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でんでろ3
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novelistID. 23343
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ミッション・ポッシブル

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今の私を知る人は、信じられないかも知れないが、当時の私は、内気で思ったことを言うことも、ままならなかった。そんな性格の改善の目的もあって、私は、出身大学のロールプレイングと言う心理劇のゼミに、できる範囲で参加していた。
その日は、1泊2日の少年自然の家での合宿に、お邪魔していた。
1日目、最初のセッションの冒頭。監督であるT先生が参加者の近況を聞く。世間話がしたいわけではない。最近起きた「ちょっと困った場面」を、劇で再現して解決の方法を考えるのである。
「Dさん(私)は、最近、どうですか?」
「いやー、それが、駄目なんですよ。この前、コンビニでおでんを買ったんですけど、店のお兄さんが玉子を、まだ、味の染みてない色の薄い奴を取ったんです。『あー、隣の味の染みた黒いのにしてよ』って、言いたかったんだけど、言えなくて、家に帰ってから、『そのくらいは、言ってもいいよなー』って、落ち込んだんです」
「ああ、それ、いいですね。それでやってみましょうか。……じゃあ、Dさんが、コンビニにおでんを買いに来たお客さんで、S君、コンビニの店員をやってください」
そう言われて、私とS君は小さな舞台に上がる。
と、言うと、奇異に感じる方もいらっしゃるかも知れない。なぜ、コンビニでおでんも思うように買えない男が、少人数とは言え、ゼミ生+αの前で舞台に立てるのか? と。
それは、確かに、慣れるまでは、恥ずかしかったりもしますが、慣れてくると、いつもと違う自分になってみたりすると、気持ちいいですし、それが、思わぬ結果を引き起こすと、楽しくなってきます。
それに、ほとんどの人は、会ったことのある人ですし、初めての人も、セッションを始める前に、出会いのウォーミングアップをしているので、身近に感じます。
さて、話を戻しましょう。
舞台の上。中央にS君。そこに向かって、歩いて行く私。
「おでん、ください」
「何にします?」
「がんも、はんぺん、しらたき、きんちゃく、玉子、……」
「……はい、色の薄い卵が、入れられそうです」
「……す、すみません。そっちの色の濃い玉子にしてもらえますか?」
「……えっ? あっ、こりゃ、どうも、すみません」
「はい、ストップ。……どうでした? やってみて?」
「そうですね。実際、やったら、このタイミングで止まるかどうか? さすがに、容器に玉子が収まっちゃってから、換えてくれって言う勇気はありません」
「S君は、どう思いました?」
「うーん、本当のコンビニの店員さんって、もっと無口ですよね。こんなに喋らない」
「そうです。コンビニって言うのは、無機質なもので、店員はドライ。理想の店員なんて居ないんです」
本当は、設定を変えて、何度かおでんを買ったのだが、細かいことは忘れてしまった。ただ、要約するならば、こんな感じである。
さて、その夜、育ち盛りは過ぎていても、食欲は、まだまだ、衰えていない大学生とそれに毛の生えた人々が、少年自然の家での夕食だけで満足できる訳もなく。少し歩いた所にコンビニがある。買い出しに行こう、てなことに。そこで、I君に誘われた。
「Dさん、実地訓練です」
I君、S君と私の3人でコンビニへ行った。
まず、S君がおでんを買う。
しかし、あろうことか、私は、気になっていた漫画雑誌を立ち読みし出してしまった。当然、I君に怒られた。
「Dさん、あなたの為にやっているんですよ」
「すみません、すみません」
次に、I君がおでんを買う。なんじゃかじゃと、トークを交えながら買うI君を見ていても、別に、緊張も、気負いも、なかった。
最後に、私。おでん鍋を見ると、おやぁ? パックリ割れちゃってる玉子がある。
「その割れてる玉子下さい」
「えぇっ? これですか?」
なぜか爆笑するS君とI君。
「ええ、その割れてるやつ」
「なんで? ああ、中まで味が染みてるから?」
ちなみに、何で2人が爆笑していたかと言うと、その割れた玉子は、先ほど、S君が売られそうになって、お断わりしたばかりだったからだそうな。
持ち帰ったおでんを皆で食べた。そこには、T先生もいた。I君は言った。
「先生、あの店には、理想の店員がいましたよ」
私を変えたのが、ロールプレイングだったのか、実地訓練だったのか、今なお、判然としない。ただ、どちらも、欠くことはできないと思う。
今、私が、子供たちに、「お父さん、恥ずかしい」と言われるまでになれたのも、この日のおかげである。