小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

隠れん坊

INDEX|1ページ/1ページ|

 


 夏の暑い、陽炎が揺らめくような午後のことだ。
 田舎に帰った私は、涼しい縁側にゆったりとした籐の椅子を用意して、一人、外の風景を眺めていた。
 都会では決してみることのできない、覆い被さるような緑の衣。何に邪魔されることなく見渡せる、真っ青な空。そこに映える、むくむくとした、わたがしのような入道雲。まるで大気の組成が違うかのように澄んだ、優しい風。
 私は久しぶりに寛いでいた。里山で鳴く鳥や、蝉の声、そして後ろで響く柱時計の音が、優しい子守歌のように耳に馴染んで、私をとろとろとしたまどろみへと誘っていった――

 
 ふと気がつくと、庭先に一人の少年が立って、こちらを見ていた。
 真っ白なランニングに、青い短パン、頭を丸坊主にしたその姿はいかにも田舎の少年らしかったが、しかし、その雰囲気はやけに静かで、その位の年齢に見られる溌剌さが薄く、その、ひどく落ち着いた目で見られていると、無性にどきどきした。私はそれに耐えられず、半ば振り払うように陽気に声を出した。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
 そう返ってきた声は、まだ声変わりもしていない幼い声で、私は少し安心した。返事が返ってこなかったらどうしようと、多少思っていた。
「どうしたのかな? 勝手に人のおうちに入っちゃ行けないって、お母さんに言われなかった?」
 別にそんなことを気にしたわけではないが、どんなことを話せば良いかもわからなかったので、とりあえずそう言ってみた。
 少年は変わらずしんとした色をたたえるその目でこちらを見ていた。中天よりやや西に傾いた太陽がまぶしい。少年のいる場所が、揺らめいている。
 一瞬、まるで全てが凍り付いてしまったかのような感覚が私を襲った。
 何の音も聞こえない。目の前にいるはずの少年も、陽炎に包まれたまま、動かない。
 空は相変わらず青いままなのに、どこかざわめいている気がした。
 しかしそんな感覚は、正に瞬きをする間に消え失せた。少年が口を開いたからだ。それは、私の問いかけとは全く別のことだった。
「リョウ君、いる?」
「リョウ君?」
「うん。今かくれんぼしてるところで、ボクが鬼なの。」
「……そのリョウ君がどこかに隠れているんじゃないかと思って、ここに来たのかな?」
「そう。ねえ、リョウ君どこ?」
 なるほどと事情は察する。そして、その性急さと自分勝手さが年相応で、思わず微笑んでしまった。やはり子どもなのだ。
「うーん、私は見なかったなあ。」
 優しく言う。少年は困った顔になった。
「でも、ボクね、リョウ君がここに入っていくの見たの。」
「君はリョウ君が隠れるのを待っていたんじゃないの?」
「うん。でもね、見たの。」
 繰り返しそう言う少年に、どうしたものかと思案にくれる。無下に追い返すわけにもいかないし、かと言ってどこかにリョウ君がいるとも思えない。私はずっと縁側にいた。誰かが庭に入り隠れる音がしたならすぐに気がつくだろう。
「あ、もしかして……」
 そんなことを考えていると、少年が目を輝かせてそう言った。
 嬉しそうなその目は、やはり少年らしいもので、今までの落ち着いた雰囲気がいきなり霧散してしまう。
「どうしたの?」
 トコトコと近づいてきた少年から少し身を引いて、私は尋ねた。
「リョウ君みっけ。」
「ホント? どこにいるの?」
「ここ。」
 そう言って少年が指さしたのは、私だった。
 反射的に、私は後ろを向いた。しかし、そこにはもちろん誰もいなかった。古ぼけた柱時計が、かちかちと音を鳴らせている。
「違うよ、ここだよ。」
 じれったそうな声の少年を振り返ると、少年はなおも私を指さしていた。私の、腹部を。
「変なこと言っちゃダメだよ。」
 そう言おうとして、自分の腹から顔をあげた私はまともに少年の目を見てしまった。楽しそうな、嬉しそうな、そして、子どもらしい残酷さを秘めたその目。その目に映る、どうでもいい置物のような私。
「見つけたんだから、早く出してよ。」
 私は声をあげることができなかった。恐怖に顔が引きつっているのがわかる。
 今度はゆっくりと、世界がその動きを失っていく。その中で唯一動く、笑顔の少年。その目が、私を妖しく射止める。
「もう、リョウ君? ボクがあけちゃうよ?」
 虫を殺すように、物を壊すように、少年は、ゆっくりと私の腹部に手をのばした。

 ――気がつくと、あたりはすでに薄暗くなっていた。
 山の端に沈みかけている太陽はまだ、いくらか燃えるような赤を残しているが、しかしすでにその暑さはだいぶ和らいでいる。
 カア、カアというカラスの黒い影が、茜の空を横切っていった。
「夢……?」
 私は呟いていた。あたりを見渡す。
 もちろんそこには少年のいた痕跡はない。後ろで鳴る柱時計の音が、相変わらず室内を満たしている。向こうからは夕餉の香りも漂っている。
 ふう、と一つ息を吐いて、私は立ち上がった。ゆるく顔を振る。
 びっしょりとイヤな汗をかいていたので、そのまま風呂場へと向かった。
 風呂場の大きな鏡には、どこか疲れた顔の自分がいた。
 そして、服を脱ぐ。
「ひ…」
 小さなうめき声が響く。
 私の腹部には、くっきりと小さな手の跡が二つ、まるで裂こうとするように、残っていた。

作品名:隠れん坊 作家名:紺野熊祐