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アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一

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別に張り切る必要はないが


 するべき準備はしておくに越したことが無い。
 差し当たってしておくべき事は、先に宣言した通り連絡用に携帯電話を入手することと、平家が安定して乗ることが出来る場所を確保することくらいだろう。
 放課後、祐一は携帯電話を駅前商店街の中に在る携帯ショップで入手した後、スーパーの自転車コーナーで立ち乗り用のハブステアリングを購入した。
 帰宅した後、先ほど購入した携帯電話の初期設定をしてから平家の番号を登録し、予告通りにワンコールで切って、ついでにメールアドレスに自分の携帯のアドレスを記載して送信しておいた。
 おまけ、というわけでもないが、大沢教諭の電話番号を平家の次に登録する。
 一連の作業を終えたところで、現在は自室から工具を持ち出し、ハブステアリングを後輪に装着中である。
「工作、ですか?」
 『ハイツ』の玄関前で作業していた祐一に声を掛けてきたのは、管理人のハーマン・グリーンさん。
 通称『ミドリさん』だ。
「あぁ、すみません。もう少しで終わります。工具類は、ちゃんと片付けますから」
 祐一は改めて装着の具合とタイヤの空気圧を確かめる。
 二人分の体重が掛かるのだから、タイヤの空気圧は重要だ。
「立ち乗り用の道具、ですね」
「えぇ、部活で遅くなるクラスメイトが少し怖い目に遭ったそうで、近所に住んでる俺が暫く自宅に送ることになったんです。この座席に座らせるのは、苦痛でしょう?」
 祐一は言いながら、荷台の金属部分を軽く叩いて見せる。
 『ミドリさん』は小さく、何度も頷いた。
「……ここに、立つんですね」
 『ミドリさん』は後輪に装着された太めの、滑り止めが刻まれたパイプを覗き込む。
 本来は自転車でパフォーマンスする選手が使うような、太めの品物だが、足元がしっかりしているに越したことはない。
「えぇ、大きめの奴を買ってきたんで、足もきちんと収まるでしょうし、取り敢えずこれでいいかと。……あ、そんな訳で、暫くの間、夜に出掛けることになります。あまり褒められたことじゃないかも知れませんが、学校に許可も貰っているので勘弁してください」
「そういう事ならば、構いません。でも、気をつけてくださいね。最近ひったくりが出たり、平田君の件が有ったり、近くの町でも色々事件が起きてるようで、何かと物騒ですから」
 『ミドリさん』は祐一の顔を正面から見て、鷹揚に頷いきつつ、注意を促した。
「…あ、そうですね。気をつけます。住人の皆さんには、あまりうるさくなって迷惑を掛けないようにしますから」
 祐一は言いながら工具を片付ける。
 しかし、祐一が片付けを続けるその姿を見ながらその場にボーっと突立たままの『ミドリさん』の表情が、にわかに曇ったように見えた。
「………?」
 祐一が首を傾げながら『ミドリさん』の表情を伺うと、その表情には明らかな不満と、心配が見て取れた。
「藤井君、そういうことではありません。危険を感じたら、もっと大人を頼りにして下さい、という意味です。『学校に許可を貰っている』って、言っていましたが、先生たちは、誰か対応してもらえないんですか?」
 そう言った『ミドリさん』が、心配そうに祐一の顔を覗き込んでいる。
 その口調からは、表情と同様に、ありありとした心配の色が『視えた』。
 その表情が、祐一には平田の件で『大人たちも頑張っています』と、そう言った藤山教諭の表情と重なって見える気がした。
「先生たちにも了解を得ているんですけどね。ただ、実害が出ていない『かもしれない』っていう段階の話なんで、今ひとつ学校側としても動きづらいようでして、一先ずは俺が入るのが良いかという話です。気の所為だったらいいなと、俺も思ってます。まぁ、もし本当に危険なようなら、すぐにバトンタッチする予定です」
(ここの人たちは本当に、良い人ばかりだな)
 今までと同じ領域にいる人間も住んでいるのに、今までと違う人達がいる。
 祐一は一人、そこから脱却出来ないでいる自分を感じていた。
 善意で心配してくれる他人の事を、反射的にとはいえ疑ってしまう。
 そして、自分の素性を隠すべく、こんな善意の人たちにさえも当たり前のように嘘をつかなければならない。
 そんな自分の癖が、何となく嫌になった瞬間でもあった。
 そんな祐一を尻目に、『ミドリさん』は何かを思い出したように自分の部屋に戻っていくと、すぐに、片手に何かを持って再び現れる。
「……これを」
「え?」
「危険があるようなら、警報ブザーや知らない大人でも、この辺りの人なら大丈夫だと思いますから、使って下さい」
 『ミドリさん』の手にあったのは、市販されている防犯グッズの一つ『警報ブザー』だった。大きな掌を丁寧に祐一の手に重ね、両手を添えて、赤い『警報ブザー』を手渡す。
「……えぇ、そうさせてもらいます」
 祐一は『ミドリさん』の手の男らしい硬さに触れたくすぐったさと、自己嫌悪と、子供扱いされた気恥ずかしさを隠しながら、薄く微笑む。
 実際に、祐一がその手の危険に直面したとして、大人の手を借りなければならない事など、恐らく殆どないし、今までもそのように扱われてきた。
(そうか。少し嬉しいんだ、今)
 祐一は、それに気付いて猛烈に恥ずかしくなった。自分の浮かべた微笑の意味に、『ミドリさん』が気付いていないことを、祈るより他になかった。
 だから祐一は、己の未熟さを誤魔化す為に、一策を講じた。
「済みません、ついでにここ掃いちゃいますんで、ホウキとチリトリ、お借りできますか?」
 顔など、赤くなっていなければよいのだが。