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〝監禁愛〟の呪縛と卒業

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☆〝監禁愛〟からの卒業
 
 こんにちは。寺の最大行事である夏祭りも終わり、今は八月の盆行を控えて少しだけ落ち着いています。
 さて、伸び伸びになっていた今月の新作がやっと完成したところです。この記事のタイトルだけを見ると、何かまた怪しげな小説のタイトルのように聞こえますが、もちろん、違います。
 こういう打ち明け話はどこまでをどのように話したら良いか大変難しいものですが、この際なので、ありのままに書いてみようかと思います。
 二月に書いた現代小説〝監禁愛〟、これが複数参加している小説サイトのとある一つで好評でした。お陰様で多くの方に読んで頂きました。しかし、これはシリーズ時代物の連作集を書いている途中、息抜きというか気分転換で書いた作品でした。もちろん一生懸命書いたのはいつもと同じですが、ストーリーも王道といえば聞こえは良いけれど、ありきたりなものだと当人は思っていたのです。
 本当は時代物を完結させた後は現代物をまた書こうと愉しみにしていたにも拘わらず、私はなかなか書こうという気になりませんでした。それで、予定を変えて後で書くつもりだった華流時代小説を書いたのです。
 何故、現代物を書く気にならなかったのか? それは〝監禁愛〟が作者の予想を上回るほどの方に読んで頂けたからでした。これは誤解のないように言っておきたいのですが、出す作品が毎度、大ヒットするヒットメーカーの売れっ子作者さんなら、愕くような数字ではありませんし、実際にそのような方もたくさんいます。
 ですが、私は間違っても、そいういう人間ではなく、むしろマイナーです。だからこそ、その辺りの葛藤がありました。また現代物を書くのなら、〝監禁愛〟を超える作品を書かなければならないのだろうか。そんな無言の想いが私に重い枷となっていました。  
 その想いがずっと私を縛り付けていたのです。なので、五月に現代物を書こうと思っていて書かず、更に六月と思っていたのに、また伸びて七月になりました。実は今月も土壇場になって、どうしようかと揺れたのですが、ここで踏み切れなかったら、いつまでも堂々巡りだと思いましたので、今回は踏み切りました。
 そんな中で私が自らに課した課題は、〝最後までいつものように愉しく書いて、全力を尽くすこと〟でした。これは小説を書くときの基本事項だと私は考えています。自分が書いていて愉しくない作品を他の人が読んで愉しいと思うはずはありません。
 それは自分が愉しく書いた作品がいつも広く受け容れられるという意味ではなく、書き手本人さえが面白くないと思うような作品はその時点でもう失敗だと思うから。
 もちろん、これはあくまでも私の考えです。なので、私はいつも読者受けする作品を書こうとだけは思ってはいけないと強く自分を戒めています。受ける作品、読んで貰えるような作品よりも自分の書きたい作品を愉しく書くように心がけています。
 私に限っての話ですが、私の場合は恐らく、読者受けする作品を狙っても、けして上手くはいかないと思います。真の天才というのは、自分が書きたい作品がそのまま読者受けする作品です。つまり、〝これが書きたい〟と思って書いた作品がヒット作になるということは、それがはや才能なのです。 
 私にはこういう才能は間違ってもありませんので、自分は〝書きたいものを愉しくベストを尽くして書く〟のがモットーです。
 今回、五ヶ月ぶりの現代物を書くにあたっては、その基本レベルを守っていれば良いと大変自分には甘い目標を立てました。しかし、ハードルをこれ以上上げて、前作以上のものをと意気込めば失敗するのは明らかでした。
 その基本を守れば良いんだと自分に言い聞かせたことが良かったのか、何とか無事に完結まで書くことができました。本当に良かったし、嬉しかったです。
 今、校正中ですが、恐らくは校正が終わり発表するときがまた物凄い葛藤になるかと思います。しかし、今朝、もう三年ほど前に書いた作品をサイトにあげたら、これはもう心が折れそうになるほどの数字でした。
 一桁だったらもう取り下げようと思っていたのですが、何とか二桁でしたので、そのまま連載を続けることにしました。私はできるだけ一度始めた作品を途中で放棄したくはないのです。
 ですが、その後、ふっと気持ちが軽くなりました。皆さん、そんなことを言えば、〝自棄か開き直り?〟と思われるでしょうが、そうではありません。私自身も直後はそう思ったのです。でも、自分の心の奥を覗いてみると、
―私は元々、このくらいのものだったんじゃないか。
 そういう想いがありました。〝監禁愛〟の前後から割と私にとっては良い風が吹いていて、それがずっと今まで続いていたのです。だからといって自分が何だと思っていたわけではないけれど、やはり、このままツイテれば良いのにと思う気持ちもどこかにはありました。
 人間だから、欲はあります。でも、この数字を見てから、
―元々の形に戻っただけ。
 そういう気持ちもありました。だから、心が軽くなったのです。物は考えようだとつくづく思いました。
 何か縛られていたものから解き放たれたような気がしています。恐らく、今回の作品はそれほどの反応は得られないでしょう。前回のことがあるだけに、余計に厳しいと思います。
 しかし、私は愉しく自分の書きたいものを書いたことをとても嬉しく思っていますし、一つの大きな山を乗り越えられたと自分では思っています。
 今だからこそ初めて明かしますが、本当に心理的に大きなプレッシャーになり、長く苦しい期間でした。
 私は書くことそのものが好きなので、これまでスランプとかいうものを経験したことはありません。とはいえ、今回はスランプとはいえないにしても、明らかに私にとっては大きな一つの試練でした。
 これでもう何も気にせずにまた現代物を書くことができそうです。
 いつもながらの拙い作品ですが、もしよろしければ、そんな想いをこめて書いた作品をご覧いただけら嬉しいです。

2014/07/17