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僕が憶う人

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窓から庭先の花を見て僕は、すぐさま君の写真を膝に置き、ハンドリムを動かして庭に繋がるスロープを降りた。今年の梅の花も、当たり前のようにして咲いていた。その当たり前を、僕は隣に君がいないままでもう何年見続けているだろうか? 子供達は成人式の日を迎えて、僕は中年に。車椅子に乗らないといけなくなってからも久しい。
 君と別れたあの日。あの子達が産まれた日。僕の足が動いていた日。いつだって必死だった。君が逝ってしまったその瞬間も。暴力的に放り出されたあの子達を育む日々も。
 魅力的な親父だったとは世辞にも言えまいよ。もし口に出してそんなことを言ったなら、もういない君はきっと笑うだろう。いや、怒るだろうな。
 君が愛おしい。女々しいと笑って、怒るかもしれないが、愛おしい。だから捨てられなかった。何もかも。テニスラケット。写真、君が映った動画のデータ各種。その他諸々。それと、
 ――君が僕に残した肉声の数々。
 ――君が僕に残してくれた、記憶。
 それらを思い出すことがとてつもなく苦しい時もあって、僕は最初の何年間かは何度も嗚咽を堪えきれず、壁を殴り、酒を呑み、暴れては皆を怯えさせた。不安にさせた。赤ん坊だった三人の子供達が、ぎゃんぎゃんと泣き喚く声に合わせて、僕まで泣いていた。
 支えてくれる周囲の人がいなければ、きっと僕も、子供達もこうして生きてはいないだろう。そんな人達がいてくれたのは、やっぱり君がいたからなんだよ。
 大袈裟だと言わないでくれ。酒の力だ、とからかわないで聞いてほしい。僕が酒に強いのは、君も知っての通りだから。
 写真に映る、梓色の長い髪の毛。地毛で、産まれた頃からそういう淡く黄色い髪の毛がうっすら見えていたから、梓。そんな名前の由来を聞いて。写真を見せてもらってその可愛らしさにもまた、僕は笑っていたんだっけ。
 庭の大きな梅の花のそばに、僕はテーブルを一つ置いた。梓は梅の花が好きだった訳じゃない。というより、花はあまり好きじゃなかったなぁ。仏壇の花も、甲斐甲斐しく世話してくれてはいたけれど。
 テーブルの上に日本酒、という風景に風情があるのかどうか、よくはわからないな。風が吹く。花びらが、舞って。

 そして、その花びらが俺の体や親父の体のそばを、かすめる様にして飛んで行く。
「親父。帰ったぞ」
 車椅子に乗った親父の赤ら顔がこちらを向いた。見られてはいけないものでも見られたような感じで俺を見ていた。
「何だよその顔」
 俺は親父に聞いてみる。聞いたとしても、きっとわかりはしないだろう。俺は親父に似ず、そしてお袋にも似ず、バカだから。
「いやぁ。もっと遅くなると思っていたんだ。中学の同級生とは何年も会ってないだろ? これから飲みにでも行くのかと踏んでいた」
 そんなことか。俺は兄妹の分まで引き取り持って帰って来ていた同窓会の手土産を、テーブルの上に置かれたお袋の写真の横に並べながら、言った。
「バカ言えよ。これから東京にトンボ帰りさ。取組がある」
 親父とゆっくりと語らっている暇も、ないんだ。親父はちょうど酒を呑んでいる。サシで呑み合う機会もあまりない。親父にはとても言えないが、すぐ帰らなきゃならないのが残念で仕方がない。
「二十歳前に横綱昇進決めちまった奴は言うことが違うな。けど、酒呑んで初場所で勝ちを決める! なんてのも粋な伝説なんじゃねぇか?」
 親父がそういう冗談を言うのが、意外なことに思えた。
 大会で俺が優勝したって、
「勝っても笑うな!」
 と怒鳴り、そして優勝できず泣いたり落ち込んだりしようものなら、
「負けても下を向くんじゃない!」
 そう怒鳴るような、相撲に対しても俺に対しても真面目で、堅物。俺の中の親父は、そういう人間だったのだ。
「悪いけど、俺はそういう伝説には興味ないんだ。俺、横綱会で『おい、ガキ!』って、呼ばれてんだぜ?」
 差し出された盃は、そのまま親父の手元に戻して、丁重に断った。気持ちだけありがたく受け取ります。という言葉も添えた。
「その話は聞いたさ。見返してやるんだろ?」
「あぁ、当然な」
 強く息を吐き出すようにして俺は言う。まだまだ強くなれる。両手に、勝手に力が入る。この悔しさは、絶対に返してやる。
 そう思っていると、会話が終わり沈黙が流れてしまった。
 そういえば、今年は親父がスピーチをしなかったことを思い出した。今まで五年連続で成人式は親父がスピーチをしていたのに。そのことを尋ねてみた。
「あ? あぁ。もう五年もやってんだからそろそろ解放してくれやって言ったんだよ。そもそも息子や娘が参加するのに、何故に親父が出しゃばらんといかんのかと。まぁそういうこった」
 親父の答えは簡単だった。ふーん。俺は自分から聞いておいて何なのだが、それだけの相槌しか打たなかった。
「日向や猛は僕と同様。息子が出る成人式のスピーチはごめんだ、ってな。悠樹に至っては、『まこっちゃんの後任など、私にはできません』とか抜かしやがった。めんどくさいだけだろ。あいつ」
 不満を漏らしながらも、その顔は笑顔で、恨み言にはなっちゃいなかった。親父の周りは、相も変わらず、ということなんだろう。俺は、別のことが頭に入ってきてしまっていた。
 親父の背中が驚く程小さく感じられるってのは、本当のことだったんだなぁ。
 俺は飛び抜けてバカだったから、口で言われてもわからねぇ。そんなだから、親父も俺にだけは体で躾けた。
 昔から暴れて人を泣かしては、親父にぶん殴られて、ぶっ飛ばされてきた。
 あまりに口惜しくて、全力で抵抗して、それでも親父は利き腕ですらない左腕一本で俺を吊るし上げ、放り投げ、叩き付けてきた。お前は弱いと、弱いお前がいきがるなと体に教え込むような目。そして圧倒的な力。親父だけは恐ろしくてたまらない。昔も、今も。
 その背中が、腕が、あまりにも細く感じられちまうのは、俺が横綱として体が立派になってしまったからなのか。『まだ心が立派じゃねぇよ』と親方、親父、横綱会の尊敬すべき先人達の誰も彼もが口を揃えて言うのに。寂しいとも違う。悲しくなんかない。この気持ちが何なのかわからず、黙ってしまう。
「椿達はどうした?」
 親父の問いかけにハッと現実に引き戻される。
「ご覧の通りさ。椿も案外人気だな」
「望と豪に勝も来れなかったんだっけか」
「あぁ。望はまぁ言わずもがなだろ。嫌いだろうしな。こういう集まり。豪は望と一緒に試合を優先させたって形だろ。男子だけ試合ってのも中々酷な気がしなくもねぇけど。挙句勝は大学から帰って来れねーってメール来てた。可哀想にな。……ま、お陰様で、俺一人こんなに沢山の土産を抱える格好になっちまったよ」
 そうか。という親父の呟きが聞こえた。またコップが傾き、親父の口の中に酒が入っていく。
 親父。そう呼びかけてみる。
 ん? と言って親父は車椅子を巧みに操り体ごと俺を見た。梅の花びらがテーブルにも、コップの中にも落ちて来ている。なのに不思議と自分の体にも、親父の体にもそれがくっついていないのが本当に不思議だった。
「俺、まだ親父を超えたとは思ってねえから」
作品名:僕が憶う人 作家名:常磐龍