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アサヒチカコ
アサヒチカコ
novelistID. 50797
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戻らない春

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 そこまで考えて、わたしははっとした。わたしは緑とふたりで過ごしたあの時間を、まるで一枚の絵のように、いつまでも朽ちることのない美しい思い出として大切にしまっている。そして緑も、きっと同じように感じてくれているのだと思い込んでいる。けれどわたしはそのことを、一度だって緑に伝えたことがあっただろうか。緑に、緑の思いをたしかめたことがあっただろうか。このまま二度と会えなくなって、残るものが思い出だけになったとしても、わたしは本当にそれでいいのだろうか。
 わたしは七恵たちとの約束をことごとくやぶり、夏休み初日から、あの大きな町の図書館に通いつめた。読書や宿題で時間をつぶそうとするけれど、内容がまったく頭に入ってこない。つねに図書館の入り口の方向に神経をとがらせ、誰かが席の横を通るたびに顔をあげるのだから当然だ。けれど、わたしが緑に会うためには、ここにいるしかない。もう一度だけ、緑に会いたい。その気持ちだけが、わたしを支えていた。
 七月最後の日、わたしはほとんど諦めかけていた。それでも、図書館のいつもの席に座って本を読み始めた。はじめて緑に声をかけたとき、彼女が読んでいた本だ。読み進めるごとに、彼女の言葉がいくつも思い出されてくる。わたしはたまらなくなって、熱をもったまぶたにぎゅうと手のひらをおしつけた。
 気がつくと、窓のむこうの空が橙色に染まっていた。いつの間にか、頬杖をついてうとうとしてしまっていたらしい。もうすぐ閉館の時間だ。とうとう会えなかったのだ。重いため息をつきながら、わきに寄せておいた本に手をのばしたとき、なにか別のものが指先にふれた。
 それは、小さくたたまれた一枚のメモ用紙だった。そっと開いてみると、誰かの帯電話の電話番号、メールアドレスが書かれている。その下に少しふるえた字で、「亜佑子ちゃん。いつか必ず別の場所で、また会いましょう」と。
 わたしは急いで読んでいた本の貸し出し手続きをすませると、ページの間にメモをはさみ、それをつかんだまま外に出る。そして、駅に向かって走り出した。体の奥につめこんでいた思いがふきだして、わたしを走らせているようだった。緑にとってわたしはどんな存在なのか、わたしの言葉をどんなふうに受け取るのか、それはわからない。もしかしたら、どうして助けてくれなかったのとなじられるのかもしれない。けれど、緑はわたしに会いに来てくれた。わたしと緑を結ぶ細い細い糸を、たしかにつないでくれたのだ。
 そうだ、夏休みはめいっぱいアルバイトをしよう。美容院に行って、ずっと憧れていた黒髪のショートカットにしてしまおう。今まではながめているだけだった古着屋さんに行って、おかしな柄の服をたくさん買おう。走ってもへこたれないスニーカーと、大きくて丈夫なリュックを買おう。そして新幹線のチケットを取って、緑に会いに行くのだ。横断歩道の赤信号で立ち止まったとき、わたしは久しぶりに、心から笑えたような気がした。
作品名:戻らない春 作家名:アサヒチカコ