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ヤマト航海日誌

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2017.8.27 白黒テレビのブレードランナー



『わが青春のマリアンヌ』をおれは見ていないけど、『第三の男』だったら何度か見てる。前回そんなことを書いた。最初に見たのはおれがはたちで、この日誌にたびたび書いてる下妻から東京に出て二日がかりで映画をハシゴ見していた頃だ。これもそのようにして見たもので、早稲田にある名画座で『市民ケーン』と併映だった。

『市民ケーン』の方については、『なんやサッパリまるでわけわからんかった』という印象しかない。オーソン・ウェルズの小説をオーソン・ウェルズが自分で映画にしたとかで、オーソン・ウェルズが火星から飛来し、巨大化してズシーンドシーンと街を破壊してまわる。戦車も飛行機も歯が立たない。もう少しで人類滅亡というところで、急に突然オーソン・ウェルズが「ローズバット」と聞こえる叫びをあげてバッタリ倒れるのだ。人々は言う、「死んでる。謎だ。これはどういうことなのだろう」

確かそんな映画だった。いやいや、それ、おれ知ってるよ。地球の細菌にやられたんだよ。ちゃんと原作読めよ。と、画面に向かって言いたかった。

その程度の印象しかない。これをラジオでもやったところ、全米に大パニックが起きたんだっけか。よくわからん話だ。とにかく、『市民ケーン』についてはもうそれきりで、その後見てないので何も書けない。

が、『第三の男』である。こっちはねえ、おれはそのときやっぱりわからなかったのよ。でもなんだかものすごくモヤモヤしたものが心に残って、『市民ケーン』は二度とヤだけどこっちだったらまたいつか見てもいいかななんて思った。そう言えばこれと似たようなモヤモヤが心に残る映画があって、最初はなんだかわからなかったがその後繰り返し繰り返しビデオで見るようになってたりした。この『第三の男』って、ひょっとしてあれと同じじゃねえのか。



 『ブレードランナー』と。



おれより上の世代は言う。『第三の男』、あれは最高。完璧だ。何度見てもいいと言う。しかし、一体、何がそんなにいいんだろうと、見る前からおれは疑問に感じていた。だいたい、「何度見ても」と言うが、彼らはどこで見たというんだ。

『ブレードランナー』は家庭用ビデオデッキの普及前夜に世に出た作だ。おれを含めた映画オタクはあれをビデオで繰り返し見た。『ルパン三世 カリオストロの城』ならばたびたびテレビで放映されて、やはりその都度ブラウン管におれはかじりついて見た。

でも『第三の男』って、テレビ放映されたことがおれの知る範囲でない。おれが小・中・高校の十二年ばかりの間はたぶん一度もテレビでやってないんじゃないかな。

って、ええと、おれがはたちであれを見たのは1989年、平成元年のことである。だからこれはその頃の話と思って読んでもらいたい。女子高生コンクリート詰め殺人と宮崎勤事件の年で、『ブレードランナー』から七年、『カリ城』から十年だ。VHS対ベータの勝負にソニーが敗れて「ベーターッ!」とベータのファンが日本アルプスの山々に向かって叫んでいた頃である。教えて〜、おじいさん〜。おじいさんは『第三の男』をどこで繰り返し見たというの?

おれは映画館で見たけどさ、それはおれがマニアだからだよ。下妻にいて東京にただ映画を見るためだけに楽に行き来できたからだよ。早稲田のあの名画座は、あんな映画をあの当時よくかけていたらしい。その頃に出た『そして夜は甦る』って小説にあの名画座が名入りで出てきて、主人公が『狼は天使の匂い』っていう映画を見たりとかする。おれはその後に『ビルとテッドの地獄旅行』をあそこで見たけど、あれは茨城でやったのかどうか。たぶん、土浦あたりで……。

なんの話や。関係がない。いつにも増して、『ヤマト』となんの関係もない……いやいやいやいや、『第三の男』は第二次大戦敗戦国の戦後を描いた作なのだから『ヤマト』とちゃんと関係あるんだということにして『ビルとテッド』は脇に置き、あくまでもあの映画について語ろう。おれよりタッタ五歳上の笹本祐一は処女作に〈『第三の男』のラストシーンのようなエルム通り〉なんていうような文を書き入れ、「どんな道かわかるだろ。誰だってあれを何度も見ているはずだ」と言わんばかりだ。わかりません。そのとき高校一年のおれの家にはビデオがありませんでした。

それが普通で、普及率はまだ一割がいいところ。それが一気にハネ上がったのはたぶんその翌年の、おれが高二の85年にニーキュッパ(2万9800円でもちろんまだ消費税なし)でVHSが売られるようになったときで、ウチもそのとき買ってテレビにつなぎました。そのときまではヘタするとベータを持ってたやつの方が多かったんちゃうんかしら。

レンタルビデオの店がボコボコと出来たのもそれからなのです。それまでは、決して普通一般人は『第三の男』を繰り返し見るなんてことできなかった。まあ笹本祐一は、あの劇場とか、飯田橋にあった佳作座あたりで見もしただろうが、それはあいつが榊裕な野郎やからや。

でも普通は違うんだよう。『第三の男』は『カリオストロの城』と違って、テレビでなんかやらねえよう。なのに一体どうやって見るんだ。ビデオがないのにどうやって、繰り返して見るてんだようおう。

思うに、テレビが白黒の頃は、あれを繰り返しやったんだろうな。『アパートの鍵貸します』って映画のジャック・レモンみたいに、あれがやるとみんながワーイと拍手してテレビにかじりついたんだろうな。『第三の男』だ! 『第三の男』だ! 何度見てもシビレる!

たぶん、そういうことだろう。〈サヨナラ先生〉淀川長治の解説でテレビの『洋画劇場』が始まったのは1966年のことだとか。懐かしいなあ。『ミッドナイト・ラン』も何度もあの先生が解説してくれたなあ。カラーが当たり前になるまでの最初の六年ばかりの間に、『第三の男』を何度かやった。おれより五歳上のやつらはその最後の放映をギリギリ見ているんじゃないか。その後にアレやラストだけタラララランと眼にするものだから、何度も見たよう錯覚してしまっているんだ。

そうだ。そうに違いない。他に考えられねえもの。おれより五歳上はみんな、本当は、テレビで一度見ただけだ。それも小学五年くらいで、おれが『ガンダム』のミハルの回にゾクゾクときたみたいにやられただけだ。

そうだ。そうなのに違いない。笹本が小学五年のときにおれは幼稚園児――これで話に納得がいくじゃん。

出渕裕くらいの歳で「あれはいいねえ、何度見ても」なんて言ってそれだけのやつは、たぶん一度もテレビでさえ見てないね。〈見た〉というニセの記憶を持ってるだけだ。出渕裕がほんとに見たのは『仮面ライダーV3』。それも、中学にもなってテレビにかじりつき、高校でまた再放送。どんだけ見れば気が済むんだか。

フォークト=カンプフ検査に掛ければ、最初の問いにいきなり赤く眼を光らせて「主演は宮内洋」と応える。だからあいつはせいぜいが〈ネクサス3〉とわかるのだ。
作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之