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ネヴァーランド 136

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市民は、モラルとは別の原則に従った教育を施されていた。いくら白っこ1が、危機と奮闘を通して民族自身が自覚したと言い張っても、あまりに短期間での達成を説明は出来ない。文明と文化の崩壊を反省し、解析と批判に立った前もっての教育があったのだ。あの、眼鏡をかけた神によって。いっぽう僕は、モラルに従って生きたことはないと思うが、モラルを学習はさせられた。だから、僕が隔離されていた理由のひとつが明らかになる。彼らとの接触によって、学習の結果であるモラルが彼らに流出しかねなかった。父はそれを恐れたからだ。なぜ父が、有害であるにちがいないモラルを僕に教えたかは不明だ。神の意図など分かるはずがあろうか。ただし、ふふっ、神は眼鏡をかけていた。近視か、遠視か、乱視か、何らかだったのだ。だから、とにかく神が、視る者として完璧ではなかったことだけは明らかだ。
単一が崩れて多数性多様性を持つように見えてきても、それは、過去への回帰ではなく単一の実現にすぎないかもしれない。分化し、見かけの差異を持ち、様々に仮装した、単一かもしれない。単一理念からの逸脱が、原理の体現であり、深く潜在していた同型同一の顕在化であり、個別現実化であり、生々しい実践であるかもしれない。
それぞれの具体的な逸脱、僕にとっては切実な体験の数々を繋げると、全部を貫く共通性が見えてきそうだ。この開いた可能性の誘惑に、は―、僕は抗し切れない。広大な可能性が秘める共通性、指し示すひとつのこととはなんだろうか? いち→いっぱい→いち。おや? はて? 前後二つのいちは、同じ、いち、なんだろうか? そうだ、それが問題だ。いち、がひとつであることは証明を要するぞ! 
…… ううう、悩みは果てない。あのねえ、お父さん。ヒントをくれてもいいんだよ。ねえ。
再び岩壁が切れて隙間が開いた。川を隔てて岩舞台が正面に聳え立っている。四つん這いになって川原のがわの岩壁に左肩をこすりつけながら沿って進み、窪みを見つけてそれに背をくっつけ、両脚を両手で引き寄せ、あたかも岩であるような振りが出来るようにと願いつつ身を潜めた。そこここから噴出する亜硫酸ガスも、音を立てるなとでもいうように、C―C―C―と音を立てる。複数のハットリが、向こう岸の、岩のてっぺんや、崖の中腹や、川原の岩陰に、いつのまにやらなにげなくそっと現れた。我々の種ではないかのように、手のひらや足の裏に吸盤があるかのように、動きによどみがない。
想像上の拍子木が、耳をつんざくほどにかき鳴った。実は、上流はるかの間欠泉が吹き上がって、かり、かり、訶、訶、訶、訶っ、不眠症のセミ達が一瞬ひるんで鳴き止むほど音高らかに、吼えたのだ。舞台の幕がまさに切って落とされようとしていた。
土俵入りの際の露払いか大名行列のヤッコのように、どデブのガードマンが下手からやってきた。太い首をきつそうに左右に廻らし、だれもいない周囲になにやらつぶやきながら、のっしのっし。
岩舞台の下、数名のクロードが、ヘレンの周りに、じわり、集ってきた。ヘレンは、立てた右ひざに右ひじを乗せ、手先を垂らし、静やかに坐っている。掲げた顎で川下を指し、歌声だけは聞こえるがまだ見えないモーゼを、すでに予想として見ている。浪を切る舳先のような横顔が、ものすごく美しい。
遠くにどやどやがやがやざわめきがある。群集がやってくるのだ。不規則でたくさんの足踏みの音が聞こえる。歌も聞こえる。独唱と合唱が繰り返される。さらに谷間にこだまする得体の知れない動物の咆哮も聞こえてきた。
独唱をつかさどるのは聴き慣れたあのバリトンだ。ボディガード達が手拍子とはやし言葉で騒々しい合いの手を入れる。

あー こーりゃあ、はい こーりゃあ、あー こーりゃあ、はい こーりゃあ、
(朗々たる独唱)岩よ、林よ、山岳よ。尽きせぬ流れよ、湖よ。月よ、風よ、動物よ。はてなき空よ、星辰よ。森羅万象、すべての現象、ありうる限りの神々よ。ともに、歌えや、楽園讃頌。
(一転、北海盆歌になり)楽園め―い―ぶ―つ(は―、ど―したどした)、かず―か―ずこりゃあ―れどよ―。(はっ、それからどした―)おらがな―、おらが楽園のこーりゃ―、やれさな―、おっおいおい、せか―すなよ―。
(は―、えんやーこーらやっと―、どっこいじゃんじゃんこ―らや―)
(急にラップ調になって)幸せいっぱい、喜びいっぱい、お宝いっぱい、我らが楽園。精力いっぱい、平和いっぱい、信頼いっぱい、我らが楽園。快、朗、祝、好、情、憩、泰、寧、慈、恵、安、篤、雅、貴、仁、慶、誠、潔、優、寿、慰、聖、寵、徳、楽、真、善、美、福、生、命、愛いっぱい。ああ、愛、愛、愛。ああ、愛、愛、愛。世界に冠たる我らが楽園。
ああ楽園は、千代にぃ―いっい、八千代に。さざれ―石の―、巌―とな―りて、苔の生う―す―まぁ―で―。とこしえに― とこしえに――。
(は―、えんやーこーらやっと―、どっこいじゃんじゃんこ―らやっ はーぁ)

空疎蒙昧陳腐な語句で、奇怪猥雑滑稽な歌詞を、いかにも楽しそうに歌うのは、我らが魅惑のバリトン、コーテー、モーゼだ。立ち昇り渦を巻く白いガスの中から、宴の池のヌシである巨大両生類に乗っかって、両手突き上げガスをかき混ぜ、繰り返し大見得切る地雷也さながら登場した。
歌から始まった言語は、帝国では情報伝達と記録の機能を失い、歌で終わろうとしている。日常、歌いまくって暮らしているモーゼが、その最先端の現実態だ。歌いっぷりは自信満々で、空白を、日常の空虚を、言葉と音響で充填しつくさんとする圧倒的な勢いだ。歌う内容は、弟のリトルモーゼに劣らず、コーテーらしからぬ誤解と錯覚に満ちみちている。だが、モーゼは冗談の権化だ。ふざけきって冗談めかしきって、道化の、トリックスターの振りしきって唱えている可能性もあるから油断はならない。僕は、もうしばらくのちに、モーゼと、深刻な話をせねばならない。モーゼのこの躁、興奮、高揚が続きっぱなしだとしたら、何と切り出したらいいのかと、思い迷う。恐ろしいことだが、もしもモーゼが、本当に冗談を生きているとしたら(ジョウダン、ジョウダン、ミンナ、ジョウダン!)、まともな対話は不可能だ。そういえば、僕との学習時間中で、モーゼが上の空でなかったためしはなかったようだ。学習も冗談だとみなしてきたのか。
両生類の尻のすぐ後ろに、チャーリーに僕がおぶわれていたように、金剛力士のようなブラザーにおぶわれて、白っ子がついてくる。一瞬白っ子1の再臨かと錯覚し、狼狽してしまった。知能の高い、めげた生き物。
列の後ろのほうから、生口十五名! 。十四十六ではなく、生口十五名とはっきり言ってくる。 言葉がリレーされて口々に繰り返され近寄ってくる。十五に何の意味があるのだろう。せいこうとは捕虜のことか?