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ベイクド・ワールド (上)

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「こんなところで大音量でラジオを聴いてんじゃねえよ。周りはクソ迷惑してるんだよ」と若い男は罵った。そこには自らの作業の進まなさの苛立ちも多く含まれていることは明らかだった。むしろ、それだけなのかもしれないが。周りの客は彼らの姿を黙って見つめていた。二人連れのOLはあからさまに恐怖を浮かべた表情をしていた。四十代くらいのサラリーマンは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「なにを、するん、だよ。このばか、やろう」とラジオ男がさっきとまったく同じことを言った、まるで壊れたラジオのように。
「出て行けって言ってるんだよ。邪魔なんだよ」と若い男は怒鳴った。殴り合いにでもなるかと思ったが、若い男は一定の距離を保っていた。
 誰かが階段を勢いよく駆け上がってくる音がした。おそらく店のオーナーだろう。
「どうなされましたか?」とオーナーは息を切らせながら二人に訊ねた。
「この人がテーブルでラジオを大音量でかけてるから、みなさんが迷惑しているんですよ。しかも、この人、何も注文せずにここにいるんですよ。店側で対処してくださいよ」とさっきとは打って変わって落ち着いた声色で若い男は言った。
「こちらのお客様がそうおっしゃっているのですが、間違いないでしょうか?」とオーナーは丁寧にラジオ男に言った。
「なにを、するんだ。ばか、やろう」とラジオ男は呟いた。男はこれだけしか言葉をもっていないのだろうか。ラジオ男は黙って、ペットボトルを手に取り、ぐらりぐらりとふらつきながら、階段に向かって行った。ラジオを置きっぱなしにしていったので、オーナーが「お客さま。忘れ物ですよ」と声を上げながら、男を追いかけた。
 若い男も居心地が悪くなったようで、PCを片づけて、そそくさと店を出て行った。若い男とラジオ男がいなくなった店内ではしばらく先ほどの出来事について客が語り合っていた。僕は食いかけのダブルチーズバーガーとフライドポテトを平らげると、店を後にした。
 
 僕は駿府城跡の中堀の前にいた。さきほどのラジオ番組の情報が少し気になったからだ。鯉の大量死。今日の九時半ごろに見つかったということは、まだ回収作業をしているかもしれない。駿府城跡は葵区役所の裏側にある。そこに訪れるのは何年かぶりだった。もちろん、通学のときや、買物のときに、その場所を通ることはあったが、目的をもって来たのは久しぶりだった。僕の記憶が正しければ、小学生の頃に遠足で行ったきりだったと思う。駿府城跡のなかには学校や県庁、会館が建てられていた。天守閣がないため、城跡自体はいくぶん地味だったが、広場はある種の憩いの場として機能していた。
 中堀はまるで絵の具をまぜこぜにしたような淀んだ色をしていた。堂々とした石垣はところどころ薄汚れていた。僕は辺りの堀を眺めてみたが、そこには死んだ鯉は一匹たりとも発見できなかったし、作業員らしき人物や僕のように興味本位でやってきた人もいなかった。中堀は外周で一・七キロメートルもあるので、僕は堀をぐるりと一周してみることにした。
 堀に沿って北にまっすぐ進んだ。堀の反対側には小学校や中学校が並んでいて、その先には市民文化会館がある。堀を左に折れ、さらに進むと左側に北御門橋、右に中央体育館が見える。しかし、北側の堀にも鯉の大量死を示す痕跡は見つからなかった。さらにまっすぐ進み、商店街を抜け、西側の堀に出る。すると、堀のなかに数台のゴムボートが浮かんでいるのが見えた。ボートには作業服を着た男が乗っていて、大きな網を持っていた。区役所の自動車が路上に駐車されているのが見えた。
 池にはまさに大量の鯉が死んでいた。腹を上にして、ぷかぷかと水面に浮いていた。ゴムボートに乗っている役所の人間は鯉の回収作業をしているようだった。数人の野次馬が手すりに手をかけながら彼らの作業を眺めていた。そのなかの一人の男が声を上げた。
「おーい、そこの作業員さん!」
 作業員は手をとめ、声のした方を見た。作業員は二十代前半くらいの若い男だった。「なんですか?」と作業員は言った。
「原因は分かってるのか? 鯉がこんなに死んでる理由」と男は言った。
「いや、まだ分からないんです。とりあえず水質検査をして、問題がないか調べます。おそらく、今日の夕方か明日くらいには簡易検査の結果は出ると思います。詳細な解析となると一週間くらいはかかるかもしれませんが。でも、これだけ広い堀ですからね、水質が影響ではないと僕は思うんですが」
「西側の堀に集中してるんだってなあ」
「そうなんです。まるで他のところの鯉がここに集まってきたように思えるんですよね。他のところにも鯉はいたんですが、今は見かけられないんです。ほら、いつも水面に見えたでしょう。でも、今は見えない」
「全滅か? どこ見ても鯉が泳いでないからな」
「いや、それはまだ分かりません。深さ数メートルあるので、底を泳いでるかもしれないですし。実際、鯉は池の底を好みますからね」
「水質が原因じゃないとしたら何になる? 病気か?」
「これは個人的な意見ですが、ウイルスでもないと思います。二〇〇三年の十月に同じように鯉の大量死がありました。茨城県の霞ケ浦で起きたんですが、はじめのうち原因が不明だったんですが、詳細な調査で原因がウイルスであることが判明しました。そのウイルスはコイヘルペスウイルスというんですが、そのウイルスが感染した鯉は形態的にある変化が起きます。つまり、目がくぼんでしまったり、鰓がただれてしまったり、頭部がぼこぼこになったりするんですね。けれど、ここの鯉はその特徴がまったくみられない。ようするに、コイヘルペスウイルスが原因ではないはずなんです。もちろん、新種のウイルスが関与している可能性もあるので、ウイルスが原因ではないとは確実には断定できませんが」
「へえ。作業員さん、詳しいね」男は感心した。
 作業員は照れ笑いをした。「実は僕、三重県の大学でそのウイルスの研究をしてたんですよ」
「そうか。すごいな。でもよ、ウイルスが原因であることは極めて低いってことなるなら、他に考えられる可能性はなんだろう?」
「ううむ。それは難しいですね」作業員は唸った。
「もしかしたら、集団自殺とかだったりしてな。こんな外の世界にも出られない堀に絶望したのかもな」
「ううむ。でも、外の世界を一度も見たことがないのなら、彼らにとってここが世界だったと僕は思いますけどね。この場所以外にも世界があるということを知らなければ、彼らの中では外の世界は存在しないのと一緒じゃないですかね。だから絶望はしないと思います」
「へへ」と男は笑った。「冗談のつもりで言ったんだけどな、そんな真面目に答えてくれて、作業員さんは良い奴だな。もちろん、鯉は自殺なんかしないさ。自殺するのは人間だけだ」
 作業員は小さく笑った。「これは、あくまで個人的見解であり、僕の妄想であることを前提に話をさせてもらいますと」と作業員は前置きをした。「僕はですね、彼らはきっと何者かに殺されたような気がするんです。どうしてかは上手く説明はできないんですけれど。そんな気がするんです。その何者かは明らかな殺意をもって、何らかの方法で鯉を西にまで追いやり、そして何らかの方法で殺した」