小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
みゅーずりん仮名
みゅーずりん仮名
novelistID. 53432
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

『 MOKUROMI-KYO ~目論見教~ 2.』

INDEX|1ページ/1ページ|

 
2.

目論見教が教理を説き明かすまでには、25年の時が必要だった。もしも発祥した時点でそのことを知っていたならば、私は何も考えず只笑うだけの生活を送り続けたに違いない。後悔していないとは言い切れないが、違う道を選び取った未来を思うと胸が弾むことだけは確かである。集団に属することは集団を牛耳ることと同じであり、人の教えを請うための時間は教えを解くための時間とした。

誤解のないように書いておくが、教えは説くものであり解き明かすべくは先人の教えである。つまり、古の教えを解き未来へのメッセージを現代のものとすることは、先人の願いであると考え、学問・哲学等、先人の遺した全ては現代のためにあると解釈したのである。
宗教は、好みや趣味趣向で選び取るサブカルチャーな分野であるが、それが発展すると戦争を呼び、衰退すると新興宗教が発足する。

新興宗教という呼び名には抵抗があり、私の同志に至っては命に替えてもそのような呼び名で世間が位置付けすることを拒むべきであるということだったが、理由は先人の教えを発展させたものが戦争を呼ばなかった事例であったからである。現代人が戦争を嫌うのは歴史と記憶によるものだが、忘却の彼方に戦争が置かれた瞬間に新たな争いが起こるものである。争いが絶えぬ現場のみが発展を続けるのも事実であり、その流れは急流となる。

当時の私は流されまいと必死で、私達が目論見教徒として認識されているという自覚は無かった。事実、その頃、日本国はとある妖怪集団に乗っ取られてしまうのではないかという恐怖に満ち、時代自身が震え上がっていたのである。妖怪の正体を見極めようと、人々は観察し実験結果を新聞で報告し、世界の先人の教理を説き明かし始めていた。妖怪とは既に人生を終え生き延びている人達のことであり、彼らの長い時間は拘束され、やがて若者をも凌駕するようになっていた。高齢者、という呼び名で彼らは呼ばれ、その先10年は増え続けるだろうと専門家は発表していた。

私は震えまいと平常心を保つべく努力した。それは、一つ屋根の生活とは妖怪になるべく人達との共存であり、人が妖怪へと姿を変えて行く様を目の当たりにすることであるからだ。皆、恐怖に打ち勝つために色々な理論を打ち立て、私の尽くした目論見教もその十把一絡げの理論から発祥したと言える。恐怖心や陰鬱な人生論、貧乏な生活、暴力と不潔、病気と感染などの、語るべくして存在しながら見ざる聞かざる言わざるとならざるを得ない事柄を事業とすることに絶えきれぬ者達の集いが、宗教として発足したのである。

当時それは、福祉事業と呼ばれており、私は事業の従業員として存在していた。どこかに属することは世間と社会に貢献することであり、当然の義務であると認識しながらも、他人が妖怪である限りは宗教を発足するまでもない。しかし、自分と家族や共生する者が皆、恐ろしい妖怪へと姿を変えるとなれば行動を起こすしかない。

私は立ち上がり、涙を流した。これから起こる事柄を考えるだけでも、陰鬱な人生論に逃げ込む方がましである様な気がした。同志は多く居るように思えたが、事実、妖怪との戦いに関しては、まるで箝口令が敷かれたかの様な時代であり、誰もが冷や汗と青い顔を突き合わせて生活していた。同志を募るには未だ若く、先人の理は妖怪からの諭しであるので、私は新しい理論を必要としていた。

目論む妖怪との戦いは、目論むことでしか防げない。今この歳になって思うことは、目論む彼らとの戦いは、目論むことでしか防げない。目論見教に尽くしたことが今私を助けてはいるが、この先の長い時間を果たして幾つかの教理のみで乗り切ることが出来るのか。また、彼らの悪意が私に向けられた日に放たれた「妖怪」という言葉は、私が若い日々に放った言葉ではなかったか。30年間の知恵と経験の集結であるはずの教理も、集団生活に勝つことはなかった。私は自分の無力を思い知り涙を流したが、それはそれで成立し、国の体質改善に貢献する気力はもう無かった。

筆を執ることだけが唯一の貢献となる年になり、私は完全に妖怪化する前にそれを書き残すことにした。私の持ち時間は30年という長いものであり、それにより話が前後する可能性もあるが、目論見教の発祥は確か、その様なものであったと記憶している。