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私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い  ー2

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こういうことで、七月七日に大将殿に朝早く西大殿(仁寿殿女御)から、青色の表着に綾織りの表袴、一重襲の綾の掻練の袙、単衣を着た童、髪の長さが同じ八人、中の大殿より、赤色に二藍襲の袙、袴の同じように髪の長さが同じ、八人の童、北の大殿から、薄物に綾襲、女郎花色の汗袗、袙、袴、同じように童が八人、各所から歩み出て二十四人で前庭の松の下から同時に虹のように色々な糸を、反り橋、浮き橋と渡って、色々な糸をそれぞれ棚機に結びつける。

 次に簀の子に蒔絵の棚、机七つ置いて、廂の内側に御簾を掛け並べその外に棹を渡して、有りったけの色々な衣や解きほどいた衣を掛けて衣桁(いこう)にして、色を良く吟味して家具を並べ、長さの同じ鬘をあちこちに飾る。

 衣に炊き込めた香の匂いが風に漂って隅々まで匂う。

 七夕祭りのご馳走は例年の通り、正頼一家の事務を執る者が一人一人調理する。その者達に褒美として(禄)女の装束一具を与え、料理が与えられた。全員がお礼の舞を舞う。


 正頼は源氏であるが母方の里(外戚げしゃく)は藤氏である。勧学院は藤氏の受け持ちであるが正頼が受け持っている。 

 七夕に帝が詩作を読みたいと言われるので博士や文人達八十人が仁寿殿に参内する予定であったが、朝廷の都合で急に取りやめとなった。

「忙しいことであった。例になく興味有る詩をみんなが詠んだということであるから、このまま終わっては勿体ない。勧学院別当の正頼様に申し上げよう。勧学院より近い所に正頼様の三条院がある。小路から抜けていこう」

 と、一同が並んで出ようとすると、勧学院の西曹司の藤英が思っても見ないのに今日は居残りはしないでおこうと思うのか、古くなってちぎれた袍を、下襲の半臂(はんぴ)も重ねずに、太い絹糸で粗く織った帷子を上に着て上の袴下の袴も無し。冠が髪を入れるところだけ残って額も縁の磯、纓(えい・よう)も無くなり冠とは名ばかりの物を被り、粗末なわら草履を履いて、顔色悪く痩せ細ってふらふらしながら出てきて、

「季英(すえふさ)この行列の最後に入れて貰いましょう」

 と、列に入った。博士始め友達一同が藤英を見て大笑いをした。このような者が従うとは困ったものだと、

「別当の正頼殿は、清涼殿に劣らず、徳を積んだ者、家名の有る者だけが集い、常に集う人も許されないのに、学生の分際でその様な姿で参上するのは、殿に汚点を残すことになる。直ぐ立ち返りなさい。不都合なこと。勧学院からも放逐するぞ」

 と言って藤英を取り押さえ、引きずり出すように、引っ張り出し押し倒すが、藤英は負けずに付き従った。その様なことで一同の足が止まりかける。

 丹後の守忠遠が来て、

「どうして歩みを止められたのですか。忠遠(ただとう)が来るのをお待ちになっておられたのですか」

 一同が答える、

「それも有りますが、この藤英が同行すると申しますので、秩序が乱れて」

 忠遠は。

「どうして藤英殿が正頼様の所へ伺うというので歩みを止められたのですか、藤英殿は正頼様の勧学院の学生ではありませんか、衣装が古いというのは学生らしいではありませんか。

 冠がちぎれたり、袍が破れてぼろぼろになったり、足袋が破れてやせ衰えた人で、漢才のある人こそ学生というのでしょう。こういう者こそ列を作って出立する資格が有るものです。

 親がかりで才のない者で、賄賂に金を積んで、密かに媚びへつらって、表向きはもてはやされて、華やかな人は学生とは言えない。

 さてさて、何処の学生がそんなつまらないことを気に掛けるのだ。さあ、出発しましょう」
 と言って、
「藤英立ちなさい、貴方こそ真の大学生である」

 正頼殿に到着した学生達に正頼は、
「いつもより良くできた興味有る詩作だから、是非帝の会に出席したいと思っていたが、中止になり、ここへ来たのは何よりであった。誠に願ってもない行進であった」

 と、中島の釣殿に家の者が集合して場所を準備して、上達部・御子達・衛府・院司並んで座っているところに、博士が学生達を連れて来て並んで着座する。集まった人たちの前に机を出して、杯事が始まる。料理を食べ始めると、正頼が詩の題を出す。

 みんなが与えられた韻字(漢詩文で、韻をふむために句末に置く字)八韻(四韻?)を使った詩を作る。上達部・御子達・親王・正頼一家の者、作詩する。

 作詩すると正頼の前に出て、創作した詩を渡す。式部丞が提出した詩を読み上げる。全員が声を出して節を付けて詠む。

 夜になると灯籠を柱柱の間に点して、隙間無く灯台を置いて、松明を炊いて、照明をしっかりとした。

 藤英は作詩して差し出したのであるが、その詩を上達部が見ると藤英の評判が高くなるに決まっているからと、講師が隠して詠まなかった。上達部や御子達は藤英が出席しているとは知らなかった。

 琴を弾く人はみんなの詩を詠む声に合わせて演奏する。夜が更けると共に、琴の音と歌う声とが豊かに高く聞こえる。 

 藤英は自分の創作した詩を自分で誦った。彼の声は美しくて、高麗鈴を振るに負けなかった。

 主人役の正頼がその声に気がついて、

「発表された詩にはなかった詩を、誰か一人誦している者がいる。その声は誰だ」
 と言うのだが、博士や文人は、はっきりと答えない。
 
 正頼は、
「大変に趣のある詩を、良い声で、誰の声にも混じらないで聞こえてくる、素晴らしい」
 と、みんなを静かにさせて、正頼自身が、

「学生達の中に、立派な詩を誦う者がいる、何という名の学生であるか」
 と大声で尋ねられる。藤英が驚いて返事をする。

「勧学院西の曹司学生、藤原季英(すえふさ)であります」
「面白い学生である、此方に参れ」

 大勢の人を分けて、昼よりも明るく照らされ火影に照らされた藤英の姿は異様である。誰も我慢が出来ずに大笑いして口々に騒ぎ立てるが、成り静まる。

 正頼は藤英に、
「誰の子孫で、誰を師とする学生か」
「遣唐使だった大弁、なんかげの息子で、学問料を頂いている学生であります。なんかげの左大弁、参議でありましたが戦に命を落とし、兄弟は遠く離れてしまいますし、残る氏族もなくなってしまいまして、私一人がなんかげの子孫で御座います。

 七歳で入学して今年三十五歳になります。入学以来、目が衰え臟が尽きて死を覚悟して、大学の窓に光が射す朝は、目をそらさずに本を読んでいます。光が無くなる夕べは、草むらの蛍を集め、冬は雪を集めて年を重ねました。

 そうしていましたが、当時の博士は慈悲の心が少なく、貪欲で、料を頂きまして今年で二十余年になりますが、少しもかまっていただけません。

 武芸をを専門にしたり、悪事を本職にして、熊狩り、鷹狩り、魚取りの上手な者が最近入学して、黒白も分からない者が、入学したばかりで正邪の分別も付かないような武芸にばかり専念している者でも、試験官に贈り物をすれば、順序を待たずに・・・・・藤英は沢山の順番を空しく過ごしました」

 居並ぶ博士の前で、藤英は紅涙を絞って正頼に申し上げた。聞いていて涙を流さない者はいなかった。

 正頼は、
「この学生が、このように言っているが、どういうことなのだ」