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京都七景【第十一章】

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 【第十一章 山門に散る(四)】

「おや、ずい分といわくありげな言い方をするじゃないか。何か思い当たる節でもあるのかい?」
「まあ、無いこともないが、その前に。今聞いた話からどうしてその結論に行き着くのか、ぼくには皆目見当がつかないよ」

「どうしてだい?」と大山が恨めしそうに神岡にくいさがる。

「ぼくの方が、どうしてなのかと聞き返したいくらいだ。だってそうだろう。カフカ女史の一連の行動を見ていたら、女史が今つらい恋愛の真っただ中か、それを少し越えたあたりにいるくらいの予想は立ちそうなものだが」

「えっ、そうなのか」と、大山がびっくり箱の中身さながら身を乗り出す。

「やはり神岡もそう思うか。実はおれも何かあるなとは感じていた。でも、それがつらい恋愛だと言い切るのは少し早計じゃないかな」と、ここはわたしが事態の収拾に出る。

「いや、決してそうじゃないと思う。失礼だけど、ぼくの数ある恋愛経験が示すところによると、事態はもはや疑う余地がない。最初、食事がのどを通らないと聞いたときは、家庭の問題かなとも思った。母との関係がうまく行かないとか、親が離婚しそうだとか。だが、研究目標がしっかりしていて社交好きなカフカ女史が、それだけの理由で大学を半年以上も欠席するとは思えない。むしろその逆だ。うっとうしい家庭から逃れて大学に来る方が精神の健康にはよほどいいはずじゃないか。だから僕はこれを恋愛と判断した。恋愛は、当人たちを他人から隔絶させるものだからな。
 つらい恋愛かどうかの決定打は、久しぶりに大学に出て来たときの服装だ。シックとはいえ、彼女に似つかわしくない地味な色合い。これでぴんときたよ。おそらくお互い夢中になって時の過ぎるのも忘れる恋愛だったことは疑いないだろう。それはカフカ女史が大学に来なかった期間の長さを考えれば、よく分かる。だが、長くなればなるほど相手との意見の対立もまた多くなる。それを乗り越えられればお互いの愛はさらに深まって安定したものとなる。もしそうなっていたとしたらカフカ女史の服装もまたその深まりを伝えるものになっていたはずだ。人は幸福なときには、隠しても隠しきれるものではないし、不幸なときは、隠すことそれ自体が自然さを欠き、自ずと不幸を語ってしまうものだ。カフカ女史の服装は彼女の不幸を語っている。彼女もこの不幸をどうにか終わらせたいと考えてはいるだろうけれど、まだ片付いてない、と、ぼくは見るね」

「その根拠は?」と露野が好奇心をのぞかせる。

「つまり、こういうことさ。カフカ女史は大山に合うと湯豆腐を食べに行く約束の履行を求めた(なんか警察の調書みたいな、味気のない言い方で申し訳ない)。だが、ここでよく考えてみることにしよう。
 湯豆腐の約束は実は独文科の新人で行く約束になっていた。だから大山一人を誘うのは約束違反なんだ。しかも、後でわかったように、カフカ女史は食べられないかも知れない危険を冒してまで大山と食事をしたいと思ったわけだ。僕は男女が一対一で食事をするのは恋愛の始まりだと思っている。だって、二人で食べるということは、味わう楽しみを密かに共有するということだし、また楽しんでいる自分の無防備を相手に見せてもいいという、お互いの了解のもとに成り立っているものだからさ。つまりこの時の大山は十分にカフカ女史の恋愛の対象としての位置にあったと言っていいと思う」

「いやあ、過分なる、お褒めの言葉、天にも昇る心地にござるよ。ありがとう」
「が、残念なのは、その後だ」
この容赦ない神岡の言葉が大山を再び悲恋へと突き落とした。大山は雷に打たれたごとく茫然自失の体である。

「と、言うと?」わたしは大山の心情を察しつつ、問いを進めた。

「よく考えれば、誰でも分かることさ。どれも状況証拠でしかないが、ぼくはこう思う。カフカ女史は、この恋を終わりにして新しい恋に進むべきか、あるいは、この恋を続けるべきかで迷っていた。大山が山門に上ることを提案した時の一瞬のためらいに、それは現れている。上れば新しい恋に生きることを、上らなければもとの恋に戻ることを、心に決していたのだと思う」

「どうしてそんなことが分かるんだい?」茫然自失を続けている大山に代わって、今度は露野がたずねた。

「それは、カフカ女史の行動を山門下のさよならからさかのぼって考えれば、火を見るより明らかじゃないか。だが、逆から話すと分かりにくくなるから、順序立てて話すことにするよ。カフカ女史はためらいながらも大山の提案を受け入れた。しかも、高いところは嫌いじゃないなどと、大山を気遣う言葉さえつけ加えている。ここが大事なところだ。つまり、これは、大山との恋に進もうとする気持ちを示している。だが、門の上に立って、全山の紅葉を見渡しているうちに、元恋人との思い出ばかりが波のように胸に迫って打ち上げて来る。ああ、自分は、やはりまだこの恋を捨て去るわけには行かない。そう彼女は気がついた。だから、これ以上、大山を巻き込んではいけない。これ以上巻き込めばお互いが不幸になる。そう直感した彼女はその場を急いで立ち去ろうとした。ところが、相手は、手取り足取り分からせない限り、察しの悪い大山である。そのことに、おそらく女史は降りていく階段の途中で気がついたものと思われる。さもなければ、気を失いそうになりながら、わざわざ手を挙げて大山にさようならを言うはずがない。だからこの恋はやはり終ったと考えた方が自然だと思う。大山、悪いことはいわない、あきらめるんだな」

「でも、それはあくまでお前の推論に過ぎないんだろう?」と、大山が顔にありありと不満の色を浮かべる。
「やはり、そうか。ぼくの推論くらいじゃ大山は納得しないだろうとは思っていたが、やはり荒療治は避けられないらしいな」
「おい、おい、何だよ、その荒療治っていうのは?ばかに物騒じゃないか」と言葉を失って蒼ざめている大山に代わって、わたしがたずねた。

「実は、ぼくはカフカ女史について偶然だけれどいくつかの事実を知ることになった。そのことをありのままに話せば、大山もわかってくれると思う。こんな役回りはしたくはなかったが、たぶんぼくしか知らない事実だから余計なおせっかいかとも思うけど言わせてもらうよ。だが、くれぐれもぼくを恨まないでくれ、それだけは頼んだぜ」

「よ、よう、し、わ、わかった。心を鬼にして聞くことにする」
「じゃあ、話すぜ。実は、うちの独文科に黒田さんという院生がいるのを大山は知っているかい?」
「うん、知っているよ。話したことはないけど、有名な人だから。とても優秀で、将来を嘱望されている。いずれ、うちの独文科を背負って立つだろうとの、もっぱらのうわさだ。で、その黒田さんがどうかしたのかい?」
「実は、黒田さんはぼくの高校の先輩でね。去年の夏、郷里で噂になっていたのさ」
「ど、どんな、う、うわさ、だい?」と、大山が、ひとつ大きく深呼吸して尋ねた。
作品名:京都七景【第十一章】 作家名:折口学