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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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 1

 どうして、他の乗客は空いているグリーン車に乗らず、ああやって混んでいる自由席を好んで選ぶのだろうか。私にはそれが以前から疑問でならなかった。
 この長年の疑問を解決すべく、私は乗務員さんへ尋ねる。
「何故、皆さんは好んで自由席の切符を買うのでしょうか? グリーン車の切符を買えば、確実に座れるではありませんか」
「それは、グリーン車が高いからだと思います。自由席の皆さんも、好き好んでそっちを選んでいるわけではないかと」
 なるほど。畢竟、金か。
 乗務員さんは、私の切符を確認して立ち去った。彼らの動作は、そのすべてが礼儀正しい。常に伸びている背筋が綺麗だ。
 自宅の最寄り駅で降り、タクシーで家へと向かう。運転手さんは、私に色々なことを尋ねてきた。私は疲れていたので、前を見て安全運転して欲しいとだけ言った。それきり、彼は静かになった。
 半日ぶりに自宅に戻ると、路肩に赤いスポーツカーが停められていた。運転席には、ベージュのパンツスーツを着た女性がいた。肩まで伸ばされた薄茶色の髪には、緩やかなパーマがかかっている。彼女は私の帰宅に気づくと、馴れ馴れしく笑顔で手を振ってきた。
「やあ、公二郎〈こうじろう〉君。君の帰りを待っていたよ」
 私は彼女の名前を知らないどころか、顔にすら見覚えがない。だが、あちらは少なくとも私の名前と住所を知っているようだった。
 得体の知れない相手だが、とりあえず挨拶をしてみる。
「こんばんは」
「手ぶらでこんな時間までどこへ行っていたんだい?」
「こんばんは」
「ああ、こんばんは。で、今から時間はいいかな?」
 私に予定などないが、それでも一応何かなかったかと思いだすふりだけはしておく。ふむ、やはり何もなかった。
「構いません。よろしければ、中へどうぞ」
「すまないね。じゃあ、遠慮なく上がらせてもらうよ」
 彼女は私のあとに続いて家に入った。私は彼女をリビングに案内してから洗面台でうがい手洗いを済ませた。
 リビングに戻る途中、キッチンの冷蔵庫から牛乳を取り出す。二百五十ミリリットルのものを二つ。数年前に骨折してから、弟の勧めで毎日これを飲んでいる。カルシウムは骨を強くするそうだ。
 私はソファーに座り、彼女には隣へ座るように促した。彼女は牛乳を受け取り、座るとすぐに口をつけた。
「ここに来たのは、君の弟の紹介なんだよ」
「私に弟は二人いますが」
「大きい方さ」
 なるほど、憲四郎〈けんしろう〉の方か。いや、賢四郎だったか?
 家族関係の希薄さを象徴する私の記憶の曖昧さなど、知るはずもない彼女は好き勝手に言葉を続ける。
「話には聞いていたけど、君はすごいね。女の子かと思ったよ。細くて髪が長くて、立ち振る舞いにも優雅さがある」
「いえ、あなたの方が何倍も美しい」
 私も牛乳を口にする。吸うと、パッケージの牛さんが歪んだ。
 彼女は手短に名乗り、私の弟に世話になったことについての感謝を述べた。そして、自分のことを“K”と呼んでくれと言った。
「K?」
「ああ、そうだ。あそこで、私はそうやって呼ばれていたんだ」
 あそことは、弟の病院のことだろう。
「それで、Kさん。私に何の御用ですか?」
「私は教師をしているんだ。公立の高校でね」
 ふむ、そう言われて見れば、Kさんは教師のように見えなくもない。私が通っていた高校にも女性の教師がいて、彼女のようにパンツスーツを着こなしていた。
「公立の教師は、何年かごとに移動があるんだ。ほら、この時期になると、新聞とかで公務員の人事が載っているじゃないか」
「すみません。私は新聞を取っていないんです」
「それはいけない。是非、取るべきだよ」
 Kさんは、どうして新聞が必要かということについて何やら語り始めた。曰く、世の中を知るにはそれが一番のツールとのことだ。なるほど、取るのも悪くなさそうだ。
「――おっと、私は新聞の勧誘員じゃなかったな。どこまで話した?」
「公立高校の教師には移動がある、と仰いました」
「ああ、そうだったね。要するに、私は上から移動を命じられたんだ。その移動先が、この市内の高校さ」
 ふむふむ。
「だけど、私は自宅が小田原の方でね。こっちに毎日通うとなると、なかなかに骨が折れる。だから、引っ越そうと考えているんだ」
「なるほど。公務員だろうと、勤め人は大変ですね」
 私は空になった牛乳パックを折り畳み、ごみ箱へと投げ捨てた。
 どうやら、Kさんは勘違いをしているようだ。私の父の会社のグループには不動産業もあるが、私自身はそのようなものに一切関わりを持っていないのだ。
 その旨をKさんに伝えてみる。
「困っておられるようですが、私は不動産を扱っていないんです。弟の紹介ですから、家を買って上げることくらいならできますが」
「ここに住まわせてもらうことはできないのかい?」
 Kさんはフローリングの床を指差す。不思議そうに首を傾げて。
「ここなら、私の赴任することになる高校も近いから車で通える。家具も揃っていて、新しく揃える必要もない」
 ふむ、盲点だった。確かに、この家は駅も近く、周囲も静かだ。私一人で住むには広く、部屋もたくさん余っている。
「引っ越しはいつされますか?」
「早い方がいい。さっそく、明日荷物を運びこんでもいいかな?」
 無論、私に異論はない。どうせ、何もすることがないのだ。
 私は、Kさんを二階へと案内し、どの部屋がいいか決めてもらった。彼女は、一番日当たりのよい部屋を選んだ。何も置かれていない部屋だったが、埃がひどかったので掃除を済ませた。
 夕食は、Kさんが作ってくれた。父が定期的に送ってくれる、聞いたことのある名前の肉が豪快に焼かれ、ステーキができあがった。それから、彼女は冷蔵庫の中のもので適当な付け合せをこしらえた。何もしないのは暇だったので、私は地下に行ってワインを見繕った。
 赤ワインの注がれたグラスを合わせ、乾杯する。
「憲四郎はどうですか? あなたにご迷惑などかけていませんか?」
「まさか。むしろ、私の方が彼に世話になってばかりだよ。彼は、とてもいい看護師だ。患者さんにも好かれている」
 私たち四人きょうだいの中で、憲四郎は一番勉強ができた。だから、彼が父の跡を継ぐものだと思っていた。だから、彼が医学の道に進んだことには少なからず驚かされた。だが、それで上手くやれているなら、これは兄として誇らしく思い安心すべきことだろう。
「そう言えば、君は音楽をやるそうだね。チェロを弾くとか」
 私が弟のことを考えていると、不意にKさんが思い出したかのように言った。確かに、私は音楽が好きだ。一応、音大も卒業している。彼女の言ったように、チェロを主に弾いている。だが、それは所詮趣味の範囲に留まるものであり、偉そうにやっていると言える技術ではない。
「よかったら、聞かせてもらえないかな?」
「お断りします」
 だから、こうやってすげなく断らせてもらう。
 私の言い方がよくなかったのだろうか、しばらくKさんは何も言わなかった。だが、急に表情を緩めたかと思うと、一言言った。
「いずれ、聞かせてもらえると嬉しいよ」