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真朱@博士の角砂糖
真朱@博士の角砂糖
novelistID. 47038
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最期の林檎

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まるで、はじめからこの店へ来る予定だったかのようだった。
私はどうして見つけられたのかもわからない、闇に紛れた窓のない小さな扉を押し開けた。
扉についたベルがひかえめに音を立て私の来店を知らせると、薄暗い店の奥から、いらっしゃい、と小さな声がした。
店内は自分の足元さえもよく見えないほど暗く、私はすり足で前へ進まなくてはならなかった。
私は一番近くのテーブルについた。小さなキャンドルの灯がちかちかと揺れている。
私は椅子に深く腰掛けテーブルに引き寄せると、身を乗り出してキャンドルの灯を見つめた。ちかちかと、ちかちかと、揺れている。
「いらっしゃい」
気付かないうちに初老の男がすぐ横に立っていた。
「なんにしましょう」
テーブルの上を見回したがメニューは見当たらない。男が差し出してくる様子もない。
「最後の…」
口から勝手に言葉が零れた。
「最後の食事をしに来ました」
私の声はか細かったが、男には届いたようだった。
「そうですか」
私はたっぷりと息を吸い込んで、
「ええ、そう、なんです」
と返し、使い切れなかった息をすべて吐き出した。
「この食事を終えたら、死ぬつもりです」
男は黙って立っていたが、しばらくして静かな声で繰り返した。
「なんにしましょう」
私はテーブルの下で爪を弄りながら、考えた。
「林檎…。林檎を、いただけますか」
「かしこまりました」
男は音もなく闇の向こうへ消えた。
戻ってきた男の手によってテーブルの上に出されたのは、白い皿の上に置かれた林檎だった。
赤い皮も固い芯も愛らしい形も元のままの、林檎。まごうことなき、林檎。
男は皿の横に恭しくフルーツナイフを添えると、再び音もなく消えた。
林檎とフルーツナイフにキャンドルの灯があたり、ちかちかと、揺れる。
私はそれを心ゆくまで堪能してから、音を立てないように、そっと林檎を手に取った。
林檎は私の両手にすっぽりと収まった。
私はゆっくり林檎を自分の顔に近づけて、その匂いを嗅ぎ、一度だけ真っ赤な皮を舌で舐めて、それからその実に歯を突き立てた。
口の中に林檎の甘い汁が広がる。
ひとくち。また、ひとくち。
私は、口と手をべとべとにしながら、林檎を平らげた。
テーブルの上に残ったのは、純白の皿と、林檎の背骨と、輝くフルーツナイフだった。
「ごちそうさま」
私はそう言って一息つき、それからべとべとの両手でフルーツナイフを掴んで自分の胸に突き立てた。
みるみるうちに林檎みたいな赤が広がって、私を包む。
「ありがとうございました」
どこか遠くで、男性の声と扉のベルの音が聞こえた気がした。




(終)
作品名:最期の林檎 作家名:真朱@博士の角砂糖