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ヤマト航海日誌

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おれがヤマトのファンではなく西崎義展と出渕裕をナメクジにも劣ると考えてるように、亡き天才もゴジラのファンてほどでもなかったろうから、田中友幸や大河原孝夫のカバン持ちなどするわけない。別に天才だからじゃなく、それが正常の人間だ。

ゴジラ映画をふつう大人は見に行かない。行くのはセンボンノッコである。センボンノッコがカネを払って見てくれるので次の映画が作れるのである。ヤマトもまた同じであって、センボンノッコが喜びさえすりゃプロデューサーは満足なのだ。だからみんながセンボンノッコになっていく。センボンノッコでない者が入り込む余地はない。

『ゴ2ミ』のロードショー公開は、〈平成ガメラ三部作〉が好評で、『エメリッヒ版ゴジラ』が不評で、日本が本家の怪獣王に国土を蹂躙されるのを待ってたタイミングだったらしい。おれは全然関心なくてスルーしてたが、そうだったらしい。

そう言やその頃、前に書いた『アパチュア・アンド――』というやつをおれは書いていたんだっけか。規定枚数に届きもしないもんなのに編集者が読んでくれて、「うまい。テクニシャンと思うが、うますぎて長いものが書けないのか?」なんて書かれたりしたんだ。一応ホントだよ。だったら一体、今やっているこの長いのはなんなんだと思うかもしれないけどさ。

時は1999年暮れ。ゴジラをミサイル攻撃すべき自衛隊の〈F-2〉は量産初号機の中にいるグレムリンと戦っている段階で、まだ世間では〈FSX〉と呼ばれていた。まあ、どのみち間に合っても、墜とされるだけだったろう。ゴジラは破壊神なのだ。それがデデデン、デデデンと、この地上に降り立つのだ。人の力が到底及ぶものでないのだ。

ギャオーン! しかしそのときシベリアからの寒気団が超特急で劇場を包み、ツララの雨がバラバラと観客達を襲うのだった。神よガミラスのために泣け。天は我らを見放したのか。タローッ! ジローッ! 許してくれーっ! オレ達は、ここへ来てはいけなかったーっ!

しかしその冥王星で、平気で生きてるブヨブヨした生き物がいる。メタンと一酸化炭素も凍る極低温の環境が、なんとやつらには居心地がいいのだ。あっ、あそこに「フォッフォ」と笑うジャバ・ザ・ハットみたいなのがいるぞ。出渕裕だ。〈ぶっちゃん〉だ! やはりあいつが親玉なのか! 信じられねえ、『ゴ2ミ』を見て喜んでいる! 拍手喝采していやがる! どうしてヤツはこんなものに耐えられるんだあっ!

デデデン、デデデン、デデデデデデデデデン……日本は一体どこで道を間違えたのだろう。故人は何を『ゴ2ミ』に期待したのであろう。『初代ゴジラ』を池袋の文芸座という映画館でおれは見た。東京に出てきてすぐの、二十一歳になるかならないかくらいの頃だ。

あのときは「ううむ」と唸らされたけど、最近ケーブルTVでやったの見るとてんでグダグダで耐えられない。昔の映画なのである。そういうこともあるものである。つーより、あれはなんだろう。『ジュラシック・パーク』もそうだったけど、一度目は見て「うおお」となるが、後になって見直してみるとつまらないんで「あれ?」って感じの。

怪獣映画と知って見に行き、「いつ出るか、いつ出るか」と期待していて出たとき「うおお」。それで一度はメチャクチャおもしろいと感じるが、それは決して繰り返しては味わえない。なんかそういう宿命のような……。

ゴジラはしょせん見世物であって映画ではない、ということなんかなあ。けれど、やっぱりそう言って済ませたくないものがある。それはそうだが、どうすんの。あんなもんがどうにかなるの――ヤマトとゴジラは、人々に、共にそう言われてきた。あれは荒唐無稽なものだ。リアルなリメイクなんてできない。変えれば、それはヤマトでもゴジラでもなくなってしまう。今度こそは今度こそはと言ってみんなが失敗した。そりゃまあやらせてみた人選も悪い。最初からこいつにゃ無理とわかるのばかりに挑ませてきたというのもあるけれど……。

伊藤計劃ならばゴジラがやれたのかな? 布施明に「ノーッコが〜、喜べば〜、それで〜、いいのです〜」などと歌わせず、真の天才の思う通りに作らせたなら、『ひょっとすると』があったのだろうか。

故人が『ゴ2ミ』で許せなかったのは、映画そのものより作った人間達だろう。出渕裕がヤマトを愛し『2199』を作ったように彼らは『平成ゴジラ』を作った。彼らは言う。オレ達は、ゴジラに対する愛でだれにも負けないと。

そりゃそうだろうが、愛があるのが、出来たシロモノがひどいことの言い訳になるか? 好きだ好きだで盛り上がっての出来ちゃったで生まれたゴジラ映画なんて、人様がどんな眼で見るかわからんのか? ゴジラもヤマトもやるたんびに失敗してる最大の理由はやっぱり作る者達の〈家族計劃〉がなってないからちゃうんか?

――とまあ、こんな話をしているのも、実を言うとこれまでの〈著作権デカ〉の話の続きなのである。ゴジラの映画を個人が好きに作るのはどんな天才でも無理だけれども、小説ならどうだろうね。ネットの投稿小説ならば、「それ、違法です。」と言われるだろうが、やればやってしまえるのである。

やはり図書館で見つけたんだが、『伊藤計劃記録第弐位相』という本の中に、故人が『ゴジラFINAL WARS』を見る前の日にこんな夢を見たとかいって、ゴジラと人類が最終戦争する話のシノシプスをブログに書いた文が転載されている。これがなかなか、さすが天才と呼ばれた人は考えることが凄えなあという感じで、誰か凄い天才がこれを元に小説書いたら凄いことになるかもなあとおれは思うわけである。

それについての引用はしないので探して読んでいただくとして(どうもまだネットでも読めるらしい)、どなたか腕に覚えのある方、ひとつやってみませんか。ヤマトもいいけどゴジラもね――ねえ、どうでしょう。おれにその気はないもんで、「我こそは」という方にお譲りしようというわけですが、いや、マジな話、これはイケるぜ。

どうせ死ぬならその前に、こいつを書いて小説サイトに投稿してってくれりゃよかったのにとおれなんかは思うくらいのもんであってね。だってどうせカネ稼いでも使えなかったわけでしょう。ソレイホ刑事もあの世まで追いかけてはいけないんだし。著作権法なんてどうでもよかったじゃん。だからそうしてほしかったなあ……。

なんてなことを考えるおれはよっぽどの「天才」か、ただの異常性格でしょうか。おれはどっちでもいいけれど、君がどう考えるかは君の問題なのである。


(付記:このログは『トチロー/巻き寿司』と同時)



作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之