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フレンドボーイ42
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リコーダーが吹けない(零的随想録1)

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伊東計劃


 伊東計劃。僕は彼についてここに少し記しておきたいと思うものである。この人の作品を今現在、一作品読んでいる途中で、本来ならば、まだ一作すら読み終わらない作家をどうこう言うのはどうかと書き手として思うが、どうしても書きたくなった。彼のすべてを読了したらのちにまた戻ってきて続きを書こう。
 伊東計劃。『氏』とつけないのはすでに彼が故人だからである。作品を作っていた人に対し、『氏』はつけないのがこの世界では慣例である。よその業界では頻繁につけまくるようだが。彼を僕が知るのがつい今月、いや、今週ついに一作購入した(2010/4/14)。彼が肺がんを患ってこの世を去ったのは2009年3月20日。この意味がわかるだろうか。実に死後からさえも一年一カ月弱、僕はこの作家を知らずして生きてきたわけである。ちょうどその日僕がほしい漫画の単行本を買おうと本屋を学校帰りに訪れて、僕は生れて初めて、その作家のことを知った。否、知ったんじゃない。『知ってしまった』。クラシックファンがシューベルトを、ロックファンがジョン・レノンを『知ってしまった』ように、彼を知ってしまった。
 少し話しておきたいが、僕は速読をしないものの、周りより読書スピードは早い方だ。その僕なら、彼の作品など、3時間ほどで読み終わるだろうと踏んでいた。実に甘かった。彼の書き味は、とても読み手を引きつけて離さない。4時間でも5時間でもきかない。そのような、読者の読了までのスピードを遅らせる力を持っている。
 それがどうすごいんだと人は訝るだろう。だが、これは一番すごいことだ。
 作家にとってつらいのは、その読者に何の印象も与えず消えることである。よく優れた本というと、「すらすら読めて軽い感じで読めるというもの」らしい。そんな幻想はさっさと捨ててしまうことをお勧めしよう。
 『たとえ漫画でもライトノベルでも童話でも、本当に優れたものは、長くその読者に読書することを命じる』
 作者が読者に、『こいつはすげえ』というように思わせなかったら意味がない。そうでなくては作者は消える運命だと思う。印象を与えないのは、誰でもかけそうなものは、作者の程度が低いことを示してしまう。物語はストーリーが命なのではない。勿論それも必要であることはかき手故に認めるし、キャラクターや文章校正も優れていることがベストだが、一番大事なのは、読者が『作家』がすごいと思わせることである。『その本』がすごいものはいっぱい世にある。だが、作家レベルが高いものは少ない。僕の知る限りでは、森博嗣、鯨統一郎、そして伊坂幸太郎くらいしか知らない。少なくとも、その書き手の名前を言うだけで、『はあ』となる作家は旧世代の作家を除けば、彼らくらいしかいないだろう。
 平成作家の特徴は、とにかく作家が周りにたくさんいるので、この人だけの独断場、なんてものがない。それは、作品の全体的な底上げの補助にもなるだろうが、その分自分が目立つことができない。『世界の中心で愛を叫ぶ』の作家の名前を思い出せる方は何人いるだろうか?そういう意味で、彼は自分のことを、自分のカラーを名前から出している。彼のペンネーム、計劃。新字体で書くときは計画とかく。英語ならプロジェクト。つまり彼は自分のもの、自分しかかけないものを追及してずっと望んだのだろうと、思うのである。
 彼は僕が知る一年ほど前になくなっている。彼の気持ちをまだ一作の途中までしか読んでいない僕が語るのはやっぱり間違いかもしれないが。とにかく今は彼の作品に、その世界にはまりこんだ自分がいる。