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和尚さんの法話 「阿弥陀経」 2

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人間の上が天上界になりますが天には二十八あり
そのひとつの天の中にも上中下というふうに細かく分かれていてもっと多くの
天があるということです

そして天人を卒業したら阿羅漢という位に到達するんです

舎利仏や目連というような方が阿羅漢というのです
お釈迦様のお弟子さんには何万という弟子があったわけですが
そのなかに阿羅漢に到達した人が1250人あったということです


阿羅漢というのは悟りを開いてしまってる仏様には及びませんけど
あと、もうちょっと修行をすれば仏になれるという方をいうのです
仏教では輪廻と言いますが、輪のように廻るということで、地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上界と、六道のなかにそれだけあるんですね。そうした六道をどうすれば出られるかというのが仏教です

阿羅漢というのはその六道三界を卒業してしまった方々なんです
我々はあの世へ行ってまた産まれてきてと、いうように廻ってるんですね。それを輪廻というのです。
生まれ変わり死に変わりこの世に産まれてきてはまた死んであの世に生まれると。ぐるぐる廻って輪廻しているわけです
そして産まれた限りは運命というのがありましょう。運の良い人と悪い人と、天皇陛下のような人もいらっしゃればホームレスも居るし
これは偶然じゃないんです。それぞれに徳不徳を持ってこの世へ産まれてきてるわけです。
運命という言葉を仏教の言葉で言うと因縁ということです。因プラス縁が結果なんです。因が良いと果も良いですが 因が悪いと果も悪いということになるわけですね。善因善果 悪因悪果と言うことですね。


だから天皇陛下のような方は徳を持って産まれてきてるわけで、前世でよほどいい行いをしてきてるからですね。
この因が果になるためには もうひとつ縁というのが必要になるわけで、例えば稲があるとします、稲という因があっても、木の箱とか石の箱に入れておいても、いつまでたっても芽が出ませんね、これは縁が無いからなんです。
ところが土に埋めて肥料を与えて世話をして太陽の光線を受けて雨を受けて、そういうものが縁なんです。我々も良い縁に会って 良い結果となるわけです。

よくテレビを見てますと 子供が殺されてお母さんが嘆いて 嘆いて、何で私が! 何か悪いことをしたのかと。
なんでこんなことになるんだ!と言います。
それは、この世では悪いことをしてませんけど、前世でしてるんですね。

仏教は三世を説きますので、過去世と未来世と現在世と、この世で行なって この世で起こる運命もあるんですね。
この世でよい行いをして良い結果が出て、この世で悪い行いをしてたちまちこの世で悪い結果が出るという報いかたもあるんです
ところが あんなに良い人が何であんな結果になるのかとか、あんな悪い人が何ですいすいと上手いこといってるのかと、これはこの世の行いがこの世で出てるんじゃなくて過去世の行いの業が今現れてるんです
そしてこの世のことが来世に現れるんですね、そういう人は、ところが我々には前世の行いは判りませんよね。
ですが如来様や阿羅漢は判ってるんです。
阿羅漢以上になると六神通といって 神通力があるんですね。
神通力が六つあるんです。それは何処で何を話していても聞こうと思えば聞こえるんです。他の国で誰と誰がなにをしてると思うて見ようと思えば見ることが出来るんです。

そういう神通力が六つ阿羅漢になったらあるのです。ですから何かあれば阿羅漢だったら過去も見れますから、これは過去のこういうことだから、それが今現れてるんだなと、判るんです。ですから悩みもなにもないわけです。
だからこれは、こういうことだからあたりまえだと判るんです。

我々凡夫にはあの世が判らんから、なんで私はこんな目に会わなければならんのかと、思うわけです。これが三世の因果というのです。

だからお経の中には、過去の因を知らんと欲せば現在の果を見よと。
だから前世でどういうことをしたのか知りたかったら現在に現れてるんです、現在の自分を見て判断をしなさいということです。過去に良いことをしてきたのか、悪いことをしてきたのかの結果が現在、現れてるんです。
未来の果を知りたかったら現在の因を見よと、こういうお経があるんです。
日頃の行いはどうだと、いうことですね。それによって自分が来世に産まれる運命が判るということです。

よく世間で言われてますが、先祖の因縁と言いますが、これは仏教の教えじゃありません。仏教は三世の因果ということで 自業自得という言葉がありますね。
自分が業を積んで 自分が獲得するということです。

自分が罪を犯せば自分に来るということで、他人には行かないということです。良い業を積んでると良い結果が出るからいいのですが、問題は悪い業ですね。

父や母が罪を犯しても子は受けずということです。子の犯した罪も親が変わりに受けることも無しです
自分の犯した罪は自分が受けるのであって、他人には行かないのです。ですから三世の因果を知らない人が悪いことをするんですね、死んだら終いだと思ってるから悪いことが出来るわけですが、死んで地獄があると思ったら ちょっと二の足を踏むんじゃないでしょうかね。

阿弥陀仏成仏よりこのかた今において十劫なり
仏教では皆仏様になっていくんですが お釈迦様は今から3000年ほど前に如来になったわけですが それまでは菩薩だったわけです。

菩薩の最後の修行をなさって、悟りを開いて釈迦如来になったんです。
阿弥陀様も別のお経に出てきますが ほうどう菩薩という菩薩のところから話が出てくるんですが ほうどう菩薩のいう位なんですが、菩薩にまだなってないけど国王に産まれてくるんです。
国王に産まれてきて そのときに世自在王如来(文字が判らないので違ってるかも?しれませんがお許しを)という仏様がちょうどそのときに、この世にお出ましになっていたそうです。
仏教は次から次から仏様がこの世に出てくるんです。長い期間ですが この次に仏様がこの世に出てくるのは弥勒菩薩。
次にこの世に弥勒菩薩がお生まれになって出てきて新たに仏教を伝えに来るけど、それまでに仏教は廃れてしまって無くなってるでしょうね。
それはどれくらいの時間かというと今から56億7000万年後と、いうことです、だからちょっとやそっとで仏様はこの世には出てこないんですね。ですから仏様にお会いできたということの喜びは当時の人にとっては本当に喜んだんですね。

法然上人は自分はこうして三界に流転してると、それは過去に仏様に会えなかったからなんだと、仏様の説法を聞いてこなかったから、こうなってるんだと嘆いたそうです。
そういうことですから前世のことは仕方が無いけど、懺悔したら罪は消えていくんです

貪瞋痴とお経にありますが、貪欲と瞋の怒りと愚痴と愚痴とはぐちゃぐちゃうるさいことを言うのが愚痴じゃないんです
あの人は愚痴の多い人でぐちゃぐちゃとうるさいことを言う人だと言いますが、これは愚痴じゃないんです。因果の道理を信じないことを愚痴というんです。愚かということです。

因果の道理を信じないから 何で私がこんな目になると、こうなるんですね