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歩く墓の許嫁-ジャコモ・レオパルディのエラトー

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ジャコモ・レオパルディに許嫁ができたという噂を聞いたとき、俺の仲間うちで信じた者はひとりもいなかった。俺たちアントロジーア誌の寄稿者のみならず、彼の例えば『オペレッテ・モラーリ』を読んだことがあるトスカーナ人なら、到底信じることなどできなかっただろう。と言うよりも、フィレンツェの街で彼を見たことのある人間ならば、決してこのような話を信じるはずがないのだ。あの浮腫のために左足を引きずる惨めな後姿、うつろな眼差し、埃まみれの青銅像のような顔色を見たことがある人なら、俺たちが彼について影で、「死人よりも死人らしく見える」とか、「歩く墓」とか呼び習わしているのを、非難するはずがないのと同じように。
 そうは言っても、ジャコモがただ一人「友人」と呼び、共同生活をしているアントニオ・ラニエーリが--ジャコモは俺たちについては「知人」と呼んではっきり区別していた--アントロジーア誌の会合のあと、喜色満面にこのことを語るとなると、素朴だが傑作な冗談と片付けるわけにもいかなくなった。アントニオが熱っぽく--それは新しく発掘されたギリシア叙事詩に熱狂する古典的ロマン主義者とでもいった感じだった。事実彼とジャコモは古典的ロマン主義によって結びついていたが--語ったところでは、その許嫁はまだ年端も行かぬ少女で、かのムーサイ、エラトーのように可憐で心清らかであり、すでにジャコモとアントニオと同居しているという。ただひとつ問題なのは、その許嫁は女手一つで育ててくれた母親を捨ててジャコモのもとへ走ったので、母親がお上に訴えればジャコモは娘と引き離されてフィレンツェを追放されるかもしれない、そのときは自分の故郷のナポリへとふたりを亡命させるつもりだ、ということだった。
 どうやら本当らしいと俺たちは納得したが、しかしやはり疑問はあった。俺はアントニオに尋ねた。
 「それで、そのエラトーは、いったいどうやってあの歩く墓をたぶらかしたんだね? どんな聖杯をちらつかせて、あの屍を棺桶から引っ張り出したんだ?」
 アントニオは不快な顔をすることはなかった。それだけ俺の疑問は妥当なものだったんだ。それどころか、いっそう嬉しそうに言うじゃないか。
 「それがねジャンバッティスタ、こう言ったんだそうだ。あたしがあんたの子供を産んであげる、ってね。これじゃあ、あのジャコモだって反論しようがないよ」
 俺たちは色めきたった。この最も古典的で最も使い古された女の口説き文句は、しかしジャコモが『オペレッテ・モラーリ』で示した懐疑への最も強力な論駁たりえることに、俺たちはすぐに気づいたのだった。

 アントニオが彼の友人とその清らかかつ大胆な許嫁のもとへと帰ってからも、俺たちはなんとも騙されたような気分で、ただアブサントを飲みつづけていた。おのおの、ジャコモが神経症の具合が良く、ワインを飲んだときに--それはごく珍しいことだった--言っていたことを思い出していたのだ。ニッコロ・トンマーゼオによれば、奴は次のように言っていたそうだ。
 「結婚して子供を作ろうなんて連中の気が知れないね。連中は人類の、生命の歴史について考えたことがないに違いないし、自らがなぜ生まれたかを考察したこともないんだ。我が親愛ならざる知人くん、君は自分の人生とはなにか、考えたことがあるかね? これは失敬。では俺の見解では、と言っておこう。俺の人生とは、俺の親父が、俺のお袋に欲情した結果というだけだよ。そして人類史とは、生命史とは、欲情の歴史に他ならぬ。古代からエロティシズムこそが最高の芸術なのは、こういう事情なのさ。君たちが社会問題と呼ぶ数々の事象のすべては、他者が近くにいることで生ずる。それはひっきょう、男の肉欲に原因しているに過ぎないではないか。もしも社会問題を解決したいなら、男が生まれたら即座に去勢すればよろしい。思うに仏陀釈迦牟尼が人々に出家を勧めたのは、この理由に他ならないんじゃないか。いずれにせよ、俺はこの馬鹿げた欲情の歴史を、これ以上子供たちに受け継がせる気になどならないね。彼らは生きる衝動に満ちて生まれ、希望を膨らませて成長するが、やがて清らかな生きる衝動は貪欲と傲慢とに変化し、希望は卑しさへと変化していく。自らを粉飾し、他人を値踏みするようになり、暴力で武装して世の中をうろつき、人々と衝突しては、貴様が先に侮辱したのだ、俺のほうが貴様より優れているのだなどとまくしたて、殴り合いをやらかす。そうしているうちに疲れ果てて、しかししっかり子供だけは作って、『この者、欺瞞に生きる』と書かれた墓標の下で死ぬのだ。こんなことを繰り返して、ねえニッコロ、いったいなにごとが起こるというんだね?」
 ジーノ・カッポーニには、こう言ったそうだ。
 「自らを欺き、他人には偽る人々。晦渋さを怠情さによって論難し、他人の言辞によって自らを形作る者。それが神秘主義者だ。俺には神なんていう概念はさっぱり理解できないね。もしも、かのマガリャネスに伝言を頼めるなら、頼みたいものだ。そう、例のパタゴニア巨人たちに、神ってわかるかね、ってね。神や不滅の霊魂についての議論がいろいろあるが、俺には子供が遊んでいるようにしか聞こえないよ。子供なら微笑ましいが、大の大人が、神だの霊魂だのとしかめ面で論じるとなると、これはおぞましいだけだ! いいかねジーノ。神とはある人がこれは神であると見たことを言うのだ。そして彼は同じように、『これは私である』と見、また、『私は不滅である』と見る。そして彼はそれについて、次のように言う。『神はいる。私は不滅である。これは真理である』とね。とどのつまり神秘主義者とは……まあ、ずうずうしい人物の別名だ」
 俺にはこんなことを言っていたっけ。
 「文明の進歩! ご立派なことだ、奪い合いの歴史のなんと詩的な表現だろう! 君たちの崇拝する進歩的政治形態の、進歩した人類! 政治と経済の時事問題を追いかけ、著名人のゴシップに心躍らせる、生まれながらの政治家にして経済人たち。金の奪い合いを政治とか経済とか称する彼らは、また家畜を国民と呼ぶ。家畜--国民にして政治家にして経済人--は、選挙において突然良識ある政治家に仮装して投票し、選挙が終わると、即座に傲慢で他者を妬みつづける利己主義者へと立ち戻り、隣人の様子をびくびくしながら伺う。彼らは、芸術家が古来からの伝統に則って、政治や経済から遠ざかるのを見ると、義務を果たさず、悪いものから目を背け、幻想ばかり夢見る役立たずと見なす。芸術家が、経済学や欺瞞を排除する目的で、充分に古いか、充分に新しいか、どちらかの条件を満たす表現を苦労して探し出しても、彼らはそこに晦渋さを見るのみで放擲し、経済学や欺瞞を導入する目的で、平易にされたものに飛びつく。こうして彼らは金と欺瞞の中で生き、死んでいく。文明の進歩とはこのように進んでいくが、ところで、進歩主義誌アントロジーア主筆ジャンバッティスタくん、いったいそもそも、これはなんのためにやっていることなんだね?」