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イキモノⅡ

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■ イキモノ ?
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 ◆
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 ――寝て、起きると蝶が散る
 
 その光景を見送るように、私は建材の山に埋もれ、廃ビルの片隅でたたずむ。
 逆しまの渦を描いて、蝶は空へと還っていった。
 壊れ果てた窓枠を飛び越えて、万羽億羽の蝶が流れる空へと。
 いま、私の視界に映し出される光景はモノクロ配色に彩られた蒼の色彩である。窓枠という仕切りを通して、その色彩は右から入り左から出て行く。その色合いで蝶を名乗るならば西から訪れるのが妥当だろうと思うが、生憎と、私自身がどの方角へ向いているのかはなはだ見当がつかなかった。
 
 私はこの場所へ逃げてきた。
 逃げた先が廃ビルというのは、なんとも救われない話だと我ながら思うが、しかし、逃げざるを得ない状況を作り出した時点で選択肢が私には存在しえなかった。
 長い間、雨ざらしにされていたのか。建材すらも崩れ果てた廃ビルの一角に身を隠して幾日。既に、日の感覚も遠くなった。
 そうした茫洋とした日々の中で、私はいつの間にか、蝶を見るようになった。
 色彩は蒼。それも、世界を切り裂くような鮮烈な蒼である。
 思えば、この場所へ逃げてきて以来、モノクロ配色以外の色を目にしていなかった私は、その色に強く心を引かれた。だが、同時に、その色に対して強い忌避感を抱いた。当然である。流動食しか食べていなかった乳児が塩の味に驚くのと同様に、私の印画紙の瞳は、痛烈な蒼の色に焼き付いてしまったのだ。
 それ故に、私の瞳は蝶から目が離せなくなった。心の動きとは裏腹に、私の瞳は蒼の色彩に囚われてしまったのだ。
 
 そうして、数日の間、私は蝶を観察し続けた。
 元々が、この場所へ逃げてきた身の上であるから、他にすべきことがなかったのもわざわいしているのだろう。その観察は、眠る時をのぞき、延々と。瞳が蝶を捕らえられる限りにおいて行われ続けた。
 そうしてわかったことがある。
 まず、蝶はこの室内へは基本的に侵入してこない。唯一の例外は存在するが、蝶は、この壊れた窓枠を飛びこえてまで、廃ビルの一室へは入ってこないのだ。
 つぎに、この蝶は奇妙な特性――渡り鳥のように、ある一定の方向に飛び続ける習性を持っていると気がついた。それは、ちょうど窓枠から見て右から左へ。蝶はいつもその方角へ飛び続ける。
 そして、最後に、これらの蝶は観察を始めた当初は一羽、二羽、三羽とまばらに飛ぶだけの数しか居なかったというのに、いつの間にかその数を膨大なまでに……それこそ、視界全てを覆い尽くすほどに増えていた。いまや、窓枠の外は蒼の色彩に埋め尽くされている。ともすれば、世界には蝶と私しか居なくなったかのような錯覚を覚えるほどだ。
 
 しかして、私は、廃ビルの中で蝶を見る。
 音のない、静寂の中で。寂寞とした世界の中で。その閑静を眺めている。
 ゆうらりゆらり。蝶は行く。
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 ◆
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 ――寝て、起きると蝶が散る。
 
 逆しまの二重螺旋が窓枠を飛び越えて空へと還った。
 万羽億羽の蝶が散る。
 日差しのかわりに、蒼の色彩が印画紙の瞳を焼き付けた。
 
 蝶の観察を続けて、さらに幾日が過ぎ去った。
 その数日の間で、私の頭の中は蒼の色彩に覆われ尽くしていた。食まれていたといってもよい。蟲さながらの気持ち悪さで、蝶は私の脳を、その痛烈な色彩で食い尽くしたのだ。印画紙の瞳を食い破るだけでは飽きたらずに。
 そんな有様だから、私は、いつしか自分も蝶になれるのではないかという幻想を抱くようになっていた。こんなにも世界を覆い尽くす大量の蝶のなか、なにゆえ自分だけが人の形を保っているのかと疑問に思ってしまったのだ。
 私も、蝶に倣い、右から左へと飛んでいってしまいたい。あのように、閑静に空を舞いたい。そんな欲求が心の中でふくらみ始めていた。
 
 ――そんな日のことである。一人の闖入者が現れた。
 
 闖入者は、少女の姿をしたイキモノだった。
 少女は窓枠を平然と乗り越えて、この部屋へ入ってきたかと思うと、声を発するでもなく私に近寄り、現れた時と同じ平然さで私の右隣に膝を抱えて座り込んだ。
 いささか、蝶に感化されつくしていた私がこの珍事に反応できたのは、少女が既に座り込んで後のことだった。脳に一欠片の人間らしさが戻ると同時に、私は驚きに突き動かされて少女の観察を始めた。
 しかし、観察を通して分かったことは露のようにかすかなことだけだった。
 まず、この少女は少女である以上の存在ではなかった。
 誤解なきように言っておくが、それは、私が蝶に脳を食まれた為に言語野に致命的な損害を抱えてしまった、とか。もともと、少女の美しさや容姿を形容する語彙を会得していなかったなどという話ではない。
 少女は、いわば少女のイデアとも言うべき有様でそこにあったのだ。
 単純に少女をパーツに分けて形容するならいくらでも方法はある。長い黒髪に、幼さを残しながらもどこか大人への変容を伺わせる面立ち。華奢な手足は、抱きしめるまでもなく、にぎれば小枝のように折れてしまいそうなほどで、精巧なガラス細工を扱うよりもなお一層の緊張感を私に抱かせる。つぶらな瞳は、この廃ビルがつくる薄暗闇のせいで色まで判別できなかったけれど、やはり、子どもらしい好奇心の輝きの奥底にどこか小悪魔的と言っていいような蠱惑を宿していた。
 しかし。これらの形容には全くの意味はないのだ。
 それは、私の視覚がとらえ、私の脳内がそういったモノだと変換したに過ぎない。
 私は、これを少女の姿をしたイキモノだと、そう感じ取った。
 そして、少女以上の存在でも、少女以下の存在でもないものなのだと。
 膝を抱えた少女はしばらく、羽を休めた鳥がそうするように、膝や太もも、ふくらはぎのあたりをゆっくりと、ぬめりけの様なモノを帯びた動作でなでさすっていた。
 ゆうらりゆらり。
 少女のからだが右隣で動く。
 その感触に、打ち上げられた魚の臭いを感じて、たまらずに顔を背けた。
 背けた先、窓枠の向こう側に、やはり蝶のむれが見える。
 音もなく、右から左へ舞い踊る蝶。
 すぅ、という少女の呼吸の音だけが、確かに。しかし、幽かに聞こえていた。
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 ――寝て、起きると蝶が散る。
 
作品名:イキモノⅡ 作家名:こゆるり