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いつか『恋』と知る時に

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 ほどなく料理が運ばれてきた。創作的でカジュアルなフレンチを出す店らしい。カトラリー・セットには箸が入り、前菜の食材には小芋や牛蒡と言った和風な野菜も見られた。
 他の人間の誕生日は覚えていない――雅樹の首筋は熱くなる。
 高校時代から、彼の周りには見目良い異性の姿が切れない。特定の相手だったかどうかは知れないが、異性と二人で歩く姿も見かけたことがある。洒落た店の良い席を予約し、飲み物や料理を選ぶ段取りに雅樹は壽一の慣れを感じていたし、女性はこの手の『イベント』が好きなはずだ。
「別に誕生日じゃなくても、店は予約するだろ?」
「そうか」
「それに下心があるし」
 壽一はニヤリと笑った。
(ああ、そう言うことか)
 雅樹の首筋に生まれた熱は急激に冷めていく。
 これは壽一にとってゲームの一環なのだ。雅樹の気を引いて自分に向かせる。手に入らないもの、ままならないものを手に入れるための、人の「想い」をゴールにした残酷なゲーム。意識していないと忘れそうになる。
「どうかしたのか?」
 一瞬黙り込んで皿を見つめる雅樹を訝しんで、壽一が声をかけてきた。
「うまいな…と思って」
「そうだろ? 日本らしい食材使ってるところが味噌なんだ」
 雅樹の「うまいな」を料理のことと受け取っているようだった。
「道理で牛蒡とか葱みたいなのとか使ってあるわけだ。どうして知ったんだ?」
 押しの強さの中に、時折組み込まれる穏やかな対応。ゲーム攻略のための戦術なのだとしたら、本当に巧い。雅樹の「うまいな」はつまりはそう言う意味合いだったのだが、壽一の勘違いをそのままにして話を繋ぐ。
 その店での食事の後、もう一軒、立ち寄った。落ち着いた雰囲気のショットバーで、カウンターの中には豊富な種類のアルコールが並ぶ。「いろいろな店を知っているな」と雅樹が言うと、「だてに遊んできたわけじゃない」と壽一は肩を竦めた。
「まあ、リサーチも兼ねているんだ。外食部門から今後の参考にしたいと言われている。新しい店を探すのは結構、面白いからな」
「ジュイチのいる部署って、外食部門じゃないだろう?」
「会社がやっていることの一つには違いない」
 こう言う話は、普通のデートの相手にはしないはずだ。誕生日を祝ってくれた件といい、雅樹に特別感を抱かせる。下心のためと知ってはいても、錯覚しないではいられない。甘美な錯覚に意識がさらわれないように雅樹は唇を噛みしめる。我知らず飲むピッチが上がっていたらしく、壽一に窘められるほどだった。
 そこで小一時間過ごし、更に一軒梯子してからタクシーに乗った。壽一は雅樹の住所を運転手に告げた。これからの時間は、いつもの時間なんだなと雅樹はぼんやり思ったが、マンションの前に停まったタクシーから壽一は下りなかった。
「寄って行かないのか?」
「明日は早朝会議で早いんだ。帰る」
「そうか。今日は、その、ありがとう」
 雅樹がそう言うと、壽一は軽く手を振り、タクシーのドアが閉まった。傾斜のかかったマンション前から車はゆっくりと動き出し、スピードに乗ってすぐに小さくなった。
 昼間は夏の様相を呈してきたこの頃だが夜はまだまだ涼やかで、どことなく冷気を帯びた風が雅樹の頬を撫でる。今まで雅樹を包んでいた壽一の発する華やかな空気は、頬から広がる冷たさで払われてしまった。身震いするほどの寒さなどこの時期にあるはずがないのに、雅樹はそれを体感している。
 自宅に戻り、ベッドに俯せに倒れ込んだ。
 鼻腔は壽一の残り香を求める。この前彼とこのベッドを「使った」のは、四日前の週末だった。シーツは取り替えた。壽一の匂いが残っていると感じるのは、ついさっきまで一緒だったからだろう。
 ゴロリと仰向けに態を返し、腕で目を覆う。
(疲れた)
 三軒の店で飲んだアルコールや仕事による疲ればかりではない。この壽一との関係で生まれた、自分の内側でせめぎ合う二つの相反する感情に、雅樹は疲労していた。
 この疲労から脱する方法はわかっている。雅樹が壽一に「好きだ」と言えば良い。八年前のあの時同様、欲しいものを与えてしまえば壽一は満足する。本当にこの状況から逃れたいのならば、本心でなくとも「好きだ」は言えるはずである。
 そう、そこに本心がなければ。
 八年前ならまだ言えただろう。あれは訣別のための「儀式」だった。壽一に対する不確かで特別な想いを封じるための。彼が自分にいっそ無関心になってしまえば諦められる。その気持ちが大きかったあの時なら、簡単に言ってしまえたかも知れない。
 しかし今は言葉にして壽一が離れて行くことが怖い。再会してからの二ヶ月、壽一にとっては思惑あっての日々だろうとわかっていながら、雅樹は彼に惹かれている。再燃した「不確かな」想いは「確かな」に変化し、もう「好きだ」は壽一から離れがたいほどに心を持ってしまった。
 相反する二つの感情――「離れたい」「離れたくない」がますます雅樹を迷わせる。
(もう少し、もう少しだけだ。いずれは終わる)
 それはきっと遠くないだろう。壽一は鷲尾物産の後継者だ。会社を継ぐこともだが、更に次の世代を残す義務も課されている。何も生み出さないこんな関係を、いつまでも続けられるわけがない。
 それまでの間には自分の気持ちに折り合いをつけなければ、否、つけるのだと、雅樹は思った。