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拝啓 行方不明のヒーロー志望 何も知らない少年へ

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 あなたなら、きっと、なれるわ。
 世界で一番かっこいいヒーローに。

 悪逆無道の振る舞いを尽くす非道な指導者に、正義の鉄槌を下す英雄たち。俗に言う、"せいぎのみかた"に憧れて、華麗なる変身ポーズだの、勝利時の決め台詞だの、見よう見まねで真似していた子どもの僕に、母さんはそう言った。あなたは頭もいいし、運動神経もいいし、それに、顔だって、とても素敵よ。ちょっとだけ、おっちょこちょいなところがあるけれど、あなたなら、きっと大丈夫―――母さんは、にっこりと微笑みながら、教えてくれたのだった。


 あれから僕は大人になって、子どもの頃からの夢を叶えた。ただし、テレビで見るような、完全無欠のヒーローにはなれなかった。本来の名前を捨てて、20年とちょっとの間に築き上げてきた立派な経歴もきれいさっぱり塗りかえて、僕はイギリスの諜報部員となった。正義の名の元に真実を運ぶ、影の功労者となったのである。子どもの頃に思い描いていた夢とは異なるけれど、僕はさほど不満を感じてはいない。ただ一つの正義のために、身を粉にして戦い続ける点においては、僕が子どもの頃の理想に描かれたヒーローたちと何ら変わらない。正義を掲げる対象が異なるだけだ。国のためか、人々のためか。その違いしかないように思われた。

 母さんの言うとおり、僕は仕事の覚えが早かったし、与えられた任務だって要領よくこなしてみせた。母さんも僕も危惧していたとおり、時には失敗もしたけれど、そんなものは後でカバーすればいいだけの話で、実際にミスを補うかのように、僕はそれなりの成果を上げてきた。世界中には何人もヒーローが存在しているけれど、少なくとも僕は、子どもの僕が夢見ていた世界で一番のヒーローになっている。母さんも、そう、思うだろう。
 脳裏に浮かぶ懐かしい記憶が小さく揺れ動いて、やさしく微笑んだ。

 今日だって、きっと、何もかもが上手くいくだろう。―――とは言え、何だかんだで詰めの甘い僕のことだ。数々の失敗を犯してしまうかもしれない。でも、きっと大丈夫。僕の実力は、あの時 僕の夢を後押ししてくれた母さんのお墨付きなのだから。いいや、母さんだけじゃない、四畳半の家で待つ、僕の大好きなひとも、僕を認めてくれている。君は頭もいいし、運動神経もいいし、顔もいい。それはある種の才能だよね。もっと自信、持っていいと思うよ。君なら大丈夫、きっと大丈夫、あ、その顔、疑ってるでしょう、やだなあ嘘じゃないってば、君なら、絶対に大丈夫だよ。僕が保証するさ―――そんな風に笑ってくれる彼のために、僕は今日も力を振り絞って、任務に臨むのだ。


 ただ、僕はやはり、ばかだった。
 正義はかならず勝つ。だから、僕に関わるひと、もの、こと、すべての世界が、いつだって僕に味方すると思っていた。僕の生きている世界は決して映画や、アニメや、ゲームのように、何でもかんでも上手くいく虚構の世界ではなかったのに。いつだって。そんな言葉はありはしないのに。僕は少しばかり世界を信じすぎていた。



 「先日の失敗。この落とし前は、どう付けるつもりだ」


 ある日のことである。次の作戦に関する情報会議を交わしていた時のことだった。上司がいささか興奮した様子で、僕の目の前に立ち尽くす。そして、おもわず沈黙する僕を、力いっぱい声で殴った。鼓膜に延々と響き渡る怒声に、うっかり顔を顰めたくなったけれど、僕もいい大人なので、「先日の失敗、と、言いますと」とポーカーフェイスで尋ね返した。申し訳ございません、と即座に謝っておけば良かったかもしれない。しかし、僕には上司の言っていることが理解できなかった。だって僕はここ最近、失敗なんか一度もしていない。叱責を甘んじて受ける覚えはないからだ。


 「来い」


 上司は僕の腕を引っ張って、会議の輪から引き離した。腕に伝う不可解な感触に目を細めながら、僕はすべての思考回路を総動員して、一から考える。取り返しのつかない失敗、それが果たして、僕にあったとでも言うのだろうか。しかし、自身の犯したミスに気付かない諜報部員など、まったくの論外である。特に、常に危険と隣り合わせのこの業界においては、なおのこと。いくら失敗の多い僕と言えども、失敗を放ったらかしにするなんて、そんなことはあり得ない。

 しかし、僕はわけもわからず、上司に連れられて、照明の薄暗い部屋に放り込まれた。


 部屋に入るなり、上質なテーブルに身体ごと押し付けられた。そのまま縫いつけられた手首を振り解こうとして、今度は頬をぶたれた。痛みを伴って真っ赤に腫れ始める僕の頬に、かたく角張った手が覆う。僕はもう子どもではないので、その先に待っている展開は容易に想像できた。しかし、それが僕の脳に、明確な事実として、なかなか浸透しない。僕はこれから何をされようとしているんだ?これは悪夢だろそうだろう。


 「お前は頭もいいし、運動神経もいいし、顔もいい。自身が犯したミスすらも勝機に変える、運の良さも持っている。諜報部員として、実に優秀な人材だ」


 そう、恵まれている。本当に恵まれている。実に不平等だ、実に不愉快だ。上司は静かに吐き捨てた。なんだ、単なる嫉妬じゃないか、くだらないことを言うもんだ。僕はやっぱり致命的な失敗なんかしていなかった。ほら見ろ。ほら見ろ。ほら―――得意気に笑ってやろうかと思ったけれど、僕の唇はひきつって動かなかった。

 僕の首筋に纏わりつく、荒々しい息遣い。僕は身体を捻って、男の下から抜け出そうとするけれども、力の差は歴然だった。今まではこんなことはなかった。僕は失敗の多い男だけれど、それ以上の成果を収めて、自身の失態を完璧に補ってきたはずだった。そうやって、数多くの困難を切り抜けてきたんだ。だって、子どもの僕が夢見ていた世界で一番かっこいいヒーローは、いかなる危機に直面しても、粘り強く我慢して 新たな道を切り開いて いつだって勝利を収めていたのに。母さんだって、あのひとだって、言っていた。あなたは世界で一番のヒーローになれるわ。君は世界で一番のヒーローになれるよ。そう言って、頭を撫でてくれたのに。

 あたたかい記憶の断片を握り潰すかのように、男は僕の髪を(かつて、大切なふたりが撫でてくれた頭を)引っ張って、「諜報活動だけが、お前の仕事じゃないんだよ。」とわらった。


 あくのそしきに、せいぎのこぶしを!―――子どもの頃に何度も繰り返した、せいぎのみかたのポーズ。正義の鉄槌を下すはずの両手は、力無く、かたいテーブルに埋まっていった。
 僕は柄にもなく泣きそうになった。悪者を制裁して一件落着、めでたしめでたし。いま思えばなんて短絡的な正義だったんだろう。そんなもの、僕が生きている現実にありはしない。本当の名前を捨てて、20年とちょっとの経歴をきれいさっぱり塗りかえた僕は、ちっともヒーローなんかじゃなかった。正々堂々と生きてなんかいなかった。その事実に僕はいま気付いた。僕が子どもの頃に守りたかった世界はどこに消えてしまったんだろう。どこにあるんだろう。問い掛けてみたところで、だれも返事を寄越してはくれないのだった。