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ディストーテッド・ロマンス

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幸福のためのエチュード



「響?」
聞き慣れない甘い声の聞き慣れた音に足を止めた。
「久しぶり。鬼ヶ里を出たっていうから心配していたのよ」
雑踏の中、もったいぶったようにゆっくりと近づいてくる女は、周囲の視線を一身に集める美しさを持っていた。姉に似ている、と桃子は思った。称賛と注目を空気のように摂取して自意識を肥大させた、大輪の薔薇のように美しく華やかな女。
緩く巻いた髪に細い指を絡ませ、女は小さく首を傾げた。華やかな顔立ちが甘えたような表情を浮かべる。彼女の背後で細身の男が顔を強張らせているのを見て、桃子は響と彼女の関係におおよその見当を付けることが出来た。桃子が横を見上げると、響は冷ややかに目を細め、桃子の手を引いたまま歩きだした。あからさまな無視に女は顔を赤くして、もう一度彼の名前を呼ぶ。桃子が足を止めると、響は渋々もう一度女を振り返った。
「二度と俺に関わるなと行ったはずだよな」
女の媚びた視線を切り裂く、鋭い声だった。女はうろたえ、心を痛めたように憂いを込めて眉を顰め、自分の胸元に縋るように手を握った。それを見て、桃子は確信を抱かざるを得なかった。彼女は響の花嫁だった女だ。
「心配していたのよ……?」
甘えた視線に、ああ、彼女はまだ響に未練があるのだと伺い知れ、桃子は息を吐くしかなかった。嫉妬など覚えない。抱くのはむしろ憐憫だった。桃子が自分と比ぶべくもなく麗しい女の境遇にかつての自分を重ね、目を細めていると、握りしめていた響の手の体温がすっと低くなった。
「だから? 感謝でもしろって?」
ふっくらとした唇がきゅっと結ばれる。美しく歪められた顔が桃子を向き、続けてその右手を握る響の左手に視線が注がれた。
「その子――」
「俺の花嫁」
女は目を瞠り、信じられないというように桃子を上から下まで眺めた。納得がいかない様子の女の視線を、桃子は黙って受けることしかできなかった。胸元の拳が小さく振るえるのを痛ましい思いで見詰める。最初の鬼に未練を抱くかつての花嫁は、なぜ自分ではならなかったのか、肌に刻まれた血色の花はいったい何だったのか、と困惑と自失と悲嘆と失意と嫉妬を扱いかねて、顔を歪める。
「お前に印を付けたことを後悔してるよ」
胸元で手を握り締める女を、響が嘲笑う。
「刻印なんて俺にとっては何も意味は無いんだよ。そんなものに縋って哀れなだな。お前が俺に愛されるだなんて、そんな期待をしていたのか?」
響の言葉が女を切り裂く。冷たい言葉はかつての花嫁を傷付けると同時に、桃子をも傷付ける。これ以上見ていられないと、桃子は響の手を引っ張って、女に背を向けた。一度振り返ると、呆然とする女の方を彼女の今の鬼が支えているのを見て、ほっとする。
それまで黙って桃子に引っ張られていた響がおもむろに桃子の肩を抱き寄せた。その唐突さに桃子が目を丸くしていると、耳元で響が嫌な笑いを洩らし、桃子は嘆息した。
「悪趣味――あれ、あたしにも言ってたでしょ」
かつて響が捨てた花嫁に対する冷ややかな態度と嘲りは、そのまま桃子を切り裂いた。刻印をつけてからというもの、響は桃子が警戒するほど丁寧に扱ったが、時にその秀麗な顔に嗜虐が覗いた。気に入ったものは壊したいという男だ。桃子の古傷を抉る時、その表情はこの上も無く甘ったるい。今もやはり。
「お前の傷に触れることができるのは俺だけだ――逃げたくなった?」
蕩けるような微笑に桃子は肩を竦めた。
「あんたが変態なことなんて百も承知よ」
おや、と響は芝居じみた表情で前髪を掻きあげた。
「よくそれで一緒になる気になったな。俺が言うのも何だけど」
「まったくね」
どうせ逃がす気なんて無かったくせに、と桃子が言えば、響はよく分かっていると、と桃子の髪にじゃれつくように、響が頭を寄せた。肩を抱かれ顔を寄せて、傍から見たらどんなバカップルだと桃子は思わず目を瞑った。
いい加減響から愛されていること、大切にされていることを桃子は理解はしていたが、しかしその穏やかな眼差しが気紛れに嗜虐に染まるのを見るたびに、信頼が揺らいだ。桃子は律義にその度に不安に苛まれ、響はその都度、それを楽しげに、極めて優しく宥めた。積んでは壊す賽の石積みのような繰り返し。もう何度目だろうか。信頼が揺らぐたびに、これまで以上の優しさで支えられる。幾度もそれを経験して、いつからか桃子も響の戯れに一々心を動かさないようになった。最早捨てられた過去に対して痛みを覚えなくなっていた。それはまるで骨折した箇所が治癒後は以前よりも強くなるように、桃子の心も鈍感に堅牢になっていった。彼がそれを意図していたのか、否かは計りがたかったが。
「悪趣味だわ。あんたと付き合うなんて正気の沙汰じゃない」
しかし。
「響じゃなきゃ駄目だった」
響は桃子の言葉に興味を示したように、足を止めた。暗に先を促され、桃子は響の手を握り直した。振り払われる恐れなんて感じない。その腕はいつも桃子を守り、慰めてきた。信じて構わないんでしょ、と見上げれば、響は心得たように小さく頷いた。
「花嫁を捨てた鬼が、鬼に捨てられたあたしを選んで、そしてあたしが選ぶことで、やっとあたしは初めて過去を克服することができたのよ」
憐れみでも嘲りでもない。対等な関係を求めていた。選ばれて捨てられるのをただ待ちたくなかった。自分も選んで、捨てられるだけではない、他の選択肢を得たかった。だから桃子は響を選んだ。響は選ばせたと思っているかもしれないが、桃子は確かに自分で選んだという自覚があった。でなければ、そもそもアパートに同居したりしない。
そして、桃子が選ぶは響でなければならなかった。刻印が頼りにならないなんてことは初めの鬼で痛感していた。だから、刻印に縛られない響でなければならなかった。
「それに……優越感だって満たされるしね。捨てられたあたしが、捨てたあんたに選ばれるんだから、それだけの価値があったんだって勘違いできる」
自嘲に声を落としながらも真っ直ぐな視線を向ける桃子に、響は瞳から嗜虐の色を消した。くしゃりと桃子の髪を撫でる。
「お前は十分その価値があるよ」
桃子が鬼ヶ里で幾度となく、響に対等な関係性を確かめていたことを思い出した。あの時から既に選ばれていたのだろうかと、響は不思議と満足な気分で笑った。身の程を弁えない向う見ずな女を、普段ならあっさり殺していただろうに、大事な面白い手駒として傍に置き続けた自分もまた、あの時から桃子を選んでいたのかもしれない。どちらが先だったのだろうか。廊下から声を掛けてきた桃子だろうか。屋上で声を掛けた響だろうか。
桃子は小さく笑い、響の手を引いた。
「あたし同様に、あんたも大概趣味が悪いわよね」
「まったくだ」
捻くれてねじくれた歪んだ二人が手に手を取って、幸福は間近。