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音が響きわたる場所 【旧版】

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四.俺は約束する


 俺は夢を見る。

 場所は中東の国イラク。バグダッドの西、ファルージャ。
 互いに自らを正義と信じ、互いに相手を悪だと罵る。
 市街地での銃撃戦。そこにあるものは、鉄、血、火薬、砂、土、そして死体。
 バリバリという雷鳴のような轟音が鳴り止まず、撃たれて倒れる悲鳴すらも聞こえない中にあって、俺は引き鉄を絞り続けていた。それだけが存在価値であるかのように。
 不意に銃声が止み、部隊は前進を始める。
 道端に倒れていた武装勢力の男が、急に息を吹き返して銃を乱射する。死んだフリをしていたのだ。
 部隊は冷静に、且つ、素早く対処する。こうした死んだフリや投降するフリをしての奇襲攻撃は、これまでに何度となく繰り返されていた。
 兵士たちは、道に転がっている武装勢力の死体に、次々と銃弾を打ち込んでいく。
 感覚はあっという間に麻痺した。
 奪わなくて済む命なら、奪ってしまいたくない。
 そんな気持ちが残っていたのは、最初の銃撃戦の終わりまでだった。
 奴らは狡猾だった。
 投降した無抵抗の人間を射殺したと広めれば、国内外の反米感情が高まる。投降したフリが受け入れられたら、内部の奥深くで自爆し、大きな損害を与える。
 奴らは戦士だ。死を恐れていない。米兵を排除するためならば、何の躊躇もなく命を捨てる。彼らにしてみれば、捨てているのではなく捧げているのだろう。
 だが、米兵は兵士だ。人間だ。死にたくはない。最終的には自分の身を守る選択をするようになり、問答無用で射殺するようになってしまう。
 そうして、死んだフリや虚偽投降が通じなくなると、次は女子供の出番となった。
 子供が歩いてくる。男の子だ。小さな男の子。歳は十にも満たないのだろう。
 その小さな手に、幼い少年にはあまりにも不似合いな箱を抱えて、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 俺は叫んだ。止まれ、その箱を置くんだ、繰り返し叫んだ。
 それでも少年の歩みは止まらない。頼むから止まってくれ、という懇願にも似た祈りも届きはしない。
 指を引き鉄に置き、照準は爆弾と思われる箱を避けて、少年の額に合わせる。
 ひゅー、ひゅー、と空気が乾いた音を立てて気管を往復する。
 涙で視界が滲んだ。
 こんな幼子を兵器として利用する奴らも、こんな幼子を兵器と見なして射殺するしかできない自分たちも、どちらにも正義を語る資格などないように思えた。
 そんなものは、現実から目を逸らした者が口にする甘ったれた戯言だ、と分かっていながらも、そう思ってしまった。
 銃を構える俺の目の前に到達した少年は、笑いながら箱を差し出し、俺は少年が差し出した箱に手を伸ばす。それは、俺が自分の目で見た最後の光景となった。
 殺すか殺されるか。
 俺は、ハッキリしていて分かりやすいその現実を、受け入れられなかったのだ。

「トープさん、おはようございます」
「おはよう。ソニア」
「もしかして、まだ寝ていました?」
「いや、大丈夫だ」
 本当は寝ていた。
 誰かの声で目を覚ますのは、いつ以来になるだろうか。と、そんなことを思い出そうと試みることさえも、随分と久しぶりのような気がした。
「あそこにあるヴァイオリン、触ってもいいでしょうか?」
「弾けるのか?」
「少しですけど」
「聴かせてもらおうか」
 それで少しでも気が紛れるのならば。俺はそう思っていた。
 電気もなければトイレもない。娯楽など何一つとしてないこの洞穴に、普通の人間が長時間滞在すれば精神の崩壊を招く恐れがある。ましてや十歳の少女なら尚更だ。
 嬉々としてヴァイオリンを取り出したソニアは、その場で構えて弾き始めた。
 緩やかで自由な旋律は、無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番ト短調。ヨハン・セバスチャン・バッハが作曲したヴァイオリン独奏の名作。
 ヴァイオリンの音は、狭い洞穴内でいつまでも反響を繰り返す。
 その残響音は、俺を回顧の旅へと誘った。

 俺は音大の学生だった。
 大学院に進む奨学金を貰うため、志願兵となった。
 兵役が残り一年となった年、イラクへの派兵が始まった。奨学金という見返りのために入隊した志願兵は、戦時に退役することは許されない。
 俺はイラクに派遣され、ファルージャの戦闘で負傷した。
 即日のうちにアメリカに運ばれ、ある特殊な手術を受けた。
 頭蓋骨に存在する副鼻腔と呼ばれる空洞に、超音波振動子と受振機を埋め込み、反響定位を実現するという人体実験だった。
 光を失った絶望と混乱の中にいた俺は、その実験に自分を提供してしまった。
 超音波は、セラミック製のピエゾ素子によって発生させている。
 受振機は、超音波の反射を感知して周囲の状態を割り出し、専用の擬似眼球を通して情報を脳に送る。
 あくまでも反響によって感知した情報を基に作り上げた虚像であって、光を感じているのではないため、送られる情報には色がない。
 他にも数人が同様の手術を受けてたらしいのだが、俺のように自由に歩くことはできなかったらしい。
 たまたま成功したのか、俺に適正があったのかは分からないが、俺は再び世界の形を知ることができるようになったのだ。

 俺が立ち上がると、ソニアはピタリと演奏を止めた。
 自分の演奏が、俺の気分を害してしまったと思っているのだろう。
「もっと自由に楽しみながら弾くといい。楽しまなければ音楽ではない」
 俺自身は優れた奏者ではなかったが、感覚的な助言ならばしてやれる。
 ソニアの演奏は隙の少ないものだったが、哀しきかな、楽譜をなぞっただけだ。とはいえ、十歳にして譜面通り正確に弾ける技術は驚嘆に値するものだ。
「トープさんもヴァイオリンを弾かれていたんですね。私にも聴かせてください」
 偉そうなことを言ったが、俺のヴァイオリンは下手の横好きというやつだ。技術ではソニアの方がずっと上手い。わざわざ聴かせるほどの腕前ではない。
「朝食に行く」
「はい」
 ソニアは悲しげに返事をした。
「食後に弾いてやる。ヘタクソだが笑うなよ」
「はい!」
 ソニアの返事は、ヴァイオリンの音に負けない反響をみせた。
 さっそく出掛ける準備を始める。
 俺の準備は、日差し避けのショールを巻くだけで終わる。洞穴の中には朝になっても太陽の光が入らないため、ソニアは準備に手間取っているようだ。
「トープさん、大変です! 車がありませんよ!」
 準備を終えて外に出たソニアは、開口一番にそう叫んだ。
「心配ない、こっちに向かっている」
「どういうことですか?」

 反響定位による周囲の把握が可能となった俺は、アリゾナ州の州都であるフェニックスへと移された。
 フェニックスでは、ブレイン・マシン・インターフェイスの研究が行われていた。
 人間の脳からの直接命令による、無人兵器の遠隔操作。それが、実験体として俺が参加することになった研究だった。人間の脳に人為的に手を加えるという行為が倫理面で問題となるため、この研究は公にされていない。俺が死んだことにされているのはそのためであり、トープ・ソノラという新たな名前を与えられたのも、ここへ来たときだった。