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Twinkle Tremble Tinseltown 11

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break


 上着のポケットにあった紙マッチは、昨日ランチを取ったダイニングで貰ったものだ。フライが美味しいんですよ、と事務員の勧めに乗った形だが、大したことはなかった。
 今日の昼食は来る途中に買ったサンドイッチ、これもパンが信じられないほどパサパサで食えたものではない。この天気だと言うのに。


 くわえた煙草の先端ごとマッチを手で覆えば、かじかんだ指先にほんのりぬくもりが戻る。離しがたさを覚えるほど、オレンジ色の炎は灰色をした世界の中で揺らめいた。その寿命は短い。すぐさま軸へと燃え移った光は、指との距離が短くなるにつれ輝きを増していた。
 一際温度の高い滴の根本が指へ触れる直前になって、ようやくふんぎりをつけ手首を振る気になる。細い煙が視界を覆う前に、男は顔を上げ、正面の駐車場へ視線を移した。

 朝から降り続く雨は地面へ大きな水たまりをいくつも作っている。ちょうど自らの車が停めてある辺りにも。ただでもスラックスは、折り目を失いそうなほど湿気でしんなりとしているのだ。このまま裾に泥を跳ねさせるなんて許せることではない。
 黒く焦げたマッチを灰皿へ投げ込み、溜息をついた。先ほど演技でして見せたものではなく、本心から吐かれたものは、積み上げられた石から絶え間なく落ちてくる雨だれに阻まれ、軒下へと押し返される。
 良いか悪いかは別にして、今日は憂鬱な日だ。一日も半分を過ぎた午後三時、男はようやく自覚した。



「火を貸してくれないか」
 細長い軒をまっすぐ歩いてきた姿には気づいていた。けれど男は、相手を無視しようと決めていた。億劫だ。こんな肌寒い雨の日に。
 こちらの心情など当たり前だがお構いなしに、彼は灰皿の前で立ち止まりざまそう言った。まだ煙草のパッケージを取り出すよりも早く。
「自分のを使え」
「忘れたんだ」
 しれっと言い返す。それが嘘かどうかは分からない。分かったのは、望みが叶うまで、彼はずっと待ち続けるということだった。仕方ないから期待に応え、手にしていたマッチを投げ渡す。赤い魚の絵が分厚い掌で跳ねる。

 仕立ての良いスーツは組み合わせとして葉巻、悪くてシガリロを連想させる。けれど彼が取り出したのは男と同じありふれた煙草だった。ちぎったマッチの軸一本を二本指で摘み片手だけで火を灯す。濡れたアスファルトと煤煙の匂いに、無骨な紫煙が混ざり込む。

 敷地内の一番不便な片隅、関係者出入り口のすぐ傍という場所に追いやられた喫煙者の肩身を更に糾弾するよう、降り続ける雨は彼らを人一人ようやく通れるような狭いひさしの下に押し込めていた。

 めいいっぱい仕事に取り組み、束の間の休息を味わいたい男と違い、相手は得た興奮を持続させたいと考えているらしかった。押しつけていたフィルターから唇を離し、手の中のものを見下ろす。
「とんでもないところで食べてるんだな」
「勧められたんだ」
 カバーの中で作られた躍動と裏腹、キンメダイの目は死んでいる。皿の上で縮こまっていたフィッシュフライは、恐らくこんな魚を用いていたのだろう。本当に安かろう悪かろうの典型だった。
「二度と行くもんか」
「それが得策だ」
 彼は唇だけで笑った。
「ヒルサイド通りにある店だろう」
「ああ。こじんまりした」
「あそこだけは、『汚い店こそ本当に美味いメニューを出す』なんて法則とは無縁だからな」
「行ったこと、あるのか」
「随分昔に」
 消しゴムのような白身魚の触感を思い出したのだろうか。彼はただでも神経質そうな眉根をいっそう寄せてみせた。
「コーヒーをいくらでも注いでくれるし、テキストを広げていても追い出されないのだけはいい」

 そう言えば、あの店も禁煙なんて野暮な制度は存在していなかった。もうもうとあがるのは煙草と、それに焦げた肉に由来するもの。
 似たような場所なら男も知っていた。お互い、そのようなものとは無縁の顔をして、いや、実際に今は必要もないのだ。


「そういうあんたは」
「昨日? クリフトン・ガーネットとエンポリジャで」
「やるな」
 何も考えずに聞き返したのがまずかった。思わず飛び出してしまった呟きに、戻ってきたのは憎たらしい澄まし顔。とどめとばかりに言葉を付け足す真似すらしてみせる。
「ダンカン・ミッチェルがオーナーの店だ」
「知ってる」
 まるで弾かれたかのように感じているのは、この街にも西海岸風シーフード料理のレストランが進出していたことをすっかり忘れていたせいだ。一週間ほど前、理髪店で読んだゴシップ誌に鳴り物入りで紹介されていたのは、オーナーである俳優の主演作がまた滑ったせいだろう。
 別にそれだけが理由というわけでもないが、男は記事を目にした時から近々足を運ばなければならないと決めていた。確かオフィスへ帰ってすぐ、秘書に予約すらさせたほどだったのに。スケジュール帳に記載された日付がいつだったか、誰と席を囲むかすら覚えていない。

 ぶっきらぼうな言いぐさに気をよくしたのか、相手は口角の端を僅かに動かした。
「味はそこそこだが、ガーネットの愚痴のおかげですっかり台無しだ」
「どうせあの女のことだろう」
 つい最近、こちらはディナーを共にしたテレビ局のパーソナリティを思い出し、男は鼻を鳴らした。
「どこのショーガール出身だったか」
「事務員だとか言っていたが、怪しいところだな」
 三つ星レストランの相伴に預かりにくる金髪女も、彼氏と同じように、目尻へ大量のデトックスを注入しているのだろうか。
 会うごとにのっぺりしていく軽薄な「ティンゼルタウンの顔」に、あの美しさはつりあわない。彼女が白いテーブルクロスの下で脚を組み替えるたび、男はいつでも思うのだ。
「ガーネットの相手だけじゃない。彼女は介護士さ」
 肌寒さをまとう湿気の間で、煙はその縁をぼかし、だがゆらゆら揺れたりなどせずひっそりと上っていく。自らが吐き出した塊が低い屋根へぶつかる前に、彼は男の前で唇を真横に引くようにして歪めた。これほど上品な顔立ちに張り付けられても、その表情は不思議と違和感を与えない。恐らくは深く静かな声色の中、時折語尾に現れる弾くような下町訛りのおかげだろう。
「手ではリッジウェイ爺さんのディックにカテーテルを突っ込んでやりながら、口は同じものを舐めてるんだからな」
 詩でも朗読するような口振りで放たれた内容は、不謹慎だと怒ることもできないほど下品が過ぎる。恐らく彼は、自らの話し方は愚か、一挙一動すらも相手にどのような効果を与えると知っているのだろう。
 普段ならば他人の芝居掛かった態度など、絶対乗りはしない。だが今、男はすっかり気を許して腹を揺すった。
「そんなこと言ったところで、彼女はあんたのベッドには入らないと思うぞ」
「来ないなら金を積めばいい。それともダイヤモンドか? ああ、牡蠣なんか良いかもしれないな。彼女の好みらしい」
「よく知ってるな」
「ガーネットの愚痴って言うのがそれだった」
 男の揶揄など軽く受け流し、答えてみせる。
「奴は生物が嫌い、なのに彼女は魚や貝ばかり出してくる。家へ行くたびスシが用意してあるらしい」
「奴の日本嫌いは筋金入りだからな、日系企業の株で大損したせいだとか」