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ベイクド・ワールド (上)

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 ふいに後ろに気配を感じた。僕の真後ろに枯木と枯葉を踏みしめる音が聞こえたのだ。振り返ろうとしたとき、僕の視界が上下左右にはげしく揺さぶられた。何が起きたのか分からなかった。けれども、それはすぐに分かった。誰かが後ろから僕の頭を思い切り殴ったのだ。僕は前方によろめき倒れこんだ。その瞬間、僕の手にあった首なし狐像も地面へと転がり落ちた。その誰かはうつ伏せ状態の僕の背中にのしかかり、執拗に頭を殴った。僕は咄嗟に身を捩じらせて、地面に落ちていた大きめの石を持ち、その手を後方に向けて一心不乱に振った。何度か振っていると、その石がその誰かにぶつかり、小さな呻き声がもれた。若い男のような声だった。その隙に、僕は身体を転げさせ、反動をつけて立ち上がった。石を右手に構えたまま、その誰かがいる方向に身体を向けた。そこには僕と同じくらいの背丈の男が突っ立っていた。光沢のある黒のウインドブレーカーを着て、フードを目深にかぶっている。顔はうかがい知れなかった。左手には木の棒のようなものを持っていた。僕はきっとあの棒で殴られたのだろう。男はウインドブレーカーの奥に隠れて見えない、ふたつの目で僕をじっと見つめていた。
 僕はしんぼるの破壊のために持ってきたナイフを取り出そうと尻のポケットに手を入れた。しかし、落としてしまったのだろうか、そこにはナイフがなかった。きっと殴られたときに、ナイフがどこかに落ちたのだろう。男は左手に棒を持ちかえたあと、ふいにしゃがみこみ、それからゆっくりと立ち上がった。男の右手には僕のナイフが握られていた。僕は唾を飲み込んだ。音のない恐怖が空間をつつみこんだ。しかし、男はナイフを持ちながら、数歩歩いたあと、それをどこか遠くへ放り投げた。それは覆い茂った草むらのなかに入り、消えてしまった。いったい何が目的なのだ、と僕は思わずにはいられなかった。こいつは誰だ。けれども、言葉が出てこなかった。得体のしれない謎の男と会話をすることなどできなかったのだ。話すことで、望んでいない不吉なことが起きそうな気がした。僕はただ石を手にもちながら、男をじっと見つめることしかできなかった。
 ふいに、男は棒を構えながら僕の方へとゆっくりと近づいてきた。枯葉を踏む音だけが聞こえる。みし、みし、と。僕の目の前までやってきて男は足を止めた。まさに目と鼻の先だ。僕は身動きが取れない。恐怖が身体のなかを這いずりまわっていた。男は地面を眺めた、まるで何かを探すように。僕の身体はまったく動かなかった。男がいくら隙をみせても、そこから脚を動かすことができなかった。メデューサに見つめられた哀れな生き物のように僕は石になっていたのだ。頭部を殴られた痛みだけを薄い暗闇のなかで僕は感じることができた。まるで風船のように膨張してから、ゆっくりと萎んでいくかのように波打つ生々しい痛み。その痛みしか僕には感じることができなかった。
 男はふいにしゃがみ、何かを手に取った。それはまぎれもなく首なし狐像だった。
「君には悪いが、このしんぼるは貰っていく」と男は呟いた。
 僕は驚かずにはいられなかった。この男は首なし狐像を『しんぼる』と言ったのだ。僕ははげしく混乱した。混乱せずにいられるわけがない。
 男は小さく笑った。「僕がどうしてしんぼるについて知っているのか君は不思議に思うだろう」と男は言った。「しかし、それはとても簡単なことだ。つまり、僕も君と同じ沙希の物語の登場人物だからだ」
 僕はますます混乱した。混乱する僕を無視して男はさらに言葉を続ける。
「僕は彼女の物語に登場する『ムシカ』としての役割を付与された。僕にも君たちと同じように黒い呪いがかけられた。アルビナ、君と協力するもう一人の少年が僕なわけだ。しかし、僕は沙希が書いた物語のように君の仲間にはならない。なぜなら僕にはやるべきことがあるからだ。悪いが、君にはここで倒れてもらうしかない」
 その瞬間、僕の頭がもう一度上下左右に激しく揺さぶられた。男が持つ棒が勢いよく僕の頭へと振り下ろされたのだ。痛みを抱えた頭にさらなる痛みが重層された。意識が飛ぶ感覚をおぼえた。僕は再び地面へと倒れた。腐敗した土の匂いが僕の鼻を突いた。
 男は首なし狐像を手にもったまま、その場からゆっくりと離れていった。僕には一瞥もくれず鳥居を抜けていった。僕は動かない身体を無理やりに動かそうとした。出ない声を無理やりに絞り出そうとした。ようやく手をつきながら立ち上がり、声を出そうとしたとき、男はすかさず振り返った。僕の身体は再び石になった。男は持っていた棒をこちらへと勢いよく放り投げた。そこには明らかな敵意が感じられた。それは僕の二メートルほど前方に落ちたが、それは僕の動きを静止させるためには充分だった。男はこちらには向かって来なかった。男は再び歩き出した。何歩か歩いたあと、男はウインドブレーカーのフードから顔を出した。薄暗い月明かりが彼の後姿を照らしだした。しかし、その顔をうかがい知ることはできなかった。
 男が過ぎ去ったあと、しばらく僕は呆然としていた。いくらかの時間が経過したあと、僕は目の前に落ちた棒を手に取った。それは何の変哲もないただの木の棒だった。辺りは真っ暗で静まり返っていた。僕は草むらのなかへと消えてしまったナイフを探した。しかし、もはやどこにあるのかは分かるはずがなかった。僕はナイフを探すのを諦め、男が残した棒を手にもち、その場を離れることにした。僕は自分の身に起きた事態についてまったく理解することができなかった。痛みに満たされた頭では、それは到底無理な話だった。

 僕は夜に満ち満ちた道路を、頭に痛みと疑問を抱えながらひたすら歩き続けていた。僕は第四しんぼるの破壊に失敗した。それも、『しんぼる』と『沙希』について知っている『ムシカと名乗る男』による妨害によって。
 意味が分からない。あいつはいったい何者なのだ。沙希はムシカにはモデルはない、と言っていた。モデルがいなければ、僕のように役割を担う人間はいないはずではないのか。いったいどういうことだろう。しかし、物事を考えるには、僕の頭は多大な痛みを抱えていた。頭のなかで蛇が這いずりまわるような脈打つ痛みを僕は感じていた。耳からは電子音のような耳鳴りが絶えず鳴り続けていた。今は何もこの謎について理解することはできない。とりあえず、沙希やゲバルトと話をしてからにすればいい。
 僕は白髭神社から離れ、第五、第六しんぼる『ふたつのマンホール』のある辰起緑地を徒歩でめざしていた。僕は今日のうちに第四、第五、第六しんぼるの三つのしんぼるを破壊することを計画していたのだ。しかし、第四しんぼるの破壊に僕は失敗してしまった。それはもはや僕にはどうすることもできない。せめて第五、第六しんぼるだけはなんとしても壊さなくてはならない。それが僕に与えられた役割だからだ。