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娘からもう会わないと言われた男

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『娘からもう会わないと言われた男』

 私はXの主治医だった。時折、彼と酒を飲みかわした。

 Xは10代の頃、美少年だった。今はその面影はどこにもない。むしろ顔が皺だらけになり、とても50代とは思えないほどの年寄りくさい醜い顔だ。

 あるとき、Xは「俺はもう独りだ。いつ死んでもいいよ。夜は酒を飲むしかないよ」と彼は自嘲気味に語った。
「いつ死んでもいいよ。でも、死ぬ間際に一度、娘にすまなかったと謝りたい。それさえできれば本望です。……長生きして何の意味があります?」

 彼の実家はかつてA地方の5本の指に入る名家だった。
それが25歳のときに大きく運命は変わった。当時、3歳になる娘がいた。とても彼はかわいがった。
 Xが友人と酒を飲んでいるときのことである。些細なことで喧嘩になった。根も葉もない噂話だった。妻が浮気をして、娘はXの子ではないということを、友人が実しやかに語ったのである。Xは怒り心頭のあまり友人を殴ってしまった。すると、友人も殴り返し、大喧嘩になってしまったのである。友人がXの首を掴んだ。Xは友人から離れようとして突き飛ばしてしまった。ところが、転んだ拍子にテーブルの角に頭をぶつけてしまい、それが原人で下半身が不自由となる大けがを負ってしまったのである。その友人というのが、当時、大物市会議員の息子だった。父親の市会議員はあちこちでXの非道を吹聴した。同時にXの家に多大なる損害賠償を求めた。それがもとでXの家は多くの田畑を失い、さらに父親は心労のためノイローゼとなり自殺した。母親もその後を追うように病死した。
彼は刑務所に入っている間に、妻は別の場所に引っ越して子供を産んだ。彼女が刑務所に訪ねたてきたのはたった一度、離婚したいと告げたときだけ。刑期を終えた後、彼は実家には戻らず、東京に出てきて、独り暮らしをした。

 あれから30年の歳月が過ぎた。
「親父も母親も俺が殺したようなものだ。妻にも重い十字架を背負わせてしまった。遠い昔のことなのに、忘れようとしても忘れられない。どうしてだろう?」
「故郷に帰りたいか?」と聞いた。
「帰りたいに決まっているだろ! 帰って、墓参りもしたい」と彼は涙を流した。
私には分からない。なぜ、故郷に拘るのか。自分はもう30年近く故郷に帰っていない。彼のように帰れない理由があるわけではない。ただ、帰らなければならない理由がないだけである。故郷にはもう待ってくれる人は誰もいないのだ。ただ冷たい古い墓があるだけ。墓を守るという宗教心のかけらもなかった。墓など単なる石でしかない。

 Xは血圧も高いし、血糖値も高い。本来、食生活に気を付けるべきなのに、一向に医者の私の言うことに耳を貸さない。そればかりが軽い脳梗塞を起こしたにも関わらず、相変わらず晩酌を止めない。でも、最近、それも良いと思っている。長生きだけが人生じゃない。特に彼を見ているとそう思う。

「先生、この前、びっくりしたよ」
「幽霊でも見たような顔をしているな。何を見た?」
Xはしばらく沈黙した後、重い口を開いた。
「娘が訪ねてきたんだ」
「娘さんが……」と思わず絶句した。
「娘が“今度結婚する”と言った。そして“もう2度と会うことはない”とも言ったよ。娘なりのけじめをつけたんだな。たった10分で、ずっと夢に見た娘との再会が終わったよ。何だが、時計の針が止まったみたいで、何も言えなかった。娘がアパートから出ていった後、“ごめん”と言っていないことに気付いて追いかけたけど、追いつけなかった……」
 Xは子供みたいに泣き出した。
「どことなく幼い頃の面影はあったけど、とても大きくなって、とても嬉しかった。でも、“これが最後です”と言われたとき、心の凍りついてしまったよ。今まで、どんなに苦しくても、いつか娘に会える日があるかもしれないという思いに支えられ耐えることができた。でも、これからは、それができない。当然の報いだけど。それからいろんなことを考えたよ。そして、最後に神様が娘を寄越させたんだと悟ったよ。同時に早く死ねと言っているんだとも」
 Xは笑った。いや、泣いているのかもしれなかった。
「神はそんなに残酷じゃない」
「先生は神様を信じているんですか?」
「信じてはいないが……。居るとしたならの話だ」
「先生は墓参りもしていないでしょ? 神仏にも祈らないと言っていたでしょ」と彼は卑屈な笑いを浮かべた。それが最後だった。

 1年後、春の夜のことである。彼は水死体となって発見された。
 事故死か自殺か判定は難しかったが、警察は事故死として片づけたようだ。死ぬ直前、大量の飲酒していたことが分かったからである。酔い覚ましに、川辺の桜でも見物しているうちに足を滑らして川に落ちたと推理したのである。

 Xは遺書を残さなかったが、私は自殺だと思っている。彼の唯一の望み、娘と会いたいという望みかかなった。そして、その娘によって、もう会わないと言われ生きる屍となった。彼には死以外の選択しかなかった。