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逍遥

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 油の切れた自転車の甲高いブレーキ音が、耳に届いた。
 日が沈む前のほのかな太陽の光が、街を赤く染めている。足元の草叢は、夕立が止んだばかりで水滴がついており、光を反射する姿が印象的であった。
 ブレーキ音など気にせずに樹木に背を合わせ座っていると、後方から足音が聞こえた。わけもなく振り向くと、そこにはアリがいた。
「いや〜、さっきは危なかった。冷や汗かきましたわ〜」
 アリは私と同様、樹木に背を合わせ、身体についた水滴を落とし始める。
「雨止んだんで久方ぶりに外行ってみっかなぁ、ってことで巣から顔出したんですよ。そしたらね、ガキんちょの乗った自転車に危うく轢かれそうになったんですよ〜。加藤さん、あんた人間代表としてどう思います?」
 樹木を通して私の反対側にいるアリは、話し方からして三十代だと前々から解している。
「そうですね……。やはり、人の多い所は危険ですよ」
「ですよね〜、いやねぇ、私も初めはそう思ってたんですよ。それがねぇ妻が言うには大きければ多少危険な巣でも良いって言うもんですし。それにほら、うちって大家族でしょ?ローンを考えたら少しばかり悪い立地条件でも安い物件探すしかなかったんですよね〜」
「テンション=メンションって言葉知ってます?人間って大きな決断した直後は緊張が解けてしまって、無防備になるらしいんですよ。だから人生初のマイホームだとかマンションを購入した後って、気が大きくなって家具とかインテリアにバカみたいなお金をかけちゃう人が多いらしいんです」
「あぁ〜、私典型的なそれに引っかかってますわぁ。白樺のベット家族全員分揃えっちまった」
 そばに転がっている空き缶を何気無く見つめながらアリと話しているうちに、自分がどれくらいここにいるのだろうと、ふと思った。小さな公園の隅で時を刻み続けている時計台に目を移してみると、六時になる少し前であった。
 少し黙っていると、そんな様子が気になったのか、アリは不思議そうに再び話し掛けてきた。
「そういや加藤さん、最近学校行ってないらしいやないですか。私よく聞くんですわ。この前は、スズメが言っとりましたわ。『加藤さん、授業中なのに一人で散歩してたんです』って」
「あ、言ってませんでしたか。私も学生の身分を卒業した歳になったんですよ」
 確かに近状報告がまだだった。前に話したのは、 半年くらい前になるだろうか。
「ひぇ〜、加藤さんももうそんな歳なんですかぁ。そういえば、成程。身体つきも見たところ一回りも大きくなっていますもんね〜」
 私には、アリの表情の違いは分からなかったが、声の調子から大方察しがつく。納得し、うんうんとアリの首が上下する。
「あれは、何年前になりますか。加藤さんがママに抱っこされながら、初めて私の家の所に来たのは。……あの時の加藤さんと言ったら、それはもう面こくてぜひ私も抱っこさせてほしいとお願したんですがねぇ。何せ、ほら私アリでしょ。案の定、加藤さんのママに断られてしまいましたよ。いや〜、今思うと懐かしい!あの歳で大の大人の私より大きい身体を持っているなんて。……まぁ当然ですよね〜」
「恐縮です。私も小さいころからあなたという人生の先生にお世話になれて、大変恵まれています」
「なんの、なんの。私の方こそ、加藤さんにお礼が言いたい。ほら、一年程前の話になりますが、私が交通量の多い道が渡れなくて困っていた時、加藤さんが私を手の平に乗せてくれたではないですか。いや〜、あの時は本当に助かりました」
「私は当然のことをしたまでです。貴方のような小さい身体では信号が青のうちに渡り切るのは難しいでしょうから」
「全くです。足だけでも長くなりませんかな〜」
 そう言うと私とアリは笑い出し、互いに感情を同調し合った。私たちの笑い声は柔らかく包まれて、公園をさまよっている。ただ赤いばかりではない夕方の淡い空が、ほんのり藍色をにじませている。
「それじゃあ、私はそろそろ失礼しますわ。加藤さんも真っ暗にならないうちに帰宅してくださいね」
「ご心配ありがとうございます。では、またお会いしましょう」
「どうも〜」
 アリは、てくてくと歩きながら去って行った。公園には私一人が残っている。だが不思議と安堵感があって、なんだか賑やかだ。

作品名:逍遥 作家名:月下和吉