと子供ながら思ったりした。
しかし、いつだったか。もう中学にあがっていたのかも知れない頃、いや大学時代、帰省した折に聞いたのかもしれない。なぜなら、その頃は父が脳の病気で倒れ、入院していたから。とにかく、母がふだん話さない父の話をしたことがあった。

「名前に、儚いものの文字は良くないんだよ」と。
その時、そんなことを言う母に対してなんて答えたかは覚えていないけれども、母が入院中の父に対してなぜそういう話をしたのかと腑に落ちない思いはしたことは覚えている。暗に、父の死を心配し、言葉の選び方や表現の仕方が悪かったと言うことかもしれないが、余りいい気持にはなれなかった。
 
またこれも帰省したときに、母と父との出会いから結婚までの簡単な話も聞いたことがある。父は同じ時期に二人の女性とお見合いをし、私を選んだという。いい歳をした母から妙なお惚気話であった。父は何しろかっこ良かったと。二十歳を過ぎた私には意外な話として映った。それは、父は寡黙でなにもそんなこと話したこともないし、母は父を嫌いじゃないのかなと思っていたから。
 
そしてやはり子供の頃、いわゆる夫婦喧嘩をすると、父は母を叩いたり、出て行けと、庭に蹴りだしたり、泣いた顔に服を投げつけたり、いつも母は何の抵抗もせず無言で耐えていた。もちろん理由は分からない。子供の私は(二つ上の兄と共に)家の隅から盗み聞きし、盗み見しながらいろいろと怖がりながらも心配していた。
 
なのに、という気持ちであの話を聞いたのだった。まだ恋愛というものに未熟な私は、夫婦というものの存在が不思議に思えた。ましてや、あれだけ父に叩かれていても、出会った頃は素敵だったと語る母が奇妙に思えた。そして名前にある「雪」の文字のことも。
 
それから十数年後、母が先に亡くなった。父は長患いでお葬式にも出られなかった。入院先に出向いて、父にその報告をしたとき、やはりあの時のことを思い出した。父は半身不随で言語障害であったが、元気だったので、父は一生懸命回らぬ口で私に語ったのは、こういう言葉だった。
「早かったね」
 
私は涙を堪えた。寡黙で力強かった父が、弱弱しくなりながらも、母を想っていたと、その言葉から感じた。スマートでかっこいい父を好きだった母がほんとうにいたんだと思った。母が「雪」になったのだと実感した。
 
父はその数年後、リハビリ中に興奮し、(理由はまったく分からない)、それを抑える薬を注射され、そのショックで亡くなったと噂で聞いた。何か解せないものはあったが、父も長い入院生活から解放され、母の元に行けたと思えば、少しは淋しさも抑えられた。決して「儚い」人生ではなかった。他の人よりはと比べるものでもない。ただ、結局、母が言うほど儚いことなどなかったと、思うのである。そう、人生は儚くはないと。
 
年に一度か二度、墓参りへいくと、季節に関係なく、墓前ではいつもこのエピソードを思い出す。「雪」のような人生ってなんだろうか、と。しかし、考えてみれば、誰でもがそうだと言えばそうなのだ。名前にあろうがなかろうが、人生は儚いものかもしれないが、逆に言えば、儚いからこそ、儚さを全うすべく、名前に負けないように、生きることが、あるいは、名前を誇りに生きることが大事だと思うのだ。
 
ちなみに私の名前には風情がない。母の名前の一文字を付けられた、シンプルな名前だ。自分の名前を活かそうとせずに、という父の計らいだったのかどうかは分からない。ただ、かっこいい「雪」という名前には、「負けてるな」と今でも思っている。
                 (了)

作品名:「雪」 作家名:佐崎 三郎