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私の読む 「宇津保物語」  初秋

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初秋


 さて、あて宮が春宮殿に戻られて、正頼の屋敷の中殿に正頼の子息達大勢集まってご馳走を食べながら談笑していると、右大将兼雅が、この日は宮中に上がらない日であったので、

「今日は内裏に上がらずに家に籠もっていると、くさくさするな。左大将の屋敷に参上しようか、行けば家にいるよりは楽しいだろう。いざ、中将、三条殿に参ろうぞ」

 と仰って、お二人は清楚な直衣姿で車に一緒に乗って来られた。二家は同じ三条の東と西で近いから、気を使う家の前を通過することもなく来られた。

 正頼邸に到着すると先に中将仲忠を車から下ろして、

「今日は出仕せず家に籠もっていることが鬱陶しくて此方に伺いました」

 と言わせた。左大将も

「正頼も、その様に思って機嫌が悪くなって来て、そちらへ参ろうかと思っていたところ、丁度良い具合で」

 と、言って、子供達を連れて迎に出られた。右大将兼雅車から降りて屋敷に入る。それぞれが座について座る。

 折敷は申すまでもなく、ちゞに(後注記)、銀の盃、果物、干物、美しく盛って出された。北の大殿に住んでおられる正頼の北方大宮から、客の兼雅・仲忠に酒肴が出される。唐菓子の一種。米・麦・小麦・大豆・胡麻の粉をこねて蒸した後、甘葛(あまずら)を入れてこね合せ、細い竹筒に押し入れて固めたのを突き出して切って食べる。粉熟(ふずく)ご飯を出された。

注 「ちゞに」は、
 月見れば千ぢにものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど
(月を見ていると、あれこれともの悲しい思いがしてくる。自分一人だけのためにある秋というわけでもないのに)古今集193大江千里

 の歌を参考にして、様々、色々ということ。


 お互いが話す中で正頼に、

「右近衛府の相撲取り達は集まってきたか。左で召した相撲取りはまだ来ませんよ」

 兼雅
「幾人かは来たようです。例年集まってくる者が多いようですが、今年は此方が思うほどの相撲取りが集まらない年のようです。

 都に上ってきたからには立派な相撲取りであろう。姿形も大変に立派で、年齢から言って今が一番力が出る男で大変に宜しい。それで場所ともなれば少しは見所のある勝負となりますでしょう。

 毎年上京してきました例の相撲取りたちは、死んだり、病になったりで、何かの機会に探し出した相撲人を、初お目見えで良い催しになりますでしょう」 
 左大将正頼は

「左方の相撲人にも由緒ある人達が居るようです。顔かたちがこの上なく、今年は考えることがあるのでしょう、充分稽古を積んできたらしいです。

 名高い下野の、なみのり、が上ってきました。左で評判はこの、なみのり、の上京と言うことだけでしょう」

 客の兼雅は、
「右手の伊予で最強と言われている、ゆきつね、が参加できないというので、私はがっかりしています」

 主人の正頼

「私も、仁寿殿で帝が仰せになったのは『例年よりは少し面白いことをしてみたいものだ。出来るならば今度の節会は見所有るようにして貰いたいものだ』と、仰せになられた。

 今年の相撲の節はこういう訳で、相撲人は多くないけれども、規定の数は揃っているのだから、どうせのことなら、帝が一心に御覧になるような催しにしたいものだと思っています」

「兼雅もそう思っています。それでもご希望に添うような考えが浮かんできません」


「口に出さずに、お考えになるのは差し支えがありませんね」

 と話ながらお互い相手に負けまいと思っている。

 盃のやりとりが盛んになり、兼雅は酔いにかまけて、

「昔は此方へお伺いするのが恥ずかしく思いましたが、あて宮が入内なさった今は、諦めもついて気が休まります」

「そう思いになるのは、北方が居られるからでしょう」

「不思議にお訪ねしたくなりますのです。住み慣れたような気持ちが致します。

 たちなれてやみにし宿を今日みれば
       ふるき心のおもほゆるかな
(始終自分の宿のようにしていたことをふっつり思い切って、久々に今日参上すると、昔のことが思い出されてなりません)」

 正頼

 やみぬともおもほえぬるかなわが宿は
       今こそ人のたちもならさめ
(お見限りだとは思いませんよ。私の宿は今度こそ貴方が始終お出になる所になりましょう)

 と詠って、昔の話などをお互いに話し続ける。

 正頼、
「世の中が気が晴れその上に愉快であるのは、そつのない女で情があって色々話をするその女が、男に対してどうしたらいいかと思い煩って、心を込めて書いた手紙を見るほど心遣いが細かいと思うこと、他にありません。  

 昔、嵯峨の帝の御時に、承香殿の御息所のような女性を見たことがありません。心遣いの行き届いたお方であった。

 正頼がまだ中将であった頃、御息所が内宴(注参照)の賄い準備を担当なさったとき、仁寿殿の透いた御簾の中に控えておられたのを、垣間見ているうちに心が惹かれて、何となく声をお掛けしたいと思いました。

 どういう機会であったろうか、文を差し上げるようになって、後々お困りになるようなことを述べたのでしたが、そのことでお苦しみになられた様子を文で頂きました。

 その文面は実にほろりとさせる心遣いの行き届いた文面でした。

 私は、老年になった今、その文を拝見して、これと同じような感動を受けた物はありません。

 結果は浅い交わりで終わりましたが、拒絶なされたことではないので、更に頼みに思い心の乱れがますます酷くなりました。このような女性は現在居ますか」

(注)
内宴(ないえん)
 平安時代、一月二一日または二三日までの子(ね)の日に、宮中で行われた私宴。
 天皇が仁寿殿(じじゅうでん)の南廂に出御して、公卿以下詩文堪能の文人を召し酒宴のうちに女楽を観覧、詩文を披講した。

女楽(じょがく)
①女子の奏する舞楽。
②舞楽を奏する女子。うたいめ。


 右大将兼雅は
「今の世には珍しい心の深い女は、正頼様のご長女仁寿院女御の方がお持ちになっているようです。お話の承香殿の方に劣らないほどであります。

 私は、今、現在のことを申し上げるのではありません。軽いことですが、かって、仁寿殿に懸想文を差し上げたことがありましたのに、誰にも仰らずに拒む様子もなく、ご信頼なさい、とだけ申されて、私が随分浮気したにもかかわらず、何ごとも言われなかったのは勿体ないことでした。

 今でも、たまにお文を差し上げるとき、前と変わることなく私の女遊びを見ていらっしゃいますが、近づくことは出来ません」

 正頼は
「さて、何処の仁寿殿の話ですか。私の子供の中には仰るような者は居ませんよ。私の言う承香殿は、他の人とは違う優れた心をお持ちの方ですから」

「そうでございますか、それならば正頼殿はその承香殿のお文をお持ちですか。兼雅の手許には仁寿殿のお文が御座います」

「正頼の手許に文はないことはない。色々のことが面倒で気持ちがくさくさするときに、読むと世俗の憂さが晴れるような文は御座います」  

 兼雅大将は、仲忠中将に三条の家に仁寿殿の文を取りに遣らせた。正頼大将は、四男の左衛門佐連純に昔の承香殿の文を取ってこさせた。

 兼雅