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愛を抱いて 32(最終回)

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64. 愛を抱いて


 私は解散パーティーのその夜、久しぶりに香織に逢ったわけだが、相変わらず彼女には毅然とした存在感があった。
私も、彼女がそう簡単に隙を見せるとは、思っていなかった。
「世樹子は新しい部屋、見つかったの?」
「それが…、まだなのよ。
もう、年内の引っ越しは諦めたの。
来年また、ゆっくり探すわ。」
「いっそ引っ越すの止めて、ずっと中野にいればいいじゃない。」
その日は、ずっと風が強く、陽が傾く頃から随分冷え込んだ。
その処の季節にしては暖かい日が続いていたので、急な外の寒さと風は、肌を斬る様に感じられた。
「何度も、数え切れないぐらい、馬鹿な事ばかりやったけど…。
この部屋での宴会も、今夜で最後なのね…。」
「名残惜しくなって来た? 
最後にするのを止めてくれても、俺達は構わないんだけど。」
「…さあ、どうかしら? 
結構、最後って事で、ほっとしてたりして…。」
それまで微かに聴こえていた風の音に混じって、何かが窓を叩く音がした。
「雨ね…。」
誰かが云った。
「うん、雨だ…。」
誰かが答えた。

 「結局、私達は遊園地へ連れて行ってもらえなかったわね。」
「スカイ・ダイバーには必ずもう一度、チャレンジしなければいけないな。」
「アジサイ寺のあの洞穴、まだあるかしら…?」
「そりゃ、あるだろう。
地震でも来て、埋まってなけりゃ。」
「でも本当、怖かったわ…。
みんなと一緒なら、また行きたいわね。」
外の風と雨は、徐々に強くなっている様だった。
「厭ねぇ…。
台風の季節でもないのに。」
「傘持って来てないんだろ? 
心配要らない、帰りには貸してあげるから。」
「借りる事なんてできないわよ。
もう、返しに来れないんだから…。」

 「あなた達、ヒロ子やノブに強くアプローチしようとしてたらしいけど、旨く行ったの?」
香織が云った。
「旨く行ってれば、解散なんてしてやしないさ。」
柳沢が答えた。
「それは、そうね。
残念だったわね…。
それで、私達の代わりに手料理を作ってくれる女の子は、もう見つかってるの?」
「全然…。」
「そう…。
でも、あなた達なら、またすぐ見つける事ができるわよ。
きっと…。」
「君は、えらく満足そうだな。」
私は香織に向けて云った。
「…それ、どういう意味?」
私は香織の言葉には答えずに、続けた。
「君が俺に対して恨みのあるのは当然だが、どうして柳沢やヒロシや他の者まで、巻き込む必要があるんだい? 
復讐なら、俺だけに向けてやってくれ。
俺は君の気の済むまで、どんな罰でも受けるし、どんな償いも拒否しない。」
「あなた、いったい、何を云ってるの…?」
香織は少し蒼ざめた表情で云った。
「中野ファミリーの解散は、私のせいだと、そう云いたいの?」
「君と俺の責任だ。
違うかい?」
「違うわ。」
世樹子が云った。
「香織ちゃんは、自分の周りの事で忙しくなって、それでファミリーを抜けたのよ。
こうなったのは、私なんかの気紛れのせいよ。」
世樹子は既に声が震えていた。
私は構わず云った。
「香織、君は悪いとは思わないのか? 
いや、それより、恥かしいと思わないかい? 
柳沢を傷つける様にして付き合って、別れちまったら、俺と顔を会わせるのが辛かったのかどうか知らないが、まあ、顔を視るのが厭だったんだろうけど、みんなが気にする事は解ってるのに、自分だけの都合でさっさとチームを抜けて行くなんて…。」
私はパーティーの最初から、ずっと香織を観察していた。
彼女は少し大きめの無地のセーターを着ていたが、その袖の先は、彼女の両手の親指に掛かっていた。
彼女らしくない着こなしであった。
パーティーの空気は再び緊迫して来た。
「今夜の鉄兵ちゃんは、えらくきついな…。」
ヒロシが呟く様に云った。
「気がつかなくて、御免なさい。
どうやら、私がここに居る事は邪魔だったみたいね。
失礼させてもらうわ…。」
そう云うと、香織は立ち上がった。
「待てよ。」
私も立ち上がって、彼女の左腕を掴もうとした。
反射的に香織は私の手を振り払うと、その左手を右腕の下に差し込んだ。
瞬間、私は感づいた。
私は黙ったまま、今度はしっかりと、彼女の左腕を掴んだ。
「放してよ!」
香織は叫んだ。
私は力ずくで彼女の左手を自分の前へ持って来ると、彼女のセーターの袖を捲り上げた。
「痛い…! 
放して!」
私は腕を放さなかった。
香織の左手首の裏側には、まだ新しい傷痕が、はっきりと残っていた。
悲鳴の様な女の泣き声が、部屋中に響いた。
世樹子だった。
「何…? 
香織!」
フー子が叫んで立ち上がった。
香織は観念した様に身体の力を抜いた。
私は掴んでいた腕を放した。
フー子が香織のそばへ行くや否や、彼女の左手を取って、その傷痕を見つめた。
「ど…、香織!」
フー子はそう叫ぶと、香織の両肩の下を掴んだ。
「香織! 
香織! 
香織!… 」
何度も叫びながら、フー子は香織の肩を揺すった。
香織は最早、揺すられるがままに、その場に立ち尽していた。
「香織! 
香織! 
香… 」
フー子は最後に、香織の腰の辺りに泣き崩れた。
そして、優しくフー子の頭を抱き締めながら、香織は静かに自分の頬を濡らした。
風が叫び、雨が泣いていた。


── 12月5日、夜になって、世樹子は飯野荘へ帰って来た。
部屋では、香織が一人で背中を向けて坐っていた。
「ただいま。」と呼び掛けても、返事のない様子に、世樹子はすぐ異常を感じて、香織のそばへ走り寄った。
「…! 
香織ちゃん…!」
世樹子は真っ青になって叫んだ。
香織は泣いていた。
婦人用の剃刀を手首に当てたまま、
「…これ以上、どうしても、力が入らないのよ…。」
と云って、香織は泣いた。
剃刀の刃の下から、次々と鮮血が流れ出ていた。
私が市ヶ谷の駅前から世樹子に電話をかける、2日前の事であった。 ──


 誰も何も喋らなかった。
時間だけが、幾つも流れた。
我々はただ、崩れて行くばかりの、それぞれの心を見つめていた。


 どうやら風は収まり、雨も穏やかになった様だった。
柳沢が笑っていた。
ヒロシが眠そうな眼をして、カーペットに肘を突いていた。
香織が、世樹子が、フー子が微笑んでいた。
「私は、きっとあると思うわよ。」
「永遠のある街か…。」
「でもさ、俺達の、人間の哀しみの本当の理由は、永遠がない事、永遠であり続けられない事さ…。」
「そうね…。
もう私達は、それを知ってしまったのね…。」
「私…、幸せだけを風船に詰めて、飛ばしてみたい。
遠くの街に住む人達へ、飛ばし続けるの…。」
「もしさ、偶然風向きがいつも一緒で、その風船が同じ処へ飛んで行ったら…。」
「そうよ、そしたら、風船が幾つも落ちて来る、その街には永遠があるわ。
哀しみがないんですもの…。」
「そんな街で巡り逢えたら、素敵だったわね。
私達…。」
「…でも、私達って、いったい、どこへ行きたかったのかしら?」
「どこでもないさ、ここに、いたかったんだよ。」
「…ここで、何をしたかったのかしら?」
「…俺達はただ、愛を抱いていたかっただけさ。」