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宇津保物語

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朝廷に報告をすると帝は、
「優れた知識の持ち主が帰国してきた」
 喜ばれて、すぐにお召しになって俊蔭に経験したことを総て話すように言われた。俊蔭は彼の国で体験したことを総て語ると帝は哀れに思われるとともに興味を持たれて、俊蔭を式部省の次官、少輔に(渡唐の時は丞即ち判官)任官させて昇殿を許された。東宮の教育を担当するように命ぜられて、帝は、
「学問の道については俊蔭に任せる。順を追って東宮の習熟に従って教えるように、治世のことも心配ないようにしてくれ」
 と、仰せになった。

 俊蔭は容貌、態度の総てが人より優れているので、うちの娘を嫁に、妹を北方に、と娘や妹を持つ者が俊蔭の許に訪れて結婚を勧めた。俊蔭は、淫欲の罪は大罪であるという仏の道を信じていたので、身を慎んで用心をしてばかりである。

 そうしてここに、帝より源氏の姓を賜って臣下になった元皇族第一代源氏が、人に優れた心魂を持った人物で、その娘を俊蔭は妻として、生まれた娘を、大変に可愛がっておられた。

俊蔭は父親と同じ式部大輔になり、位も上がった。

俊蔭の娘は四歳になりその夏には技芸を習得するのに丁度良い年頃になった。心も賢さも申し分ない。父親は思った。

「いま、娘は物事を習い覚える歳になった。俊蔭が命を張って習得した琴をこの娘に伝授しよう」

 俊蔭は、波斯国から持って帰った琴の中で、はし風、なん風の二つを人に分からないように隠して、残りの十双の中から、りゅうかく風、を娘用の琴にした。

ほそを風を自分用として、やどり風を自宅に残して、残り七双の琴を持って内裏に参内した。(琴の数が文と合わない)

せた風を帝に奉る。山もり風を皇后に差し上げる。花ぞの風を春宮に差し上げる。宮こ風を春宮女御に差し上げる。かたち風を左大臣忠恒(ただつね)に差し上げる。おりめ風を右大臣千蔭(ちかげ)に差し上げる。

帝、それぞれが、俊蔭から貰った琴を試しに弾いてみると耳目を驚かすほどのいい音色が奏で出た。帝は驚いて、

「これらの琴は、どのようにして作ったのだ。久しぶりに琴に触れて弾いたのであるが、音色が止まらないほど長く響く。七双とも同じ音色とはどのように調律してあるのだ」

 と俊蔭に尋ねられると、俊蔭は今までの経緯を詳しく話す。

聞いて帝は大変に驚いて、興味を抱かれていくつもの質問をなさる。そうして、

「この音色はまだしっかりとは馴染まないから調律するように」

 と仰せになるので、俊蔭は帝に差し上げたせた風を受け取って、少しばかり試し弾きして、大曲と言われている難しい曲を弾き始めると琴の響きが高くて、御殿の屋根瓦が振動で割れて花のように飛び散った。さらにもう一曲難曲を演奏すると六月十日というのに、雪が敷き布団を敷いたように降り積もり固まった 帝は驚いて、

「本当にこの大曲を変わった手法で演奏する。この曲は、ゆいこく、というのであるもう一つの曲は、くせこゆくはら、といういずれも大曲中の大曲。唐国の帝王が演奏されたときに、瓦が砕け、雪が降ったという言い伝えがある。
 この国ではまだ見たこともないことをする、不思議な珍しい才能の持ち主だ。昔、進士と秀才の二度の試験に合格したことで驚いたが、優れた才能に位を授け学士として仕えさせたのであるが、学問では少し劣るともこの国には学者は多い。
 だが、琴の演奏はこれほど出来るのはこの国には俊蔭ただ一人であるから、学問の道を変えて琴の師を務めるように。東宮は賢い子である。教えるのに難しい子ではない。真剣に琴の曲全部を教えたならば、直衣、三位公卿に取り立てよう」

と。仰せになると、俊蔭は、

「十六歳の時に唐国へ渡り父母と別れることになりました。嵐に遭遇して漂流して知らない国に漂着いたしました。悲しみはこれを超えるものは有りません。
 辛うじて帰国出来ましたときに父母は亡くなっていまして空虚な家だけがありました。
 昔、帝のお目に叶って度々御厚遇を戴き、帝の御意志で唐国へと渡ることになりました。父母と会わずに長く別れ、深い悲しみを抱いた私には、とても教えるということは出来かねますし、師としてお仕えする勇気もございません。
 無礼の罪に当たることでありましょうが、ご命令には従いかねます」
 と申し上げて、内裏から退出した。


 その後俊蔭は社会と隔絶して官位にも付かず都の東部三条の終わりの京極大路に、広くて風変わりな家を建てて娘に琴を教える。娘は曲を一渡り習い終えると、一日に大曲五六を習得した。同じように合奏する父の俊蔭に勝る音色を出した。

 娘は父親の引く手を残らず習い覚えてしまった。

 そうして娘は十二、三歳になった頃、家は貧しくなり思うように娘を着飾ることが出来ないのであるが、美しさは言うことなしである。

 娘の容貌が光輝いて、まぶしいほど美しい上に、性格に品位があり情緒豊かである。その評判が高いので、帝、東宮が俊蔭をお召しになろうと帝は俊蔭に、東宮は娘に、それぞれ文をお出しになるのであるが、俊蔭は返事をしないし娘にも返りの文を書くことを許さなかった。

 位の高い上達部や息子達の文は当然のこと、開くことさえしなかった。俊蔭、

「娘の将来については、天道にお任せ申し上げる。その天道の掟であれば、国王の母とも女御とも成ることであろう。天道の掟がなければ娘は貧しい者の妻になればよい。我は収入がなく貧乏な身である。高貴な人との交わりがどうしてさせられよう」 

と、言って高貴な人が声をかけるが耳を貸さなかった。家の周りを固く閉ざして、帝、東宮の文を持った使い、その他の使いの者、夜が明けると門前に立ち並ぶが、決して中に入れなかった。

 娘に琴を教えて年を経たが、俊蔭は公の勤めは出来ないと宮中を辞したのであるが。帝は、治部卿兼宰相、参議にされて位は四位下、昇殿をお許しになった。

こうしているうちに、娘が十五歳になった二月に母、俊蔭の妻が俄に亡くなった。それを嘆いた父親も病の床につく。俊蔭は身の衰えを感じて娘を呼び寄せ、

「私は、この世に生きている間に我が娘に高貴な人との交わりをさせてやりたかった。けれども父は若くして異国に渡り、この国に帰ってからも宮中に務めることもしないで、過ごしてきたので、貧しくて、娘のお前に、親として出来る限り将来のための道筋をつけてやることが出来なかった。ただ運を天にお任せした。

 私の領地荘園は沢山あるが、誰がお前に領地の場所を教えてくれようか、居ないであろう。だけども私はお前のために死後、身近な宝物としてお前に残しておいた」

 娘に言って、耳元に呼び寄せて他人に聞こえないようにして、大事なことを述べた最後に、

「この家の乾の隅に(北西の隅)、一丈ばかり深く掘った穴がある。穴の上下と周りに香木の沈を積んで、お前が弾いている琴と同じ形の琴を、一つは錦の袋に入れて、もう一つは兎褐(とかち)袋に入れてある。錦の袋に入れたのは、なむ風、兎褐のは、はし風、と言う名前である。

 その琴は、俊蔭の娘であるという体面を忘れないのであれば、夢にも人に見せてはならない。その琴二双はないものと思って、代々我が家の宝物とするように。
作品名:宇津保物語 作家名:陽高慈雨