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憎きアショーカ王

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  マガダの喜見(105)はクルにおける……見解によってサンガを分かってはならない……生まれによってバラモンとなるのではない。見解によってバラモンとなるのではない(106)。実に我がいるという見解が無明(107)と呼ばれる。我が説を認めぬ者は愚劣である、貴重なる血に生まれた我を侮辱する汚れた彼は罰を受けよ、と執着(108)する者は、飢えた獣の如くに苦しむ。我と彼という見解から離れ、識別作用(109)を省察したなら、彼は安らかであるのに……ここにあるのはバガヴァンの骨である。喜見はバガヴァンの最後の言葉が次のようであったと聞いた。
  "もろもろの事象は過ぎ去るものである。ぼんやりと放心することなしに、気をつけて、一切のなすべきことを実現せよ(110)"
  と。バガヴァンの教え……実に行いによってバラモンとなるのである……泥沼にいるものは泥沼にいる者を救うことはできない(111)……ビックあるいはビックニー(112)は無明を省察し見解に執着することなく……ぼんやりと放心することなしに、気をつけて、一切のなすべきことを実現させなくてはならない……この法勅(113)は灌頂二十八年(114)に、私によって銘刻せしめられた。

 碑文を読み返す必要はなかった。いったん読むと、それは俺の心に刻まれた。そこで俺は掘った穴から這い出た。地表に出て、空と辺りを見回した。月と星々は、どれだけ遠くからか知れぬが、光を注いでいる。西のかた、遠くヒマラヤへと続く山脈がそびえ、覆う樹木はめいめいに呼吸している。ビアスの水音は留まることなく、時間の流れを表現している。
 ああ、この過ぎ去る事象。これらの事象のうち俺はどれだけのことを知っているのか。いったい、彼は愚劣である、俺は彼を許さぬ、などと泥沼にいて延々と苦しむ者が、誰の役に立つものか。
 そこで俺は次のようなことを思いついた。
 "そうだ、俺はビックとなろう。あの美しい山の中へ入って、樹木の根元で涼み、ビアスの水を飲んで暮らそう。ここにいるのは俺という存在である、これとこれとは俺の所有するものであるという無明をよく観察して、過ぎ去る事象を正しく知ろう。そうでなければこの苦しみはなくならないし、人が事象を正しく理解するどんな書物も書けはしない"
 と。このように感じたとき、傍らに立つ人がいるのに気づいた。かの老人が、俺が掘った穴を覗き込んでいるのだった。
 「やや、石柱ではありませんか。ほんとにありましたな! いやあ、お手柄ですな!」
 皺だらけの顔ではしゃいで喜ぶのだった。
 「ババジー」
 俺は昼間チピチピチョップをやっていた子供たちのような、甘えきった声で彼を呼んだ。体中から力が抜けて安堵した。
 「碑文はありましたかな?」
 「はい、ありました」
 「それで、ビックの見解については?」
 そこで俺は碑文を暗唱してみせた。「マガダの喜見はクルにおける……この法勅は灌頂二十八年に、私によって銘刻せしめられた」と。
 すると老人は大いに笑った。
 「すると、アショーカ王の容疑は、晴れたわけですかな?」
 といたずらっぽく言う。意地の悪いお方である、やめてほしいものだ。俺の中から次のような言葉が出てきた。
 「例えば、このビアスのようなものです。ひとつの水の粒子の力のみによって川の水量を増やしたり減らしたりすることができないように、ひとりの人間の力のみによって社会の苦しみを増やしたり減らしたりすることもできない。私たちは自ら理解し自ら行い、自ら苦しむのですから。アショーカ王は自ら行いをなし、ビックたちもまたおのおの自ら行いをなしたというだけでしょう。その行いがどのようなものであれ」
 老人はまた大いに笑った。
 「ああ、あなたには自らを見る目が生じたのですな。アショーカ王のおかげ、というところですかな?」
 老人はくすぐるような言い方をするので、俺は思わず笑ったのだが、そのとき次のことに気づいた。この楽しさはなんだろう? この安らぎは、どこから来るのだろう? アショーカ王へのこだわりはなくなったが、それだけではない。この老人の人格が俺をしてそうさせたのだ。思えば人格とは自らを形作るという行いの結果である。実にこの老人は行いによってバラモンである。俺はビックになろうと考えたが、この老人がサーリプッタジーの弟子であろうとなかろうと、この親しみある人の下で暮らすのがなにより良いのではないか、と。そこで俺は次のことを言った。
 「ババジー、私はビックになりたいのです。ババジーの下で出家(115)させてください」
 「ふむ……」
 老人は少しだけ考えてから、にっこりと笑った。
 「それも良いかもしれませんが、しかし、ビックガティカになられるということではいかがですかな? そう、アショーカ王がそうであったように、あなたもまた、輪を転ずる者(116)であるのだから」
 そうして俺はビックガティカとなった。

 ババジーは特別なことを教えてくれたわけではなかった。彼が俺に教えてくれたのは、人の笑わせ方とか、子供のあやし方とか、まあ、そんなところだ。俺という意識の見方については、そんな安らぎの中で、自然と自分で見つけていったんだ。インド考古局の人間がやって来て、石柱の本格的な発掘を始めた頃、俺はこの美しいクルの谷を離れた。今はどうしているかって? こうして書物を書いて、君と話をしているじゃないか。
 これで俺の話は終わりだ。さあ、今度は君の話を聞かせてもらおうか。長い話があるんだろう? なんといっても君は、自ら理解し、自ら行っているんだから。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu