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アキちゃんまとめ

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ヴィーナスとシャンゼリゼ


「本当にすみません……」

肩を落として謝罪するのは、この春に新しく部署へと入職してきた青年。段竹、という名前を脳内で思い返して忘れないようにもう一度呟く。ここ数年は増えることのなかった自部署の連絡網は、段竹とそれともう一人が追加される予定だ。
そのもう一人は段竹に肩を貸され、うーんと唸ってからがくりと首を下げた。

「まぁ、仕方ねェよ」

溜め息混じりに返しながらエレベーターの上昇ボタンを押す。
今日は新人歓迎会であったのだが、もう一人の方、鏑木一差が日々の疲労もあってへべれけに潰れてしまったのだ。幼馴染である段竹がなだめすかして酒のピッチを止めようとしていたのだが、新しい人材に浮かれた同僚たちが次々に杯を勧めるものだから断れなかったのもあるだろう。
荒北は既に代行を呼んで帰宅した上司たちに心の中で舌打ちをした。

酔って眠り始めてしまった鏑木をタクシーで帰らせるにも距離は遠く、段竹もそれなりに酒が入っていたために世話を焼くのは難しいだろう。荒北の素直ではない性格が少しの歯止めをかけたものの、最終的には自宅に二人を招くという結果に結びついたのは周囲にとっては予想外だっただろう。
歓迎会の会場となった居酒屋からタクシーで二十分も走れば、荒北がこの春に越してきたマンションへと辿り着いた。
段竹は終始恐縮していたが、ここで見捨てるのも夢見が悪い気がして、荒北はおざなりに返答をしながら自宅の鍵を取り出す。
事情は軽くメールで説明していたが、嫌味の一つは覚悟している。いつもより重い気がする自宅のドアを開けるとその音を聞きつけたアキがひょこりと顔を出した。
言葉にはされなかったが、段竹が驚いたように息を飲むのが荒北にも伝わった。

「夜分遅くにすみません、この春より荒北さんにお世話になってります、段竹竜包といいます。すみません、鏑木……同僚が酔ってしまって」
「そんなに改まらなくて大丈夫、事情は聞いてる」
「すみません」

もう一度謝り、段竹がぺこりと頭を下げる。荒北は微かな居心地の悪さを感じて頬を掻く。荒北の年齢と比べて妻にしては若い女性が出てきたのだから驚くのも無理は無い。更にアキはワンピース型の白い部屋着を着ており、膝丈のそれからはすらりと色素の薄い肌が覗いている。
アキの既婚者にしては随分と若々しい格好を追いかけて、廊下に白い猫が顔をのぞかせた。

「アー、猫が居んだけどアレルギーは?」
「俺も一差もありません、大丈夫です」

ソ、と短く返し、荒北はようやく靴を脱いで自宅へと上がった。
自分の荷物を片付けるために自室へと引っ込んだ荒北の代わりに、アキが二人をリビングへ誘導する。ローテーブルが乗せられている毛足の長いラグはごろりと転がされた鏑木にとっての良い敷布団になったらしく、むにゃむにゃいいながら心地良さそうに頬ずりをしていた。

「はい、どうぞ」
「すみません、ありがとうございます」
「さっきから謝ってばっかりネ」

アキはクスクスと笑いながらローテーブルに水の入ったグラスと淹れたばかりらしい紅茶を二人分ずつ置いた。それからトイレの場所を口頭で伝えた後、お風呂の準備しておくからね、と言って席を立つ。
段竹は手持無沙汰になり、くるりとリビングを不躾とまではいかない程度に見回してみる。あまり物を置かない主義なのだろうか、すっきりとした空間の中に小さな写真立てがあり、そこには荒北とアキのツーショットが飾ってあった。それを遠目にぼうっと眺めているとチリンと鈴の音が小さく聞こえた。はっとして視線を下ろすと白猫が鏑木のつむじのあたりをじっと見つめるように座っている。
首輪は美しい水色をしており、Cy、というアルファベットと電話番号が彫られたプレートが揺れていた。
全く鳴かない白猫はまるで現在の状況が分かっているかのようにそこに座っている。頭が良いな、と思いながら段竹は揺れる尻尾を見つめていた。

しばらくして荒北が濡れた髪の毛をタオルで拭きながら部屋に入ってくる。

「ワリ、先に風呂入らせてもらった。お前も入ってこい」
「いえ、でも……」
「服は適当なヤツ置いといた」

このタオル使ってくれる?脱いだのは赤いカゴに入れておいてね、と荒北に続いて部屋に入ってきたアキが目尻をゆるめて微笑みながら言う。結局渋っていた段竹も「酒のニオイが鼻につくっつってんだよ」という荒北の言葉によって浴室に放り込まれた。
段竹がさっぱりとした気持ちでリビングに戻ってくると、ソファに座り、緑茶を飲みながらスープも飲んでいる荒北が居た。和洋折衷…とまとまりのない思考に浮かんだ言葉を端においやりながら段竹は礼を言った。

「オイ、起きろ。風呂入れ」

まだ全身の力を抜いて寝こけている鏑木を荒北が小突くと、白猫がぴょこりと鏑木の背中に乗る。それでもあまり刺激にはならなかったようで、うつ伏せのまま寝息が続く。段竹が「おい一差」と揺さぶってみるが色よい反応は受け取れなかった。
キッチンからやってきたアキは苦笑しながら荒北にお茶のおかわりを聞いている。

「いつもこうなの?」
「いえ、いつもここまでではないんですが」
「二徹とかすっからだロォ」
「……返す言葉もないです」

成程ネ、とアキは白猫に手を伸ばしながら誰に宛てるわけでもなく呟いた。シャーちゃん、と呼ばれた白猫は黙ってアキに抱きかかえられる。

「お客さんの上に乗ったらダメ」

了承を唱えるように、ナァ、とようやく鳴いた白猫はされるがままに腕の中で喉を鳴らす。アキはそのまま鏑木の頭側に膝をついて「鏑木くん」と呼びかけた。
鏑木は何度もむにゃむにゃと口を動かし、ようやく数度目の呼びかけでゆっくりと瞼を持ち上げた。
そうしてぼうっとした表情のままにアキを見上げ、みるみるうちに両目を丸く見開いていく。そりゃあ酔って起きたら上司の家だったとくれば流石の一差も驚くだろう…と歩み寄る段竹の前で鏑木は勢いよく上半身を起こしてその勢いのままにアキの手を握った。というより、掴んだ。
解かれた腕により白猫が床に落とされ、アキが疑問符を上げるより先に鏑木が寝起きの一声を上げる。

「女神! あなたのような人が何故ここに!?」
「ふぇッ!?」

素っ頓狂な声を響かせたアキに、酔っ払い特有の強引さでぐいっと顔を近付ける鏑木。おい!と段竹が止めるより先に、荒北が鏑木の横っ腹に蹴りを入れた。ぐぇっという声を出してラグに突っ伏した鏑木に、荒北が見たことも無いような表情を浮かべながら近付いていく。

「なんで居るって、オレの奥さんだからに決まってんだろうがヨォ、鏑木ィ」

底冷えするような音声に、段竹は心の中で幼馴染へと両手を合わせた。


※上司の奥さんに手を出してはいけない。
(2015/06/29)
作品名:アキちゃんまとめ 作家名:こうじ