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秘密

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「秘密」
 
 今日は恋人の美香と会う約束をしている。
 大学時代から知り合って5年程の付き合いだ。
 私は銀行員、彼女はデザイナー。
 本来なら出会う事もなかったが、道端で声をかけた事がきっかけだった。
 一目惚れだった。
私は、手帳を取り出し、恋人の美香が食べたがる項目を見る。
 美香が今日食べたいものは……今日は多分、イタリアンだな。
 ぱたりと閉じ、イタリアンレストランに連絡する。
「もしもし、榊原だが今日はそちらとれるかな?」
「はい、もちろんでございます、榊原様。VIP用ルームにてご用意させていただきます。お時間は……」
 予約時間を伝え電話を切る。
 それと同時に自宅のチャイムが鳴った。
 訪問者はすぐにわかった。この家のチャイムはチャイムの押し時間で鳴り方が違う。郵便屋は、『ぴぽんぴぽん』だし、新聞屋は『ぴんぽんぴんぽん』、隣の山田さんは『ぴぃんぽ』だ。
――このチャイムの音は。
 突然、玄関の扉が開くとともに僕の好きな声が聞こえてきた。
「もう、どうしてでてくれないのよ、健」
 急いでるのか、靴がしゅっと脱げる音とどたどたという音が段々近づいてくる。
「もう、チャイムならさなくて入ってきてもいいって言っただろう」
「あなたの家でしょ。私は、そういう事できないわ」
「そうだね、君のそういう所、好きだよ」
 美香の好きなキリマンジャロはすでに用意済だったのでちゃぶ台に出すだけだ。はい、と添えて出す。
「ありがとう。んーやっぱり健の珈琲は別格ね」
 美香はおいしそうにそそる。
「そういえばさ……」
「あー、今日はレストランの予約とった?」
 言おうとした言葉が美香の言葉によって上書きされる。
「今日はイタリアンだよ」
「えー。すごい! 今日私もイタリアン食べたいと思ってたんだ」
「ふふふ、よかった」
 美香が食べたいもの、周期は把握していた。
 でも、こんな事続けていいのだろうか。
 美香に喜んで欲しいがあまりひけなくなってしまった。
 胸元にしまってある、黒い手帳が今日はなぜか重かった。
 最初は美香が好きなもの、嫌いなものをメモするだけだったのに、それが発展して、やめられなくなって、美香の辞書みたいになってしまった。
「どうしたの?」
 美香の前で辛い顔を見せられない。
俺はにこやかな顔で対応する。
「でもね、今日、本当はフレンチがいいな」
 ん? なにかがおかしい……。
今日は絶対イタリアンのはず……。
「私ね、予約してきたんだよ。絶対、健といくってきめてたから!」
お、おかしい。そんなことはない。
「お、おい! 今日はイタリアンじゃないのか?」
 変だ、変だ、変だ。顔色もかえず心の中では連呼している。
「うん、でも今日はフレンチなんだ」
 これは、どうゆうことなんだろう。
彼女に言われた通りにフレンチレストランについた。
「どうしたんだ、美香。」
 急に彼女の好みが変わるなんて事はないだろう。
「ふふ、どうもしてないわよ」
 どこか楽しそうな美香だが俺は落ち着くことができなかった。
「俺の事が嫌いになったか?」
「なるわけないじゃない」
本当の事なのか。俺は怖くてしようがなかった。
「ああそうだな」
 平然とニコりと返したつもりだが返せただろうか、この気持ちの落ち着かなさを彼女には気づかれてやしないだろうか。
 そして、料理が次々と運ばれてくる。
……運ばれてきた料理は、俺が好きそうなものばかりだった。
「本当は、私が作れればいいんだけどね」
 彼女が秋とはいえ、手袋を取らないのにすでに俺は違和感があったのに気づいていた。
「ありがとう。う、うれしいよ」
 どんな時でも美香の前では、毅然とふるまうつもりでいた。
けど、いまの俺は、心に美香という洪水がやってきてもうどうしようもなかった。
 泣き崩れる事しかできなかった。
「うぐっ……ひぐっ……」
 みっともない、みっともなさすぎる。
 そう思っても、もう取り繕えなかった。
だから、決心した。
 俺は胸元から黒い手帳をテーブルに置いた。
「君に言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「へぇ。なにかしら。私もありますよ」
 彼女は、カバンから日記サイズの大きな手帳を取り出してきた。
「え、なんで」
「私が健に気づかないわけないでしょう」
「そうか……そうだよな」
「今度は超高級イタリアンでお願いね」
 満面の笑みで美香は言う。
 人生で一番彼女が綺麗だなと思った。
 強風が吹いた。
 僕らの手帳が勢いよくぱらぱらとめくられていった。
作品名:秘密 作家名:。。