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レイニーブルー

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夢見草



冬の気配がすっかりと消え去り、空気は暖かく風も穏やかになる頃、薄紅色に染まる木をことさら鬼は好んだ。しかし、今桃子の最も身近にいる鬼はそうではなさそうだった。新聞やテレビで途切れることなく報じられる各地の開花情報。桜色の小物や菓子が置かれた店先。春らしい優しい色に町が染まるにつれ、響はにこやかな表情で有無を言わせず桃子を連れ回すようになった。傍から見れば人当たりの良い笑みだったが、そんな時ほど響の機嫌が悪いということを、短い付き合いながらも桃子はおおよそ理解していた。
だから。休日の朝八時なんていう非常識な時間にドアチャイムが鳴らされても、またか、と桃子は諦め半分でドアを開いた。
「おはよ。着替えてくるからちょっと待ってて――中で待つ?」
小さなアパートの通路に立っていては邪魔になるし、近所の目もあるからそう提案したが、響はちょっと迷うように視線を流して首を振った。それでいらぬ詮索を受けるのは自分なんだけどな、と項垂れつつ、桃子はナイトウェアを脱ぎ捨てた。響が退院して一ヶ月ほどしか経っていないが、それからというもの事あるごとに彼は桃子の周辺に現れた。休日は言うまでも無く、バイトの行き帰り、日常の買い物にまでどこからともなく現れた。会わない日は無いと言えるぐらい頻繁に響が来ることに警戒はあったが、しかし鬼ヶ里を離れて一人で暮らす桃子にとっては頼る相手も無い中、響の存在は幾分かの慰めになっていた。
ジャケットを羽織って飛び出ると、響はドアの前で数分前と変わることなく立っていた。
「どこに行くの?」
「西」
助手席に乗り込むと滑らかにに発進した。響は見かけによらず丁寧な運転だった。
乗るたびに快適な車だと思う。右ハンドルのその車が国産車なのかどうかも桃子にはよく分からなかったが、幾分低い車体と触り心地の良い淡い色のレザーシートは気に入っていた。働いてもいないのに車をどうやって維持しているのかと桃子が尋ねると、響は上から金が貰えるから、と言った。力が強い鬼ほど高収入なのだと。それを聞いた時、鬼達の持つ優生主義を感じとって辟易とした。長命な鬼ではまともな社会生活が送れるはずも無かったから、響が働かないことに関しては何も言いはしないが。
「西って……もうちょっと具体的に言えないわけ?」
「秘密」
響が美しい笑みを浮かべる。ああ、これは随分と機嫌が悪そうだ、と思いながら桃子は口を噤んだ。
山道に入り車の軌跡が正弦曲線を描くようになると、周囲にちらほらと薄紅色の靄のような塊が現れ始めた。この辺りではもう咲いているのだな、と春の花に目を奪われる。鬼ヶ里には桜が多かった。初夏に里を訪れ、雪のまだ積もっている頃に里を出た桃子は終ぞ見ることは無かったが、花盛りはにはさぞや見事だろうと、逃げるようにして出てきた里を思う。そこに暮らすのは花のように美しい人々。隠れ里のようなそこは、今思うと夢のような空間だった。そこで過ごした半年は、桃子にとって悪夢としか言いようがない。ふと隣でハンドルを握る響を見る。最も鬼ヶ里らしい、美しく高慢な鬼の存在は、あれが夢で無かったことを思い知らせる。
「ほら、降りるぞ」
手を引かれて車を降りる。見回しても辺りは山ばかりだ。相変わらず不機嫌そうな響に引っ張られるまま、足を進めた。ここで抵抗しても仕方が無い。人目の多い街中でなかっただけましだろう。不躾な視線を浴びずに済む分。それに、桃子は響と出かけるのはそれほど嫌ではないのだ。他人の嫉妬とやっかみの視線と中傷さえ無ければ。
桃子の手を掴む力はいつになく強かった。普段であれば傲慢さを感じて腕を払っていただろうが、その日はそんな気分になれず、そっと握り返した。
パンプスでもさほど苦にならない緩やかな坂道を登っていると、目の前を白い小さなものが過ぎる。それを視線で追っていると、突風が桃子を押し上げるようにして去っていった。バランスを崩しかけた桃子を響が難なく支える。ひらり、と花弁が舞った。
春の日差しに珊瑚色が輝く。風が吹くたび、枝が簾のように視界を遮った。
斜面に大きく根を張った老木は、滝のような枝を広げ、花盛りを迎えていた。
幾重にも花弁を重ねた花は重たげで、それでいて繊細な印影を持ち、艶やかな色で揺れていた。
誘われるように手を伸ばすと、微かに甘い香りがした。透き通るように薄い花弁はそれぞれは淡い色をしているが、重なることで珊瑚色の花を形作っていた。
「桜?」
よく目にする染井吉野とはあまりにも違って、桃子は思わず響を振り返り、そして息を飲んだ。枝を片手に、花に顔を寄せる様は鬼の名に相応しい。凄惨な美しさ。
風が吹き、視界を薄紅色が過ぎる。繋いだ手が微かに震えた。
「きれいね。夢みたい」
無邪気な声に、響は顔を上げた。握り返していた桃子の小さな手が力を失い、するりと響の手の中から逃げる。花に触れていた指も力無く落とされた。くるりと身を翻し、響から離れる。桜の枝が届かない所まで行くと、桃子は桜を振り返り、その枝に取り囲まれた響に微笑んだ。
「夢みたいにきれい」
陽光の中、桃子は屈託なく笑う。実感の込もらない、どこか他人事のような声。響が見詰める中、桃子はそっと目を伏せた。ひらりひらりと花弁が舞い散る。桃子は舞い落ちるそれを掴もうとしたが、微細な空気の動きにのせられ、花弁は意思を持つように桃子の指を避けた。桃子はそっと口元を歪めた。
 疎外感を拡大生産していることに気付きつつも止められない彼女を見て、響は目を細めた。ざあ、と枝を揺らして風が走り抜ける。薄紅色が互いを分かつ。響は風がおさまるのを待たず、桃子の方へ踏み出した。小さな手を握り直し、身体を屈めて桃子の肩口に顔を伏せる。ぎしり、と耳底で音が鳴った。
「離れるな」
「響?」
「桜、気に入ったか?」
「うん……これまで見た中で一番きれい」
降りしきる淡紅色に、桃子はそっと息を吐く。響は桃子の手を握る手に力を込めた。
「春は嫌いだ――桜は尚更だ」
桃子は目を瞬かせた。
「じゃあ何で来たの?」
ちっと鋭い舌打ちが耳元でした。
「お前が花見をしたいって言ったんじゃないか」
「無理しなくて良かったのに」
桃子は呆れたように小さく笑った。春の淡青色の空の下、珊瑚色の滝が揺らめく。桜を何よりも愛するはずの鬼は、春から目を背けるように桃子を抱き締める。桃子は響の手を握り返した。降りしきる薄紅色の花弁は立ち竦む二人にも等しく降り注いだ。


作品名:レイニーブルー 作家名:萱野