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腐った桃は、犬も喰わない

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桃井さんとヤクザ 7




 その後の話し合いで、僕らは先に小倉の元へと向かうことを決めた。小倉の方がまだ妹をトランクに閉じ込めるような兄よりかは話も通じるだろうという推測からだ。しかし、そのメンバーに僕だけでなく鍋太郎まで加えられているのには正直脱力ものだった。

 桃井さんはビリビリに破けた楓子のストッキングを見ると、ちょっと待っててと行って、事務所から出て行った。それから五分後に、何処からともなく女物の服を持って帰ってきた。細身のジーンズに、品の良いハニー色のニット、それから白いラインが入った水色のスニーカーだ。


 「こんなのどこから持ってきたんですか」
 「んー、うえの階にね、友達が住んでんの。服貸してって言ったら、貸してくれた」
 「女の人の友達が住んでるんですか?」
 「うん、そんな感じかなー」


 まるで子供のような拙い言い方で桃井さんは答えた。それから洗面所で顔を洗っている楓子へと問い掛ける。


 「デコちゃんって、足のサイズ二十四ぐらい?」
 「二十三.五だから大丈夫だと思う」


 タオルで濡れた顔を拭いながら、楓子は答えた。化粧を剥がした楓子の顔は、先ほどまでのけばけばしい顔立ちからは想像も付かないほど幼かった。幼いというよりも薄い。眉毛が半分ほど消えて、目が二周り近くも小さくなった。わざとらしいくらいパッチリ二重だった目が一重に変わっている。さっきまでの楓子がキャバクラ嬢だったのなら、今の楓子は平安時代の女だ。思わずまじまじと見ていると、苛立ったように机のティッシュ箱を投げられた。


 「女のすっぴんを、じろじろ見てんじゃねぇよ」
 「顔が全然違うじゃないか」
 「化粧取りゃ、誰だってこんなもんよ」


 楓子はそう言うけれども、女が皆こうだったらあんまりにも怖すぎる。化粧する前と後とで、整形並みに顔が違うなんて、歩く詐欺みたいなものだ。桃井さんが台所を漁りながら、ひょいと楓子の顔を見る。


 「でも、俺は今のデコちゃんの方が好きー」


 恥ずかしげもなく吐き出された言葉に、僕は唖然とした。ここはアメリカか。楓子は、大きさ五割減になった目をまじまじと開いて、それから頬に微かな笑みを浮かべた。


 「小倉もそう言ったの」


 ヒステリックな女に似つかわしくない幸せそうな声だった。その柔らかい声音に、僕は楓子が本気で小倉を愛していることを知った。そうして、目の小さな楓子の方が好きという小倉も、また楓子を心から愛しているんだろうと想像した。愛なんて、ヤクザに相応しくない台詞この上ないけれども。


 フランスパンを齧りながら、桃井さんが台所から出てくる。それからポケットにぎゅうぎゅうに駄菓子を詰め込むと、緊張感が欠片もない声で言った。


 「出発進行ー」


 桃井さんは、いつもの出掛けの儀式として神棚へと手を合わせていた。その上着の裾から、微かに光るものが覗き見える。それが何かと問いかける間もなく、桃井さんは鍋太郎に引き続いて事務所から出て行った。





 ビルから出た途端、会いたくない相手に鉢合わせした。今日は厄日か。いいや、問い掛けるまでもない。間違いなく厄日だ。


 「よぅよぅ、モモちゃんと鍋やんじゃーん」
 「あ、沼野っち」


 馴れ馴れしい手付きで鍋太郎を撫で回してきたのは、腹にでっぷりと脂ののったオッサンだ。肥えたオッサンというのは、大概にして傲慢で強欲なところがある、と僕は勝手な偏見で思っている。沼野も然りだ。だけど、これがただのオッサンなら、きっと僕だってここまで嫌いにはならなかっただろう。僕が沼野を嫌うのには、もっと具体的な理由がある。第一に―――


 「おぅ、ヒカルもいるじゃねぇか」


 唐突に名前を呼ばれて、肩がビクリと跳ねる。沼野は、僕へと視線を向けた途端、にたりと口許に嫌らしい笑みを浮かべた。まるで掌の上の小虫をいたぶるような表情だ。

 ―――第一に、僕の名前を呼ぶところだ。


 「ヒカルって呼ばないで下さい」
 「ヒカルよぅ、また悪さしてねぇだろうなぁ」


 僕の言葉を当然のように無視して、嬲るようなねちっこい言い方をしてくる。沼野はいつもこうだ。嘲笑いながら、人の神経を逆撫でしてくる。怒りに奥歯を噛み締めると、沼野はおどけたように肩を竦めた。


 「まぁ、怒んなよぉ。俺だって、一応モモちゃんのとこに御前を預けた以上、責任?っつーもんがあるわけよ」


 嫌いな理由その二、一ヶ月前、桃井さんの事務所に僕を預けたのは、この沼野という男だからだ。

 沼野は、少年課担当の警察官だ。以前はヤクザ相手の刑事をしていたようだが、何年か前に部署を異動してらしい。だが少年課に異動しても、その性質までは変わらなかったのか、ヤクザにするような脅迫じみた取調べを今度は少年へと向けている。沼野と二人きりの取調室を思い出すだけで、今でも鳥肌が立つ。薄汚れた床に、何度顔をへばり付けさせられたことか。服で隠れる場所を、何度いたぶるように殴られたことか。少年へと屈辱とトラウマを与えるがために存在してるような男だ。反吐が出る。

 嫌悪に顔を歪めると、沼野がまるで面白がるように口角を吊り上げた。


 「僕を桃井さんのところに預けたのは、あんたの不手際のせいじゃないですか」
 「仕方ねぇだろうが。御前預ける予定だった保護監察官の爺さんが二日前にぽっくり逝っちまったなんて、お天道様だって知りゃしねぇよ。その代わりに、保護監察官なんて堅苦しいとこじゃなくて、モモちゃんみたいなイーとこに見付けてやったんだから、むしろ俺に感謝したっていいんじゃねぇか?」
 「あんたが責任被りたくなかったから、桃井さんに押し付けただけだろうが」


 吐き捨てた瞬間、桃井さんが不思議そうに首を傾げるのが見えた。おにぎりを頬張りながら、もごもごと口を動かす。


 「俺、白川クン来てくれてうれしいよ」


 状況にそぐわぬ、酷くおっとりとした声音だった。


 「白川クンは、すごく優しいよ。俺、沼野っちに、白川クン連れて来てくれてありがとーって思ってるし」


 口の端にご飯粒を付けたまま、桃井さんはへらりと笑った。沼野は、その気の抜けた表情に威勢を挫かれたように一瞬ガクッと膝を折った。微か困ったような視線で、桃井さんを見遣る。


 「モモちゃんにかかったら、誰だって優しいってことになるじゃない」
 「そんなことねーよ。白川クンは、優しい。俺は、白川クンがいて、すごくうれしい」


 馬鹿野郎、と叫びたくなった。実際、唇は戦慄いた。だけど、僕は何も言えなかった。馬鹿の一つ覚えのように、優しいと繰り返す、この能天気な男を心の底から罵ってやりたい。あんたが僕の何を知っている。解ったつもりをしているだけじゃないか。そう喚いてやりたいのに、咽喉が思うように動かない。上っ面だけの言葉に、心を揺さぶられるなんて、僕はとても弱い。ずっと、弱いままだ。


 へらへらと笑う桃井さんに、毒気を抜かれたように沼野は溜息を吐いた。薄くなってきた頭皮をガリガリと掻き毟って、それから桃井さんの肩をぽんと叩く。

作品名:腐った桃は、犬も喰わない 作家名:耳子