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花は咲いたか

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そんな感情は、鳥羽伏見の戦いで京を出たときに捨てて来たはずであった。それを再びこの腕のなかに、と思った自分に土方は苦笑いをした。

射撃訓練は大詰めを迎えていた。
後は様々な撃ち方の基本姿勢と実弾訓練だけである。
その朝、うめ花は久しぶりに写真館から訓練に出た。
蝦夷の2月は終わりに近いとは言うものの、まだまだ冷え込みが厳しい。たまには戻って勝太郎の顔も見たい。
今朝の訓練には、榎本総裁や土方の姿もあった。
吐く息はまだ白く、榎本などはコートの衿をかきあわせポケットに両手を突っ込んでいる。
Γうめ花君、勝太郎さんは変わりないかな?大事な孫娘をお借りして、ムサい男どもの訓練に付き合わせているのだから、気が気じゃないだろう」
Γいえ、大丈夫です、私は陸軍奉行並の女ということになっていますから」
と満面の笑みを榎本に向ける。
Γ!?何...」
そして土方に目を移すと、土方は照れくさそうな顔をしている。
Γ私も、騙されましたよ総裁。まあ、そのひと言で隊士達がつまらん事を考えることはないと思いますが、同じウソなら私でも良かったのですよ」
と大鳥は自分の方が良いと胸を張る。
うめ花は男達の見栄にくすりと心の中で笑いをこぼし、訓練の号令をかけた。
そこへ、土方の小性の鉄之助が慌ててやって来た。
三人に何か深刻そうな顔で告げているのを、うめ花はチラリと横目で見た。
Γうめ花君」
榎本に呼ばれた。
Γ勝太郎さんが倒れたそうだ、今、凌雲先生が診ているがすぐ帰りなさい」
榎本は苦しそうな顔で告げた。
Γえ...っ?」
今朝、元気に送り出してもらったばかりだ。榎本の言っていることが、ただの風のうなりにも聞こえる。
そのまま銃を肩にかけようとして、その重さに手を滑らせる。
Γおい、大丈夫か?」
とっさに土方が銃を掴み、うめ花の顔を覗き込んだ。うめ花の目はなにも見ていなかった。誰の言葉もその耳に届いていないようだった。
Γ俺が連れていく、乗れ」
と鉄之助が引いて来た馬に引っ張りあげる。
馬は五稜郭から市中までの道を全力で駆ける。湾からの横殴りの風が叩きつけてくる中で、土方は声をかけられずにいた。どんなに馬を全力疾走させたところで、うめ花は勝太郎と言葉をかわすことはもうできないからだ。今はただ、後ろからうめ花の身体を包み込み、支えながら勝太郎のもとへ急ぐしかなかった。

死は突然にやってくる。
前ぶれや予感があっても、それが突然であることに変わりはなかった。あまり広くない写真館のあちらこちらにいつも勝太郎がいた。
大抵、写真機をいじっているか、暗室から声がするか、その程度であった。出掛けるうめ花に短い言葉をかけ、その姿をいつも目で追っていた。祖父と孫娘のささやかな暮らしが、何の変鉄もない普通の暮らしがあっただけだ。
今、写真館の中のどこを見ても勝太郎の姿を見つけられずにいた。
勝太郎がいつも座っていた場所、仕事をしていた空間、主がその場所に座る姿をもう見ることがないとわかっていても椅子やテーブルを片付けられずにいる。
暗室の扉を開けて、
Γうめ花」
と、呼ばれたような気がして振り返る。
目尻にたまった涙が落ちた。
もっとこの生活を大事にしていたら、お爺様は死ななかったのだろうか。
うめ花が猟に出掛けたり、五稜郭にいて写真館を離れていてもいつもこの写真館に勝太郎はいた。
今はどんなにうめ花がここに居続けても勝太郎には会えないのだった。
父が死んだ時、母が死んだ時とはまるで違う空虚感がうめ花を支配していた。
突然こんな形で別れが来るなら何故もっと自分の気持ちを伝えなかったのだろう。
勝太郎がこの世界のどこにもいなくて、どこをどう探してもその姿を見つけることはできない。
Γお爺様...」
もう一度呼んで見た。誰もいない写真館にうめ花の声が吸い込まれていくだけだった。
Γ戻ろう」
うめ花は五稜郭に戻ることにした。ここに1人でいて泣いているだけなら五稜郭で元気にしていた方が、勝太郎が喜んでくれそうな気がするのだった。
こんな赤い目をして戻れない。
夕霧の水桶に冷たい水を汲んで思いっきり顔を洗い、夕霧の背でまっすぐに顔を上げた。





第四章 終わり

作品名:花は咲いたか 作家名:伽羅