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つだみつぐ
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無農薬ということ

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7.普通の流通について




 試行錯誤の中で私達は「流通」ということが少しずつ見えてきます。いったい、今まで何の疑問も持たずにきた「普通の流通」とはなんなのでしょうか。

 私達のささやかな「新しい流通」に比べ、「普通の流通」(市場流通と呼ばれている)は圧倒的に便利です。大量の物資が能率的に流れ、買う側は好きな物を好きな時に好きなだけ手に入れることができます。それだけでなく、販売競争を通じて常に新しい商品が開発され、便利で快適な暮らしが安く手にはいるようになっていきます。このことは現在市場流通を必死になって導入しようとしている旧ソ連、東欧諸国と比較してみれば一目瞭然でしょう。
 さて、この便利さは何と引き換えに手に入れたのでしょうか。

 毎週やさいの配送の仕事をしていて、実は私はただの一度も「ありがとうごさいます」という言葉を口にしたことがありません。それはもちろん、私が他人に頭を下げるのが嫌いなわがままで自分本位な性格だからなのだけれど、もう一つの理由は、この言葉によってこの「やさいの会」が「普通の流通」になってしまいはしないか、という恐れがあるからなのです。
 私達がお店で買物をします。一万円札と一万円の品物を交換してお互いがトクをするのだから、立場は対等なはずです。にもかかわらず、売る側は初めての客にも「毎度ありがとうございます」と笑顔を振りまき、売り場をきれいにして買う側が快適な気分を味わえるように知恵を絞って努力します。一方買う側の私達はただの一度でも売る側が快適であるように心を砕いた事があったでしょうか。それは何故でしょうか。
 すぐおわかりのように、その秘密は「おかね」にあります。

 すっと昔、物々交換の中から珍しい貝殻などがいつの間にか交換を仲立ちするものとして固定し、「おかね」が生まれました。やがて「おかね」は富そのものと考えられ、さらに働くことの目的さえ「おかねを得ること」になりました。上に述べた売る側と買う側の上下関係はここに由来します。

 さて、生産者がやさいと作ると、それを青果市場へ持って行き、おかねと交換します。おかねを得るという目的を達成した瞬間、やさいは見えなくなり見えるのはやさいが変身したおかねの姿だけになります。(もう少しすると畑にある間からやさいがおかねに見えるようになります。)彼が関心があるのはやさいと引き換えに得られるおかねの量だけであり、自分が作ったやさいを誰が食べるのか、食べて健康になるのか不健康になるのかは何の関係もないことです。
 消費者の方も、関心があるのは手に入れようとするやさいとおかねとの交換比率(価格)であって、やさいを作った人は見えません。あるやさいを選び、あるやさいを選ばない、その「自由」な選択がやさいを作る人や自然環境にどのような影響を及ぼすか、といった事は何の関係もないことです。
 この二つから、「普通の流通」によって無農薬やさいが流通しない理由がわかります。簡単にいえば虫喰いは目に見えるけれど農薬は目に見えないからです。

 私はよく近所にやさいを配ります。するとしばらくたって(時には何ヶ月もあとに)やさいは色々なものに姿を変えて戻ってきます。みかん、わかめ、干し魚等々。それに私達「やさいの会」の生産者は毎週やさいを交換しています。
 こうして、自分自身のやさいも含めると、我が家の食卓にのぼる食べ物のうちの半分以上がそれぞれ固有のストーリーを持っています。例えばみかんなら、これはAさんのみかんで、日当たりも排水もよいあの畑で穫れた物なのでおいしいけれど、じいちゃんが死んでからあまり農薬をかけなくなったのですす病が出て黒くなっている、といったように。
 これが都会なら、せいぜい、評判のあの店で買ったパンなのでおいしい、といった程度でしょう。
 かつては衣食住全ての物達がこのようなストーリーを持っていたのではないでしょうか。そのことは暮しに深い奥行きを与えていました。それと同時にそのことは私という生き物の暮らしが他の多くの人々(それにはずっと前に死んだひいばあちゃんも含まれるかも知れない)に支えられているという事実を直接に示していたと私は思います。そしてそのことは市場流通の発達によって決定的に失われました。
 私のやさいが干し魚になって戻って来るといった流通は、例えば相手はやさいをたくさん持っているかも知れないし、私は干し魚が大嫌いかも知れない、といったように不確実であり不安定でもあります。好きな物が好きなだけ手にはいる市場流通はそのような前近代的な流通に比べものすごく便利です。
 便利なのはいいことです。ただ私達はその便利さと引き換えに何を失ったのかを正確に知る必要があります。それと、そのことが私達の物の考え方、人と人との関係にどのような歪みを与えているかということも。
 私達の目指す「もう一つの別の流通」は便利さと引き換えに失った物を取り戻す試みでもあります。そしてこうしたささやかな試みは圧倒的に巨大な市場流通に飲み込まれてしまう危険が常にあります。そうした例は私達の周りにいくらでも見られるのではないでしょうか。

作品名:無農薬ということ 作家名:つだみつぐ