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京都七景

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京都七景
   第十二章 蹴上に消ゆ(一)

「おい、おい、断っておくけど、今回はあくまで場つなぎの話だからな。三条通から南禅寺までをつなぐ線で失恋の話をするという極めて難しい条件のもとにする話だから、もとより俺にそんなうまい経験のありようはない。そこで、無念ながら、現今無きに等しい我が恋愛経験から話を見いだすのはやめて、通りすがりに見かけた恋の話をすることにする。だから、乗り越えるというにはやや意味合いが違うかもしれないが、そこは了解してもらいたい。よろしいかい」と堀井は念を押して、ヴァランタインをグラスに軽く注ぐと、氷も入れずにグイとあおった。その動きにあわせて、みんなは一斉に顔を上げ、グラスをおく仕草にあわせて一斉にうなずいた。
「あれはたしか、一回生の梅雨どきの、三、四日強い雨が降り続いた後の、肌寒い日の雨上がりの昼下がりだった」
「なんだかややこしい日だな」とわたし。
「話はもっとややこしいぜ」と堀井はうれしそうに顔をほころばせた。目がいつも以上にいたずらっぽく輝いている。
「その日は、大学の帰りに公開中のルノワール展を見ようと、5番のバスに乗って近代美術館前で降りたんだ。ところがあいにく人が多くて、また別の日にすることにした。でもバス代を出してせっかくここまで来たのだから、このまま下宿に戻ってもなんだか芸がないし、どうしようかと考えあぐねていると、ふと思い出したことがある。そうか、ここは露野の下宿のすぐそばじゃないか。よし、ひとつ露野のところでコーヒーでも飲ませてもらい、哲学談義に及べば有意義な午後が過ごせるに違いない。そう思って、岡崎法勝寺町の下宿を訪ねることにした。ところが残念なことに「まだ、お帰りにならはらしまへん」というおばさんの返事だ」
「そんなことがあったとはちっとも知らなかったよ。でも、よく俺の下宿がわかったな?」と露野がびっくりする。
「そりゃあもう、一回生の時に作った住所録でチェック済みさ。何しろこんなに位置取りのいい下宿先はほかにはないからな。だって近くに、市立美術館に近代美術館、平安神宮に南禅寺だろう、失礼だけど、ベースキャンプとしては申し分がない。こりゃあもう友だちになるしかない。とはいえ、さすがの俺もその下心だけで友だちになろうなんて思ったわけじゃない。露野と、いや、ここにいるみんなもそうだが、お互い自然に話が合うし尊敬もできるからだ。でも、こうやって友だちになってみると、やはり露野の下宿の位置どりは、自分のことのようにうれしいぜ」
「やはり結局は、そう来たな」と、神岡が肩をすくめる。
「まあ、まあ、いいじゃないか。お互い様さ。俺も、堀井の下宿にはまだ行かないが、野上のところはよく出没してるから、おあいこさ」と露野が仲裁に入る。
「あのな、『おあいこ』の使い方が間違っていると思うよ」とわたしが不機嫌になる。
「まあ、まあ、そう言わずに。野上も今度来てくれよ、歓迎するぜ。それに今度はちゃんと用意しておくからさ」
「用意しておくって、何のことだい?」と大山が不思議そうに聞く。
「コーヒーだよ」
「コーヒー?」と神岡が頓狂な声を出す。
「うん、コーヒー。俺、大の紅茶党なんだ。だから俺の部屋にはコーヒーがない。今気がついた。今度、用意しとくから、近くに来たらぜひ寄ってくれ」
「なあんだ、そういうことか」みんなは笑い出した。
 ひとしきり笑いがおさまると、堀井は問わず語りに話しはじめた。
「ま、ということで、よし、それなら南禅寺に行こうと決めたのさ。まだ一度も行ったことがなかったからな。京都に来て清水寺と南禅寺に行っていないのは、京都の素人みたいで、いかにも恥ずかしい。といって、何を以て京都の素人と言うべきかは俺にも未だはっきりとは分からない。が、とにかくそのとき、俺はそう思った。だからこの際そいつを解消しておこうと南禅寺に向かったというわけさ。
 法勝寺前の通りの突き当たりを、右左に曲がると南禅寺の門前に出た。そのまま、まっすぐ進むうちに左に大きな山門が現れた。おや、あちらが正門だったかとあたりを見回せば、今度は右手に変なものが目に入って、俺はその場に釘づけになった。
 南禅寺の境内を区切って、古代ローマの水道橋の様なものがあるじゃないか。橋脚をアーチ型に規則正しく刳り貫いて、フランス、ニームのガール橋の写真とよく似ている。いや、いっそ、小さい凱旋門をいくつも並べた様な、と言った方があるいは正確かもしれない。が、とにかく、どうしてこんなものが禅宗の総本山の境内にあるのか。もうびっくりして声もあげられなかった」
「ああ、水路閣のことだね。あれは明治の中頃、琵琶湖の水を京都に引くために作ったもので、今も上を琵琶湖の水が流れている。琵琶湖疎水分線といって哲学の道の脇を流れているのもこれさ。最後は、確か修学院近くの松ヶ崎浄水場までつづいていると思うよ」と、神岡がもの知り顔に説明した。
「いやに詳しいな」と堀井が感心する。
「ぼくは、専門外のことでも、気になると納得するまで調べる癖があってね」
「いやみも相当だね」と、専門が同じせいか、神岡には敏感にわたしが反応してしまう。いわゆる、敵愾心というやつか。
「それが専門に活かせれば、いやみととられてけっこうだが、専門となると、とたんにやる気が出なくなるから、これが困るんだ」と神岡が珍しく浮かぬ顔をする。
「まあまあ、諸君。それぞれのことはそれぞれにさておき、堀井に急いで話を進めてもらおうじゃないか。大文字の火が少し小さくなって来たようだぜ」と大山が話を促す。
「よおし、それじゃ、端折れるところは端折って早く本題に入ることにするぜ。で、その水路閣のことなんだが」
「ちっとも端折ってないようだな」と今度は露野が口を挟む。
「いやいや、この水路閣をくぐるからこそ話が始まるんだ。だから、どうしても省くわけには行かない。大急ぎで、くぐらせてもらうよ。
 で、そのくぐる瞬間にだ、俺は、またも何気なく左を見た。すると、そこにも別のアーチが重なり合って横に一つの通路ができている。それはまるで 教会の側廊と言ってもいいくらいだが、問題はその側廊の奥にあった。
 人が二人、ひしと抱き合っている。
 俺は自分の目を疑った。まさか、そんなことがあるはずがない。もしかすると見間違えたのかも知れない。実際に、ここは本当の教会の一部で、よくあるようにピエタの像が側廊の正面にあって、俺はそれを見間違えただけではなかったろうか。そういえば、一瞬だが、全体的に白っぽく見えた。あれはやはり白大理石の彫像だったのだろう。それにパリじゃあるまいし、いかに国際的観光都市とはいえ、あくまでも日本の京都である。真っ昼間にこんな人目のあるところで抱き合っている人がいるとは思えない。抱き合うならもう少し人目にたたぬところを選ぶだろう、と、そこまでが一瞬にして俺の頭をよぎった。
 よし、確かめてみよう。おれはドキドキする胸を押さえながら、もう一度そちらの方を見た。
 俺の目は間違っていなかった。
作品名:京都七景 作家名:折口学