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金枝堂古書店 一冊目

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一冊目

 古びた硝子の引き戸に倦怠そうな顔と低い空が映っている。蝉の声は八月にもなって尚まばらで、圧されるような曇天に屈して溜息を吐き出した。今年の長梅雨は異常というほかなく、なんとなく陰鬱な心持で例の扉を開いた。クーラーが入っているわけでもないのに心地よく感じるのは湿気を管理しているせいだ。でなければ本たちがやられてしまう。圧し掛かるような本棚が形作る、人ひとり通るのがやっとの薄暗い通路の先に、ここ、金枝堂古書店の主はいる。俺は無造作に棚から一冊抜き取った。この天気ではいつ雨が降るか分からぬから、いつも外に出しているワゴンも中に入れてしまって店内は余計に狭い。近頃はちいとも夏らしくなく、どうにも調子が出ない。少女はそう聞くと、「先生は」と呟くように言った。
「暑ければ暑いでけだるいと言うのでしょう。おかえりなさい」
 手元の本から顔も上げない。氷でできた楽器があれば音色はこのようであろうというような、玲瓏にして強張るところのない、染み入るような声。本人にそう言ったなら、「芭蕉のようですね」とでも言いそうで、つまり褒め甲斐がなさそうなので、胸に留めるだけにしている。
 彼女は飾り気のない木の机をカウンター代わりにして座っている。客を待っているというよりは、ただずっと本を読んでいる。この文学少女――紫織はこの古書店の主である爺さんの孫という人物だ。
「それでも夏には夏の良さを味わいたいものだ」
 無い物ねだりの反論に彼女はようやく顔を上げた。黒髪を後ろでくくったのが二つ、狐の尻尾のようになっているのを指先でくるくると弄ぶ。
「ではこの家でも隅々案内しましょうか」
 紫織はいたずらっぽく目を細めた。彼女はよくこうして俺が分かりかねることを言う。これは彼女なりの遊びだ。今回もいまいちピンと来ないので、それはどんな意味だと訊いた。
「どこかの扉が夏へと通じているかもしれません」
「ハインラインか」
 隣に座って本を開こうとすると、紫織が横目に俺の顔を覗き込んで言った。
「開けば別の世界へと旅立つ入り口となる。本もまた『夏への扉』でありましょう」
「扉は分かるが、夏というのがわからないな」