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憎きアショーカ王

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 もちろん、大乗(41)などという恐ろしい名をもて呼ばれる一派が、空から積荷が降ってくる(42)のを待つ無学な者にうってつけのその見解によってバーラットで支配的になり、結果バーラットでバガヴァンの教えが死滅し、中夏(43)や日本でとんでもない迷信になるにいたるなど、彼の本意ではなかったろう。だが彼がバガヴァンの教えよりも自らの名声を優先させたからこそ、こういう事態になったのだ。彼は望みを果たしたのである。彼のこの欲望によって、バガヴァンの教えはごく限られた人、スリランカや東南アジアの人々--そこですら一部の人々なのだが(44)。これも原因はアショーカ王にある--と、自らの努力で調査した人しか知ることができなくなった。TV やインターネットなどによって多くの人間と接触する機会が増えた現在、そのぶん俺たちは多くの暴力にさらされるようになった。TVの街頭インタビューで市民が自らの見解を語り、インターネットで誰もが自らの見解を語り、このようにして世界に暴力がまき撒き散らされているのは、このひとりのマガダ王に起因しているのである。
 憎き、アショーカ王。
 なんとしても、ビックが見解を持つことについて書かれた碑文を見つけて、奴の武名を終わらせてやらなくてはならない。
 ビアスの水の轟音を聞きながら、俺は決意を新たにした。

 バスは、アムリトサル(45)を通って、谷間の村々を抜けた。道端には、ニホンザルとよく似た猿たちの群れ。おそらく、集落の人々よりもその数は多いだろう。自然を所有しているというような、都市の人間に特有の感覚は、こうした土地の人々にはないだろうと思えた。だからして、ごみなどもそこらに捨てるのになんの躊躇もないだろうとも。
 ときに、およそ遺物を見つけるには、その方法はひとつしかない。古い記録か現地の口承から場所を比定して、あとは掘るのみだ。だがバーラットの場合、歴史の記録というものがほとんどない。人間の事跡など真理を知るよすがにもならぬと主張するのだろう、彼らはもっとよい方法を持っていた(46)のだから当然のことと思える。
 中夏の人々の文字の力への信仰(47)がどの程度のものか知らぬが、ともかくバラタ族に代わって、この地の記録を残してくれたのは彼らだ。
 玄奘(48)の大唐西域記(49)に、今では見つかっていないアショーカ王のストゥーパ、石柱、摩崖碑文の記録がたくさん載っている。この上はこの記録をひとつひとつ当たっていく他ない。
 バスは、西域記に屈露多国(50)として載っている辺りに到った。この地の人々は今日もこの千四百年前の名を保持している。クルと。
 カニンガム(51)によれば、玄奘が訪れた旧都は現在もナガル(52)と呼ばれているという。もっともカニンガムの"現在"はもう百年以上前だが。
 しかしバスは、確かにナガルという名の谷間の集落に着いた。
 西域記には、「この国にはストゥーパがある。アショーカ王が建てたものである」とある。これはアショーカ王がバガヴァンの骨をいくつにも分かって納めたというストゥーパ--その数八万四千という(53)のだが--のうちのひとつに相違ない。また、「如来はかつてこの国に来られ、説法し人を済度されたことがある。遺跡には記がある」ともある。つまり仏足石(54)があったということだ。
 俺はバスを降りた。集落は、美しい渓谷と調和していた。米やトウモロコシの段々畑に取り巻かれて、そこかしこに人家や商店が点在するくらい。しかしバス停の前の数台のオートリキシャ(55)が、ここが確かに寂れた農村ではなく古都であることを示した。
 「旦那、もしかして、映画スターかなにかですかい?」
 オートリキシャの運転手が話しかけてきた。くだらぬ話をしている暇はない。
 「ここでいちばん古い天祀(56)はどこだい」
 「そりゃあ、トリプラスンダリー(57)でさ。この町ができたときからあるって聞いとりやす」
 「そこに誰かの足あとがないかね。それか、墓か」
 ヒンディ語で墓といえば火葬場のことになってしまう(58)から、この語だけは英語を用いる他ない。
 「墓ですって? そんなのはありませんが、足あとなら、はあ、たしかにありやす。ブッダ(59)の足あとでやんしょ? とてもありがたいものですよ」
 なんだって? こんなに簡単に見つかるとは、世の考古学者はいったいなにをしていたのか。
 「さあ、一刻も早く俺をそこへ連れて行くんだ」
 俺はオートリキシャにリュックを放り込み、運転手を手で扇いで急かした。
 「へえ、ようがすよ」
 運転手は起こっていることを了解しかねるといった様子であったが、ともかく車を走らせてくれた。碑文が見つかりさえすれば、彼にもわかることもあろうと思い、俺はそれ以上なにも言わなかった。

 斜面を下る沢--西のかた、ビアス川に注いでいる--のほとりに、その寺はあった。境内は一面の芝生で、中心には、日本でいう三重塔のような、木造の楼閣形式の建物が建っていた。極めて古い様式なのは明らかだが、ところどころに白木も見える。ごく最近修繕をしたのだろう(60)。しかしそれは行過ぎず、谷の景観と見事に調和していた。
 オートリキシャの運転手に帰るように言って別れた。仏足石があろうとなかろうと、テントを張って何日か掘ることになるだろう。
 境内に入っていくと、ひとりの老人--剃髪し、枯草色の衣を袈裟懸けに着ている--と、幾人かの子供たちとが、なにやら走り回って遊んでいる様子だった。
 「チピチピチョーップ!」
 と老人、いたずらっぽく。
 「What do you want!?」
 と子供たち身じろぎしつつ口をそろえて。
 「I want color」
 と老人。子供たちににじり寄りながら。
 「Which color?」
 と子供たち、後ずさりしながら。
 「Blue!」
 と老人は短く言うと、駆け出した子供たちを追いかけ始めた。子供たちは逃げ惑いながら境内にある青いものを探し、ひとつの石にレリーフされた女神の前に焚かれていた、紺色の線香--チャンダンだ--に群がっていった。しかしひとりの女の子が逃げ送れて、老人に捕まってしまった。子供たちも老人もたいへんなはしゃぎようであった。
 これはチピチピチョップ(61)という遊びだが、日本などにもある色鬼ごっこと同じだ。捕まった者が次の鬼となる。バーラットで子供がやっているのはよく見るが、しかし老人が子供に混じってこれをやっているさまなど初めて見た。
 やがて老人が--おそらくはこの寺のあるじだが--傍らに立っている俺に気づいて、子供たちに何かを言って追いやってから、俺に近づいてきた。近づくと、にっこり笑って合掌(62)をする。老人のこれらの所作は、彼の寛大な知性と、そして品格あるユーモアのセンスとを俺に伝えた。そこで俺は合掌を返した。ずいぶん痩せた、腰が曲がっているわけでもないのに背の小さい老人であった。年の頃は七十歳は越えていよう。
 「観光で見えられたのですかな? それにしてはずいぶんなお荷物だが」
 俺が背負っているシャベルやらテントやらを見て、老人はにこやかに笑う。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu